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KAN 詞の世界 vol.1「KANとの出会い」

 2023年11月17日。KANさんがその5日前の12日に鬼籍に入られたことが報じられました。ファンになって30余年。青春時代から現在に至るまで、その楽曲だけでなくラジオや文字媒体などで通じて知った人柄や考え方も含めて「僕の人生に最も影響を与えた人物のひとり」と言っても過言ではありません。
 
 生きていくうえでの大きな根幹が失われ、何をするにも力が入らない時間を過ごしていましたが、自分が愛したものを総括するために"何か"を残さなければ…と思い立ち、パソコンに向かっています。
 少しばかり音楽をかじっていますので楽曲に関する解説をしてみようか…と思いましたが、それはKANさんの生前から多くの専門家の方が色々とやって発信されています。それにKANさん本人がウェブや雑誌などで語ってきているので、あえて僕が語る必要もなさそうです。そこで主に「詞」の面で自分が感じたことや受けた影響を記していこうと思います。こちらも「KAN詞集 きむらの和歌詞」という本が出版されてはいますが、このnoteはあくまで第三者の視点で分析するものということを念頭に、生暖かい気持ちでお読みいただければ幸いです。
 
(以降は敬称略で書きます。ご容赦ください。)



出会いは中学校の放送室


  多くの方がそうであるように、僕が初めて手に取ったKANのアルバムは大ヒット曲「愛は勝つ」が収録された「野球選手が夢だった」でした。
 関西出身の僕は、KANを「FM802」のパーソナリティとして認知していましたし、とにかく「愛は勝つ」がテレビだけでなく、街中でガンガン流れていましたので、何度もその声を耳にしていました。

 実は僕自身も「教会のオルガン弾き」だった伯母や、その弟でクラシック音楽が好きな父親の影響で3歳からピアノ教室に通っている「ピアノ弾きの端くれ」です。そのせいもあり小学生の時からビリー・ジョエルを好んで聴く、かなり生意気な幼少期を過ごしていました。
 愛は勝つがヒットした当時、僕は中学生。思春期真っ只中の僕はこの曲の「信じることさ 必ず最後に愛は勝つ」というどストレートな歌詞がどうにも受け入れられず…しかしメロディや、KANのピアノを弾く姿にビリー・ジョエルっぽさを感じて「嫌いにはなれない」…そんな感じだったと記憶しています。

 そんな僕が「KANという沼」に足を突っ込んだ時のことははっきりと覚えています。ある日、中学校の放送室に入ると1枚のCDアルバムが調整卓の上に置かれていました。草野球場にポツンと男が立っているだけのシンプルなジャケット写真に、黒字で「野球選手が夢だった」の文字。「うわぁ、だせぇぇぇぇ」と思いつつ、気になっていたアーティストのアルバムでしたので、「ちょっと借りて聴いてみるか」とそのまま鞄の中へ。
(結果30年以上お借りしています。すいません。)
 
 帰宅後に、なけなしの小遣いをはたいて買った「DoDeCaHONE(ドデカホーン)」というCDラジカセから流れてきた「愛は勝つ」。よくよく聴くと”転調を繰り返したあげく、最後のサビでジャンクション無しに突然「全音上げ」という荒業を繰り出しているにもかかわらず、違和感なく音が耳に入ってきて、なおかつテンションが上がる「とんでもない良質ポップス」"だということに気づきました。
 その後もヴァース(J-POPでいうところのAメロ)の繰り返しのみでサビの無い「千歳」、DuranDuranを彷彿とさせるチャラチャラポップス「健全 安全 好青年」、ビリー・ジョエルの「イタリアンレストランで」を完璧にパクオマージュした「1989(A Ballade of Bobby & Olivia)」、締めにはしっとりとしたピアノの弾き語り「君が好き 胸が痛い」と続きます。
 KANの音楽センスを波状攻撃のように浴びた僕は、この時点で「KAN沼」に腰まで浸っていました。

複雑に構成された青春ドラマのような詞

 「なんだもっと早く聴いておけばよかった」。
 愛は勝つによる「応援歌的J-POPの人」という先入観でKANを避けていた僕はかなり後悔しつつ、今聴いたCDの中で特に気になった曲「けやき通りがいろづく頃」を歌詞カードを見ながらもう一度聴き直しました。
 歌詞の中に「きみ」「僕」のほかに「彼」「あいつ」と4人の登場人物が出てきたのはなんとなく把握できたのですが、初見ではいまいち関係性が把握できなかったためです。

 聴き終えて…やっぱり理解できませんでした。もちろんそれは僕が人生経験の少ない中学生だったことが大きな要因なのですが、くやしかった僕は今度は歌詞カードとにらめっこし、ノートに相関図のようなものを書いてようやく全容を把握しました。

 友達(あいつ)に好きな女の子(きみ)がいて、僕は"きみ"と2人で話している。僕は"きみ"から「別の"彼"ができた」ことを報告をされる。僕は「"きみ"は心配しなくていいよ。僕からあいつに伝えておくよ…」という話。

 中学生とはいえ、いや思春期の中学生だからこそ友達の惨めさはよくわかりましたし、なにしろ”けっこうな数の曲を聴いてきた”と自負していた僕も、こんな歌詞に出会ったのは初めてでした。 
 あんな美しいストリングスまで使って、こんな平凡な恋愛の一場面を描くのか…しかも第三者視点で…
 当時の僕はもっとドラマティックなことや、文学的なことを綴るのが詞だと思っていました。この曲はあまりに日常的、しかし全体的に漂う美しい世界。こういう表現があるのか!当時の僕にはかなりの衝撃でした。

 この歌との出会いが「歌詞」というものに興味を持ち、その後に自分でオリジナルの詞を書く起点となりました。

 さて、実はこの時僕の頭の中には「実は主人公の"僕"も"きみ"が好きだったんじゃないか?」という疑念がよぎり、それは今も解決されていないのですが、何はともあれ僕は一気に「KANという沼」に頭のてっぺんまで浸かります。

大事なことはすべてKANに教わった

 あれから30余年、僕は今でも素人ながらピアノを弾き、曲を作り、詞を書き、歌を歌っています。そのギミックは恥ずかしいほどKANに影響されたものです。さらには「人を愛するとはどういうことか」「人生を楽しむにはどうすればいいか」といった人生の指針のようなものもKANの音楽から得て大人になりました。
 
 次回からは1曲1曲をもう少し掘り下げて書いていきたいと思います。

 特に私と同年代(昭和50年代生まれ)の方は、時代背景などを振りかぶりつつ、よければ一緒にKANの詞の世界を楽しんでいただければと思います。そのほうが楽しい。
 


当時の愛機SONY「CFD-700」

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