『小説列伝』は小説の「ミームの歴史」です
前回の記事で、『小説列伝』の原題が仏語版(翻訳の底本)で『小説の思考』、著者自身による英語版で『小説の生命』だったこと、そして英語版
の題から『小説列伝』という強い訳題を思いついたことを書きました。
『小説の生命』という英語版の題は、小説という「類」の進化を語る本だというのがよく伝わります。「ミームの歴史」としての小説史なんです。
『小説列伝』の序章に、こういうことが書いてあります。
本書ではミームという語は一度も出てきません。
でも、本書のダイナミックな記述を読むと、著者が小説ジャンルの進展を、作家個人の内面や社会構造に還元せず、それらから影響されつつもやはりある種の自律性を持つ「種」の適応や変異として記述しようとしているのがわかります。
なお、本書のディシプリンには4本の柱がある、とパヴェルは言っています。それぞれの先人の発想に負いつつ、それぞれの方法の足りないところを補い合う、という意味で、4本の柱を立てたわけです。その4つとは、
です。
ローデ以外の名前は、日本の文学研究でもビッグネームだと思いますが、とくに気にしなくても大丈夫です。
『小説列伝』をまず読んじゃったらいいんです。
でも、ひょっとしたら「自分は文学を研究したい(研究を始めちゃった)、だからどうしても気になる」、という人があるかもしれません。
そういう人には、バフチンの「小説における時間と時空間の諸形式」とワットの『小説の勃興』をおすすめします。
ローデは日本語訳はないし、僕も読んでません。
ルカーチはいまのところおすすめしません。僕がもう少し賢くなったら、あの本の意義がわかるのかもしれないけど……。
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