じつは、わたしがそのシャアなんだ。──ホメロス『オデュッセイア』上巻(松平千秋訳、岩波文庫)
ホメロス『オデュッセイア』松平千秋訳、上巻、岩波文庫、1994。
Ὅμηρος, Ὀδύσσειαの翻訳。上巻は第12歌まで。
『オデュッセイア』を読む前に
トロイア戦争叙事詩環のなかで、作中時間順に言うとホメロスの『イリアス』(以下、特定の翻訳書名などを除き、長音を省略する)よりずっとあとのことを語る。
叙事詩環において『イリアス』と『オデュッセイア』のあいだをつなぐ作品群は失われてしまったが、ずっとのちにスミュルナのコイントス(クィントゥス)によって書かれた『トロイア戦記』を読めば間をつなぐことができる。
https://note.mu/chinobox/n/n36941b609c9d
なお、トロイア戦争叙事詩環の概略については、松田治『トロイア戦争全史』で押さえておくとラクです。
なによりまずこれは娯楽大作だということ
『イリアス』は延々と戦争したり、延々と諍いをしたりする話であって、登場人物の行動規範や感情のありかが、現代の僕らとはけっこう隔絶している、そういう距離の感じが味になっていた。だから古雅や古拙を狙った呉茂一訳に思い入れがある。
けれど『オデュッセイア』は違う。
これはもう僕らの読書体験に一歩身近となった波瀾万丈の冒険譚であり、悪い奴らをやっつける復讐譚でもある。
『イリアス』も親友パトロクロスを殺されたアキレウスが下手人ヘクトルに復習するのがクライマックスだったけど、ヘクトルが悪役というわけではない。
『オデュッセイア』のほうは、留守のあいだに妻に言い寄ってくる求婚者は劣悪な人間たちとして描かれている。
それから、その山場にいたるまでの航海の冒険は、怪物や魔女が跳梁するカラフルなファンタジーだ。奸智に長けた主人公オデュッセウスのトリックスター性がストーリーの魅力なのだ。
in medias res(事態の途中から)
先述のとおり『オデュッセイア』は、トロイア戦争ののち、英雄オデュッセウスがたいへんな苦労の末、何年もかけて故国イタケに帰国する物語だ。
『オデュッセイア』はしかし、戦争直後ではなく、すでに長らく海の女精(ニュンペ)カリュプソの島に足止めを食らっているところからはじまる。いわゆるin medias res(事態の途中から)のオープニングだ。
故国では、王オデュッセウスは帰ってこない、もう死んだ、とされていて、妻ペネロペイアには何十人もの求婚者が、オデュッセウスの遺産を目当てに押しかけてきて、寄食している。
妻は夫の帰還を信じていて、いま織っている織物ができあがったら、みなさんから相手をひとり選びます、と言って時間を稼ぎ、夜になると、その日織ったぶんをこっそりほどいて、いつまでも織りあがらないようにしている(あとでバレてえらいことになる)。
アテナ女神が父の友人に変装して、父オデュッセウスの顔を知らない息子テレマコス(オデュッセウスが出生したときは赤子だったが、戦争の10年と帰国足止めの10年のあいだに20歳の若者となっていた)を訪れ、求婚者を追い出し、父を捜すように促す。
テレマコスは隠密で出立する。求婚者たちはテレマコスを暗殺しようと計画を練る。
とにかく帰れない男
そもそもオデュッセウスは、死んだアキレウスの武具を敵と争っては奪還するなどの大活躍の末、先の戦役ではアカイア方(ギリシア連合軍)を勝利に導いた文武両道の英雄として名高かった。
さる事情から海神ポセイドンの怒りを買って、なかなか帰国できない。オデュッセウスを深く恨む海神ポセイドンが彼の帰路を妨げているのだ(その理由はのちほど明かされる)。
しかしオリュンポスの神々の会議で彼の帰郷が決議された。主神ゼウスはオデュッセウスを出発させるようカリュプソに命じる。
オデュッセウスは物語の初めのほうで、ようようカリュプソの島を出ることができた。しかし、船をポセイドンに襲われてパイアケス人の島に流れ着く。
カラオケでガンダムの歌を歌っていたら……
