藤原佳奈による「景の会、応答」
景の会『vol.3 空間の変容をきく』に立ち会った。
この日のことを、言葉にしてほしい、と言われて、数日前からこの文章に向かっている。とても怖い。言葉は結晶だから、言葉にしてしまうことで、わたしの体験自体が変わってしまうことの恐れ。わたしの体験が代弁者のように伝わってしまうことの恐れ。そして、真摯に応答しなければ、自分をこの先殺すことになる、己の態度そのものへの恐れです。
2021年11月3日は、私にとって事件だった。忘れたくない日だった。だから、この身体から離れる言葉は、残したくない。
舞台上、中央にプロジェクター。その手前、下手に机と椅子がある。
会の前半は、知念大地が、普段但馬地域の中学校をまわって講演している内容のショートバージョンということだった。登場した瞬間から、知念大地の居住まいは、さえずりのようだった。ふいにパントマイムが始まったかと思ったら、客席側に近づいて髭を剃り始める。喋り出すまでも、そして、ギターを抱えながら時折歌い、また喋り出してからも、その存在は、空間の軌道をしなやかにすべり、急カーブし、縦横無尽に遊んでいた。こちらの期待がさまざまな角度から揺らされ、空間にずっとくすぐられているような、芽吹いたばかりの春のような心地良さだった。
スライドを交えながら、大道芸を志した知念大地が、踊りに至るまでの話を聞いた。彼が《踊り》を選ばざるを得なかった話。そして、戦没者の墓前で、福島で、動物の埋葬場で、あらゆる死者の前で、あるいは自分の生まれた場所での《踊り》の話を聞いた。その声から、この人は、見えるもの、見えないもの、あらゆるものと全身全霊で重なってきたのだ、やりあってきたのだ、と、ただ、そのはみ出るような事実が痛いほどに伝わって、わたしは、思い出した「生」のエネルギーで喉元までパンパンに膨れた。
休憩時間、会場に知り合いは沢山いたのだけど、この身体に水をさすのが嫌で、椅子に座ったまま、一言も喋ることができなかった。目の前では、次にやるパフォーマンスのため、杉山至の美術が準備されていた。中央より下手に、古い窓が吊るされる。床には砂が撒かれ、アンティークの座卓が置かれた。座卓の上には、大量のA4用紙。の上に、大きな流木が、ズン、と鎮座した。座卓の引き出しは、片側だけ開いていた。照明で影が生まれる。そこには、不在の在。気配のある、美術だった。
後半は、今日この美術を初めて観た知念大地が、ここで踊る、ということだった。京都府久美浜に訪れた知念大地が、豪商・稲葉家の旧邸宅に立ち寄ったとき、蔵の資料館で、沖縄戦で亡くなったその家の息子の遺品を見つけた。息子が命を落としたその場所は、まさに、知念大地がかつて長く過ごした土地だった。亡くなった彼と出会い直すように踊ったその日について、知念大地が書いた日記。それを、知念史麻が朗読し、その録音された声を聞いて、杉山至が美術で応答したらしい。
白い砂は、静かに光っていた。
パフォーマンスは、始まった。知念史麻の朗読の音声が、ひたひたと流れた。
じり、と、知念大地は、砂に立った。
そこからすぐに、時間は濃くなった。
砂を踏んだ場所で、知念大地は、しばらく立っていた。ゆっくりと座る。ゆっくりと足が動く。目の前の身体。そこには、戦没した彼かもしれない、“遠く”の存在に開いている身体があった。“遠く”は、とても遠く、深く、届きようもない奥の次元で、わたしは、確かにここにある知念大地を媒体にして、そこと、通じる時間ができてしまった。ゆっくりと砂の上をうごめく媒体越しに、遠くを含む時間はすべてひとつで、わたしは、そうだ、これだった、と思った。こういう踊りと、ずっと、いたかった。これまで生きてきた間には出会えなかった、でもどこかにはあったと知っている、踊りの時間。いつの間にか、知念史麻の録音の声は、彼女の肉声に変わっていた。起き上がった知念大地は、砂から、少し離れたところに立ち止まった。知念大地の向こう側に、海の存在が聞こえた。しばらくして、風が通りすぎるように、踊りはやんだ。
時間としては、きっと短かった。灯った火が、消えるまでを眺めていたような時間だった。そして、最初から最後まで、置かれた美術には一切触れられなかった。充分だった。
やがて、鑑賞した者たちに、感想を求める時間になった。こういう場では、だいたい質問をする方なのだが、全くできなかった、というか、したくなかった。身体から何もこぼしたくなかった。言語化する頭にいくことで、身体の記憶を薄めてしまうのが嫌で、誰かの質問や感想を身体の外側で聞きながらずっと、自分の鎖骨に両手をねじ込み、押し下げていた。身体の中の時間が、上にいかないように、留まるように。
