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過去から今、そして未来予想図

みなさん、いかがお過ごしでしょうか?

とある日の朝、ふと思った…
私、なにになりたかったんだっけ?
幼少期の時は覚えていないけど、中高あたりに思い描いていた理想と、でもなんとなくこうなるだろうと想像していた未来の自分と、今の自分。
ついでに老後の自分も想像してみました。

いつか忘れたころにこのノートを見かけることがあったら、タイムカプセルみたいで、面白いかも!

子供の頃の夢って覚えていますか?

子供の頃の日記や卒業文集、みなさんはとってありますか?子供の頃の夢ってなんだったんだろう?
私は学校での文集も残って無いし、あんまり記憶もない!

ただ覚えていることは、私はすごくおじいちゃん子で、おじいちゃんと一緒にかすみ草を連呼する演歌を歌っていた記憶があるのと、セーラームーンが大好きだったので、多分現実離れした事を言っていたであろうことはだいたい想像がつきます。

10代の頃の思い描いていた自分

自分が10代の頃に思い描いていた自分。従姉妹や周りのお姉さんたちは、すごく素敵でカッコ良くて、大人になればなんでもできる様になると思っていた中学時代。

あの頃は現在の様にインターネットでどんな情報も簡単アクセスできる時代ではなかったので、私の想像の中でいろいろな世界が広がっていたんだと思う。
田舎育ちだったこともあり、農家農業の人たちに囲まれていたので、ただ都会に出ることが目標の中学時代。

親はパスポートも持っておらず、周りにも外国行ったことがある人がいなかったけど、外国への憧れが出てきたのもこの頃。お小遣いは洋楽のCDしか買っていなかったし、洋画ばっかり見ていたのはこの時。
そのテレビの中の世界だった場所に自分は行くと決めていたので、勉強全般嫌いだった割に英語だけは続いて、海外の憧れが相当強かったのか、ずっとバイトして趣味貯金だった高校生活。

10代後半に将来のことについて聞かれた時に、つまんない事を言いたくなかったのでいつも言っていた事↓

『将来、ロンドンでインテリアの勉強をして、インテリアデザイナーになってる!イタリア人とフランス人のハーフの建築家の方とロンドンで結婚すると思う!子供は男の子が二人で、ロンドン郊外に、古いおうちを旦那さんが改装して、私がインテリア担当。夏休みに彼のおじいちゃんの実家のイタリアでホリデーを過ごして、冬休みはフランスのおばあちゃんのもとで過ごすの!』
なんて、とんでもない事を言っていましたが、子供の性別が決まっている事と、おじいちゃんとおばあちゃんが一緒にいないことになっている時点で、色々とおかしい。

夢見る少女の様な事を言ってはいたものの、田舎で農業と漁業が盛んな街に育った私。なんとなく一般的な企業で働いて、普通にここでずっと暮らしていくのかな、なんて思ってもいたと思う。

ただ、オーストラリアに来る前に付き合っていた彼に、プロポーズではないけど結婚の話をされても、はぐらかしていたのは、その若さで人生を決めたくなかったからだと思う。

その彼はすごくタイプで大好きで、すごく優しくて素敵な人だったな。
もし私が外国から帰ってきて、まだお互いフリーでそうなったら良いね!なんて言って、別々になったけど、帰る時は来なかった。
あの彼には幸せになって欲しいってすごく思う。
私のわがままにいっぱい付き合って貰って、待たせてばっかりでごめんなさい!
人生はタイミング!

