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エンタメに思想を入れたらエンタメじゃなくなる?

𝕏(旧Twitter)のタイムラインに、作家・マンガ原作者のRootport先生のポストが流れてきました。

「エンタメに思想を入れたらエンタメじゃなくなる」は、思想性の強いエンタメ作品を見た経験が浅いか、エンタメ作品に含まれている思想性から目をそらしているか、鈍感すぎて思想性に気づいていないだけ。

たぶん「エンタメに〝お説教〟を入れたらエンタメじゃなくなる」というほうが正しい。

https://x.com/rootport/status/1834809461979918744


①不要なのは下手なお説教

エンタテイメントと思想性の問題は、良く議論になります。結論としてRootport先生は、こういう形で着地されています。

【修正前】
エンタメに〝お説教〟を入れたらエンタメじゃなくなる

【修正後】
エンタメに〝下手なお説教〟を入れたらエンタメじゃなくなる

https://x.com/rootport/status/1834829119647109139

個人的には、大いに賛同する内容です。そもそも、この議論は昔から繰り返されていて、ゼロイチの極端な意見が出やすいですが。思想性や政治性とか、そんな簡単に割り切れるものなのか、疑問です。

作者本人が入れようと思っていなくても、無意識に混入することもあれば。入れようと思った政治性や思想性とは違う何かが、混入することも多々あるものです。

②ピーマンとニンジンの話

優れた作品って、ピーマンやニンジンが嫌いな子どもに、それが入ってると気付かせず、美味しいと言わせる料理のようなモノではないかと、私は考えています。

例えば、ピーマンやニンジンは栄養があり、子供には必要な食材です。
でも、エグミや苦みがあり、嫌う子供が多いのも、事実です。しかし上手く調理すれば、美味しくいただけるものでもありますから。

子供が嫌うからとピーマンやニンジンを入れないことでも、逆にピーマンやニンジンを「栄養があるんだから、我慢して食え!」と、生のまま食べるように強要することでも、ないんですよね。
どうにも、極端な意見になりがちなんですが。

③ポリコレとエンタメの輪

このような議論が出てきたのは、NHKの朝ドラ『虎に翼』が、各方面で議論を読んでいるから、なんでしょうね。

「虎に翼」が描いた性的マイノリティー 考証担当が称賛の丁寧な表現

 NHKで放送中の連続テレビ小説「虎に翼」は9月末のクライマックスに向け、物語が佳境を迎えている。性的マイノリティーを真正面から取り上げたことでも話題になったこのドラマには、「ジェンダー・セクシュアリティー考証」の専門家がいた。考証を務め、朝ドラを陰で支えた前川直哉・福島大准教授に話を聞いた。

https://www.asahi.com/articles/ASS9C3HR6S9CUGTB00HM.html?ref=tw_asahicom

「虎に翼」が描いた性的マイノリティー 考証担当が称賛の丁寧な表現
https://asahi.com/articles/ASS9C3HR6S9CUGTB00HM.html?ref=tw_asahicom

ポリコレを入れるとエンタメはつまらなくなると言う人がいますが、私はそうは思いません

外部から理論面をサポートすることで、よりリアルで、より色んな人に届く表現になり、作品の完成度は高まります

https://x.com/asahicom/status/1834747355956232430

有料記事なので全文は読めませんが、朝日新聞デジタル公式アカウントのポスト中の〝ポリコレを入れるとエンタメはつまらなくなると言う人がいますが、私はそうは思いません〟はたぶん、公証を努められた前川直哉・福島大准教授のご意見かと思います。

個人的な考えですが、作品に思想や政治性が入るのは、ある意味で当然と思っています。

④ゴジラと七人の侍と政治

作品というのは基本、その時代が抱える問題とシンクロしていないと、大ヒットには至らないようです。時代が抱える問題=政治ですし、政治的な主張の背後にあるのが、思想です。両者は、不可分一体です。

例えば、『ゴジラ』と『七人の侍』が同じ1954年に公開されたのは、偶然では無く。
1952年のサンフランシスコ講和条約によって、国際社会に復帰することになった日本が、東西冷戦に巻き込まれてまた戦場になるのでは…という不安がゴジラに投影され。
国内外の戦後処理をどうするかという問題が七人の侍に、反映されていました。

でも両作品はその思想性や政治性の是非よりも、エンターテイメントとして極上だったからこそ、世界に通用したわけで。
思想性や政治性はなくてはならない栄養素ですが、それを前面に出すのは、稚拙ではないかと思う理由です。

⑤素材の問題ではなく料理

政治や思想に興味はなくても、日々の生活では雇用や賃金、物価などなど、社会人ならば身近な問題に、向き合わざるを得ません。
その身近な問題は、繰り返しますが、政治と直結しています。

例えば、古典作品の芥川龍之介『羅生門』を読んでも、就職氷河期世代は、羅生門の下で雨宿りする下人の、未来に対する漠然とした不安に、共感するでしょう。

AIの発達で自動運転が一般化すれば、あるいは音声読み上げアプリが一般化すれば、タクシーやアナウンサーや声優なら、仕事が減るかも・転職しなければいけないかもと、不安になる人もいるでしょう。そういう人は、ごんぎつねで知られる新美南吉の名作『おぢいさんのランプ』に、ハッとするかもしrません。

そういう、普遍性を古典の名作は持っています。それは政治性であり、思想性であり、好況のときには顧みられなくても、不況のときには再評価されます。エンターテイメント作品とは、素材の問題ではなく料理の問題だと、筆者が考える理由です。


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