誰かの感想をBGMのように聞いていたとき、いつの間にか、母が、私の前で泣いた日のことを思い出していた。今回の踊りにも、感想にも、全く関係はない。それなのになぜかじわじわと、そのことが腹の下から沸いて、当然のように、ぽろぽろぽろと、涙が流れた。身体が熱くよじれた弾みで、奥で固く結んでいたものを解いてしまったような、妙な体験だった。
ある舞台芸術関係の方が、感想を述べた。客席のこちらが感受し始めたところで終わってしまって勿体なかったので、もっと観たかった、わたしが制作だったら、もう一度やることをお願いする、というような主旨だった。私は発言した方を知っているし、言わんとする意味も分かったのだけど、反射的に、「それはやめてくれ」と思った。しかし、景の会の知念大地以外のメンバーも、もう一度やる方がいいねと賛同し、2回目の踊りを準備する流れになってしまった。
みぞおちが苦しかった。そのオーダーをできてしまうほど、「劇場」はそんなに偉いのか。1回目の時間は、劇場という空間、に置かれたコンテキストのある美術、に、居合わせた知念大地、による、遠いものとの尊い時間だった。確かに、それは、「劇場」という文脈の期待(客席を含む劇場空間を飽和し、満足するレベルにまで変容をしかけていく)に律儀に答える時間ではなかった。でも、だからそれがなんだ? 尊いのは、そこに起こったあの時間、媒体となる身体に立ちあってしまった、この空間を含むわたしたちの身体じゃないのか。その時間を、その身体を使おうとするな、消費する気か。と怒りが込み上げた。いや、本当は、あの瞬間に確かにあった、一回限りのわたしの、亡き彼かもしれない、遠くとの通り道を、穢してくれるなと思ったのだ。こんなに苦しいのなら、2回目を観る前にもういっそ帰るか。と思ったけど、この後に起こることを観ないのも悔しく、何か、とてつもない罪をおかすような気持ちを必死に堪えて、席は立たなかった。
2回目の踊りが、始まってしまった。
時間は不可逆で、あったことはなかったことにできない。わたしたちは、もう一回目には戻れない。変質してしまった空間で、知念は、下手奥、窓の後ろにぽっかりと、立っていた。窓にぼうっと顔が透ける。窓枠に手が触れた。まだ、時間と彼は並行している。でも、じわじわと空間が攪拌される予感があった。机の上の流木を見つめる。手が、流木にそっと触れた。それを、大きく抱きかかえた。砂の上で、死を、抱いている身体が、そこにはあった。時間は重い。そのまま、客席の方に向かってくる。彼は立っている。知念大地とわたしの間に、亡き彼、あるいは死、があった。さっきは、すべてを含む遠い遠い、はるかなもの、透明な、やわらかなものだったのに、いま間にあるそれは、大きな、固い、黒い、絶対だった。わたしはそれを直視しなければならない。そして、わたしの、わたしたち観客の眼差しは反射して、照り返された。照り返される眼差しも、わたしは直視しなければならない。暴力的な目、エゴイスティックな目、己の文脈で目の前のものを食いちぎる目。どこかで自分のオーガズムに結び付けようとする卑小な目。本当は見たくない、でも、誰にもないとは言わせない、眼差しの暴力。それを反射して、叩きつけるように、知念大地は、死を抱いて立っていた、彼は、この空間にうずまく、劇場の暴力性すらも、ただただ、真正面から抱いていたように見えた。やおら、墓場で遊ぶように、砂が撒かれた。砂が散った。
二回目のパフォーマンスは、また、やんだ。
一体、わたしのこの眼差しはなんだったのか。「二回目を、観ることができてよかった」というしかない。そのことがとても苦しかった。
劇場が、歴史の中で必要とされた。そのずっと前から、身体はあった。芸能が風のように始まる、その前から脈々と伝って来た、身体と世界の呼応に立ち会ってしまった時間だった。これを、劇場の文脈から語られることは、どれほどの意味を持つのか、ちょっと正直よく分からない。この踊りの時間が今存在するならば、劇場は今、どういう態度で存在できるのだろう。
「空間の変容をきく」というお題は、とうに超えていた。
知念大地の踊りを観たい、という人はこれからもっと、増えるはずだ。彼の踊りが、劇場で発生するべき、劇場でなければならない時間となって、この世界に出現するところには必ず立ち会いたいと思う。それは、身体と空間の、どのような交差なのか。その時、劇場は、空間は、どう変容を許すのか。
※2021年11月3日(水・祝)に開催した「vol.3 空間の変容をきく」への応答