もうちょこっと夢を見ていたい20代

高校を卒業し、高校がファッションデザイン学科だったにもかかわらず、美容院に就職し、通信で美容学校に行き出した。

なぜその道を進んだのか。何故かは思い出せないけど、憧れてた美容師さんがいたので、その影響で、まだ自分という個性をあんまり持っていなかったのかな。
美容師への道は地道でとにかく長い道のり。
すごく奥が深くて、職人さん兼デザイナー。私がお客さんでも、そこらへんの人に切って欲しいわけではないので、お客様から信頼を得るためにはやっぱり経験が必要で、長い道のりなのはごもっとも。
いい上司に恵まれ、すごく可愛がってもらえたけど、同期が6ヶ月もしないうちに全員辞めてしまったのと、どうしても会わない先輩との時間が耐えられず、美容師になりきれずに1年半でアシスタントのポジションのまま退社。美容学校は続けていたけど、違う仕事にも就いてみようと、短期のつもりで働き出した美容関係の仕事がすごく楽しくて、美容院に戻ることはないだろうと決断し美容学校も退学。

自分が美容師になる姿は未来予想図に見えなかったので、挫折感は否めないけど、その時の私がした選択は良かったと思う。
外国に憧れを持っていても、連休を取る事も、貯金をする事も、美容師のままでは難しかったと思う。
もし日本にいる美容師さんがこのnoteをみてくださっているのであれば、外国で日本人のカットスキルはものすごく必要とされているので、美容師の資格さえあれば、留学/旅行と短期/長期で訪れた際、仕事に困ることはないですよ!私は諦めてしまったけど、美容師というポジションに立てた時、新しい未来が切り開けるはず!ん?開くのはあなた!

美容院後は美容関係を本職とし、週末はウエディングコンシェルジュや夜はバーなど、仕事ばっかりしていた二十歳頃。頭も悪いし資格も経験もない私は自分の時間と体力を使ってしかお金を稼ぐ方法を知らなかった。
ロンドンへの道を望んでいたのでとにかく貯金していたけど、調べたインテリアデザイン学校の学費は貯金で賄える金額ではないけど、とりあえず行けばなんとかなるだろうと思っていた。

そろそろ行ってみようかなっと思っていた頃、ポンドの為替のレートがすごく悪かった2009年頃、英語を学ぶならオーストラリアの方が安いし、友人に誘われ短期留学でオーストラリアを訪れた。

旅行の延長の様な感覚で行ったけど、オーストラリアでできた友たちとのBBQで酔っ払い、お酒の勢いでシェアハウスを借り、国際電話で退職希望を伝え、インターネットでワーキングホリデービザを取り、オーストラリアで英語を勉強してロンドンに行こうと決めて、若さと勢いに任せて移住を決めた。
もちろん、いったん帰国して、会社への挨拶と正式な退職手続き、親への報告、荷物整理をして2週間でオーストラリアに戻りました。

英語の勉強は3ヶ月と決めていましたが、3ヶ月で英語を喋れるわけもなく、今となってはオーストラリア10年目。

今の旦那さんになった人との出会いが住み出した理由ですが、旦那さんは日本人で、お寿司やさんです。今の旦那さんに、当初からロンドンに行きたいと言い続けて2、3年、絶対に引っ越したくないと言うアウトドア好きの旦那さんのオーストラリア熱に負け、ロンドン移住は諦めました。ダイビング、釣りとキャンプができる国が良いそうな。確かに、イギリスでそのイメージはないかも。

実際オーストラリアに来ず、そのままロンドンに行っていたら、全く違う人生を歩んでいたのかなーなんてよく思います。
オーストラリアは大好きだけど、やっぱりまだちょっと未練。

理想としていた郊外の古いおうちには住んでいるけど、イギリスの様な歴史を感じるものではなく、一般的な中古物件です。リフォームされているので、もうちょっと古くさいヴィンテージな感じ良いなーなんて思いますが、裏庭で焚き火ができる、オーストラリアらしい平家の大きな庭のお家に住めています!

ホリデーは、あの頃語っていたイタリアでもフランスでもなく、有馬温泉や南知多温泉なんかに行っています。温泉はやっぱり良いですね!

