発信すること

どうも~千夏です。今日は自分と発信について書きます。
ここでいう発信とはすべてのSNS、サイト、メールなどなど自分の意見を出すこと全般です。
いつものことですが、みなさんは自分に対してどのように思うのだろう、そう思いながら書いています。

noteでこんなに意見を書いている自分ですが、実は中学時代から高校時代前半まで自分の意見を言えない人でした。ネットはほとんどやっていませんでしたし、現実でも意見を言わない人でした。

(新聞投稿やドラマのホームページの感想投稿はありましたが頻度は年に2、3回で割と低かったのです。)

中学生半ば~大学生になるまでは発信することを強く拒んでいた気がします。
小学生時代は学級会で必ず意見を出していました。現在もディスカッションでは意見を言う方だと思います。
中学生になると意見を言うことを恐れるようになりました。中学は小学校のように挙手制がないので自分から挙げないと指されるということはなくなりました。小学生の頃は目立つことがかっこ良いと思っていました。しかし、自分のいた中学では目立つことを言えば目をつけられました。
目をつけられるといってもヤンキーはいません笑
ですが、目立てば無言の圧力に襲われます。
自分がなにか言えば白けるんです。
それが怖かった。


中学入学から一年経った頃
あるクラスメートに話し方、声、顔、存在を否定されるようになりました。

何もかもがコンプレックスとなり、クラス全員が授業内にやる発表すらできなくなりました。
すらすら音読をして褒められることが多かった自分があがり症になりました。

決められていないことを話すのは元々得意ではなかったので案外驚きはしませんでした。 


小学生の頃は目立ちたがり屋だったのに、中3になる頃には気づけば口を開くことすら怖くなっていました。
この頃はまったく「発信」をしていませんでした。

※ネットに触れる頻度は週に2回ほどでしたし、ネットには発信するという発想がありませんでした。


転機は中学の終わりでした。

それは生徒会選挙です。
自分は一貫校に通っていたため中学の終わりに高校の役員決めがありました。
立候補の人数は決まっていて、その人数に達しなければいけない仕組みでした。
立候補者は演説をするのはもちろん、ポスターを作ったり自己紹介を書かなければなりません。

発信するのはもちろん、字を書くのも演説をするのも苦手でした。


ほとんど数合わせでやる人がいないからやるという消極的な理由で立候補しました。
誰も立候補しなければ帰れない、部活に行けない、さぁどうする、というような状況でした。
周りは自分の立候補に驚いていましたが誰より驚いたのはきっと自分だったのではないかと思います。

数合わせで期待されていなかったので結果は気にせずに頑張りました。
手を抜くことはしませんでしたが、「数合わせ」という理由が良かったのかあまり緊張しませんでした。


結果はダメでしたが、構いませんでした。

高1の初めにもう一度立候補したのが演説をやる最後の機会となりました。(これもほぼ数あわせ要員)

そのあと何か特別なことがあったわけではありませんし、クラス発表で躓くことがまったくなかったわけではありません。
けれど発表をすることへの抵抗はかなり低くなったように思います。

高3になると部活を引退していたこともあって目立つことをする機会は減りました。
英会話の授業の発表でもガチガチに緊張していました。
(この頃には声が出せないというレベルは脱していたのでなんとかなりましたがね…)
それでもこの年自分から発信することが一度だけありました。
大好きな本を紹介するために校内のビブリオバトルに出たのです。
制限時間があること、校内なら誰でも見られることこの怖さはあったけれどそれよりもやりたい気持ちが強くてワクワクさえしました。
元々本が好きだったこと、ビブリオバトルに興味があったことも後押ししてくれた要素でした。
中高時代の発表でワクワクしたのはこれが初めてのことです。
あがり症がマシになっていったとはいえ、高校に入学したての頃には考えられなかったことでした。
練習どおりにはいかなかったけれど楽しかったです。
あるSNSを始めたのもこの年でした。
長年自分の意見を言うことをためらってきたのに脳内にはいいたいことがあふれているのだと気づきました。
だんだん発信への抵抗がなくなりました。

今年はTwitterを始めたり、ライブ配信アプリに手を出したり(配信頻度は極めて低いが)と昔ではありえないほど発信できるようになりました。
これからも発信し続けていきます!