見出し画像

3歳5か月児が、はじめて1冊、父に読みきかせた。  五味太郎『ふたりではんぶん』

 きょう、3歳5か月児が、父に本を1冊読んで聞かせてくれた。
 彼が読んでくれたのは、五味太郎の『ふたりではんぶん』(絵本館、1991)。

 途中、カタカナの部分、たとえば

チョキンと はんぶん〔以下、引用中の太字強調は引用者〕

の最初の部分は若干詰まることがあり、そこだけ少し手伝った。
 ちなみに拗音・促音が読めないわけではない。

うど いい
なかよく だ

などは滑らかに音声化していた。

 なお、本書はおとといの晩あたり、母親にも読み聞かせていたとのこと。
 もちろんその前、先週の金曜に、この絵本は僕が読み語りをやっていた。だから彼が初見で「音読」できたわけではない。

 親が読むのを聴く(聴きながら絵を見る)ぶんには、彼はもうかなり長くて複雑な本を好んでいる。
 たとえばエゴン・マチーセンの『あおい目のこねこ』(Egon MATHIESEN, Mis med de Blå Øjne [1949]、瀬田貞二訳、福音館書店《世界傑作童話シリーズ》、1965)とか、中川李枝子『いやいやえん』(子どもの本研究会編、大村百合子絵、福音館創作童話シリーズ、1962)などの「幼年童話」、あるいは絵本であればアリス+マーティン・プロヴェンセンの《かえでがおか農場》シリーズ(1974年から1981年までに発表された3作がほるぷ出版から訳出されている)など。
 でも、自分で音読できるのはやはり、このような字の少ないものなのだな。

 子は2歳のときからひらがなを「音声化」していた。
 けれど、字を音声化できることと、書きことば(字の列)を理解できることは、どうも違うことのようだ(大人で言うと、ひとつの文を読んでわかったつもりになることと、文が連なった「文章」を把握することが違う、というのに似てる)。
 彼はひらがなを音声化できるようになったあとも、まずはやはりだれかに音で聞かせられてやっとわかるようだった。
 やがて、自分で一度音声化して、自分の声を耳で聴いて、ワンテンポ遅れて理解する段階に到達した。

 それが、きょうの彼の「読み聞かせ」では、音声化と自分での「腹落ち」がほぼ同時に起こっていたようだ。
 その証拠になるかどうかは甚だ心もとないが、助詞の〈は〉を、一度も間違えずに「わ」と音声化していた。

さて
おつぎ なあに

というところ。

 五味太郎は知的で分析的な、そして驚くほど多作な作家だ。
 この絵本は双子と思しきふたりの女の子の表情がぴったり同期、というか完全に一致している。
 それが読んでいて(見ていて)怖くなるほどだ。
 でもぎりぎりのところで「怖い」よりは「美しい」「かわいい」の側に着地している。恐るべく正確な匙加減としかいいようがない。

 さて、3歳児はつぎはなにを読んでくれるのかね。

プロヴェンセン夫妻の《かえでがおか農場》シリーズのうち『みみずくと3びきのこねこ』(An Owl and Three Pussycats [1981]、岸田衿子訳、ほるぷ出版)は来月(2020年8月)に新版が出るそうです。

五味 太郎(ごみ たろう) 1945年調布生まれ。桑沢デザイン研究所インダストリアルデザイン科卒業。工業デザイン、エディトリアルデザインで活躍後、1973年《かがくのとも》『みち』(のち福音館書店《かがくのとも絵本》)で絵本作家となる。『たべたのだあれ』(文化出版局《どうぶつあれあれえほん》、1977)でサンケイ児童出版文化賞、『仔牛の春』(1980、のち偕成社)でボローニャ国際絵本原画展賞、『ときどきの少年』(1982、のち新潮文庫)で路傍の石文学賞、『つくえはつくえ』(偕成社)で講談社絵本賞。作詞家としても活躍。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?