主人公を救った島の王女ナウシカアは、父王アルキノオスのもとに彼を連れて行き、宴に参加させる。この段階でオイディプスは自分の正体を明かしていない。
宴の席上で、楽人デモドコスが歌を歌う。それは先の戦役の物語を歌にしたものだった。
ほかでもないオデュッセウス自身が、木馬に兵士を潜ませて敵陣に潜入させ、この策略でイリオス方に大打撃を与えた、その挿話にほかならない(ユーザが実行ファイルを実行するとコンピュータにたいして悪意ある動きを見せる「トロイの木馬」型ソフトは、ここから名づけられた)。
命拾いをした直後に、自分の大活躍を歌にされて、オデュッセウスひとり男泣き。
そのようすを気に留めたアルキノオス王に問われるまま、オデュッセウスは、自分こそそのオデュッセウス本人なのだと正体を明かすのだった。
宴席にいた人々はさぞ驚いたことだろう。カラオケでガンダムの歌を歌ってたら、ひとりが
「じつは、わたしがそのシャアなんだ……」
と言い出したようなものだ。
波乱万丈の身の上話
このあとオデュッセウスは、戦後の波乱万丈の放浪について話し始める。
イリオス(トロイア)からイスマロスへと船で出た。
ロトパゴイ(蓮の実喰い)族や、巨大なライストリュゴン族、セイレーンたち、怪物スキュラと大渦カリュブディス、太陽神ヘリオス(ヒュペリオン)と遭遇した。
一つ目巨人(キュクロプス)ポリュペモスの目を潰した(ポリュペモスはポセイドンの息子であり、これが海神の怒りを買った直接の要因)。
風神アイオロスから風の袋を得て帰国を急ごうとしたら、船員が間違って袋を開けて、来た方向に戻された。
魔女キルケが乗組員を豚に変身させてしまった(泉鏡花の『高野聖』や宮崎駿の『千と千尋の神隠し』のモティーフ)。
冥府に下って、亡母や死んだ戦友たちと会った(『ギルガメシュ叙事詩』以来の冥界下りのモティーフ)。
人面鳥身の魔女セイレンたちが誘惑してきた。
6つの頭を持つ食人怪物スキュラをやり過ごした。
神の怒りを買っては船に落雷した。
カリュブディスの大渦巻に呑みこまれそうになってカリュプソの島に流れ着いた──。
物語の奇蹟
全24歌からなる『オデュッセイア』のうち、オデュッセウスが宴席で披露したこの冒険譚だけで、第9歌から第12歌までのじつに4歌(6分の1)を占めている。
この艱難辛苦の物語に心動かされたアルキノオス王は、ものすごく早い船を出してやり、オデュッセウスを故国に送り返す。
苦労話もしてみるものだ。身の上話をしなかったら、故国に帰り着くのがもっと遅れただろう。
物語ること、それ自体が彼の運命を大きく変えた。
『オデュッセイア』の作者は、トロイア戦役直後から順番に話をせず、帰国の途中から始めて、それ以前の物語を第9歌からの4歌に織りこむという戦略をとった。
それは、物語ることによって世界が変わる、その「物語の奇蹟」を描きたかったからではないだろうか。
入れ子物語という後説法
『オデュッセイア』で、過去のいきさつが登場人物によって入れ子状に語られるのは、この第9-12歌だけではない。
ピュロスのネストル王はアカイアの総大将アガメムノンの殺害と、その息子オレステスによる復讐をテレマコスに告げる。
またラケダイモンのメネラオス王はトロイア戦争の思い出と(エジプトの神に告げられた)オデュッセウスの所在を、やはりテレマコスに告げる。
また、オデュッセウス自信も正体を隠したままでアルキノオスに難船記を語る。
そもそも先述の、楽人デモドコスがオデュッセウス当人を含む宮廷の面々を前にして、オデュッセウスとアキレウスの対立を含む戦争の物語を吟唱するのもこのカテゴリだ。
いずれにせよ先述の第9歌-第12歌を読んではじめて、作品冒頭でオデュッセウスが島に囚われていたところに理解が追いつくので、いっそこの部分を最初に読むのがいいのではないかとすら思える。
一大エンタメ巨篇は後半へと続く!
(つづく)
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