30代。いま

現在、気づけば三十路を超えています。

結婚はしているけど、人生のんびり楽しんでいたら、時が経つのはあっという間。まだもっと旦那さんと旅行もしたいし、もっとチャレンジしたいことだってある。もう高齢出産の年齢なんて言われ、焦っていないと言えば嘘になるけど、出産、子育てとなると、得るものも大きいとは思うけど、自由が制限されるのに躊躇して、まだ一歩先に踏み出せていない。

心地の良い今の状況から抜け出せないし、甘えているだけかもしれないけど、すごく恵まれている事には感謝したい。

オーストラリアで10年。
何をしていたんだろう?
オーストラリアでの職歴を辿ると、英語が話せない期間が長すぎて、お弁当やさん、お寿司やさんに始まり、日本人オーナーのエステサロンやコスメの販売から今のビューティーアドバイザーに就いて5年ちょっと。

知らない土地で新たな生活基盤を作り、色々な人種との関わり、今まで色々な国に旅行では行ったけど、旅行滞在や日本での生活では見えなかった色々な世界をみたと思う。
もちろんいろんな人がいるので人種差別もあったし、言語の壁の苦労やちょっとした犯罪に巻き込まれたりもあった。

10代の思い描いていた世界とはちょっと違うけど、色々頑張ってきて良かったって自分に感謝。あとそれをサポートしてくれた、これからも心強い旦那さんにも感謝!

老後の自分を思い描いてみた

老後の自分で確信していることは、多分私の旦那さんはめちゃくちゃ元気で、私は体力はないけど、助けてもらいながら私たちは旅をしているであろう。私はひとりで死にたくないので、長生きしたいけど、できたら旦那さんより先に逝きたいと、すでに思っている。

理想の老後生活は、一つ物件を市内の中心街に持ち、家賃収入を少しでも得ながら、自分たちは小さなおうちでシンプルライフを送りながら、犬と一緒にキャンピングカーでのんびりオーストラリアを回っているのが理想。海がすごく綺麗なのと、夏場の気温がすごい高いので、海沿いの小さなおうちがいいですね!

私は猫好き、今は野良から家族になった猫ちゃんと住んでいます。
旦那さんは犬好き、リタイアしたら飼っても良いかな、って思うけど、大きい子だとお散歩が大変なので、スタッフィー希望らしいけど、私はパグか柴さんでお願いしています。

キャンピングカーでニャンコを連れていくのは難しいので、ワンコは老後ね、ずっと言ってるけど、旦那さんちょっとかわいそう。

リタイア後の週末は、友人の子供たちがみんな独立しているはずなので、友人で集まってお茶会なんて開いて、のんびりランチを食べたりお散歩したりして過ごしたい。

政治のことは全くわからないけど、この歴史的なシチュエーションの中で、国の借金が膨らんで、年金はもらえるのだろうか?貯金はいくら必要?不安な要素はいくつもありますが、まあなんとかなると思うので、病気・事故にだけは気をつけたいですね!どうにかならない時は、命を落とした時、命があるうちはどうにでもなるんです!

これからも色々楽しみだな!

まとめ

すごく簡潔になってしまうけど、理想と現実は全く違うもので、幼少期からの理想を現在形にしている人は、本当にすごい!!

毎日の小さな習慣が、理想を現実にしてくれるのだとは思うのですが、継続とは果てしなく長い道のり。

習慣にするのは想像するよりもっともっと大変な事ですよね!

幾つになっても、チャレンジ精神を忘れずに、小さなことからコツコツと!思考を現実にするのは、やはり行動しかないですね!

人生のビジョンを明確にしている方は、ゴールから逆算して、一つ一つのタスクをこなしていけば形にはなると思う。
私みたいなすごく不透明で、今に満足してしまっている状態だと、大きな変化はなさそうですが、楽しければよしとしましょう!

みなさんも是非、時間がたくさんあるこの時に自分の人生の経路を振り返ってみたり、これからの道のりを想像してみてはいかがですか?

noteとして記録していたら、思うことが色々出てきて、自分自身のちょっとした整理もできて、夫婦会議でも開いて人生設計をもう少し明確にしてみようと思います!

これからも楽しんでいきましょう!



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