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楽しい話をしよう

なんかnoteを書くってかしこまっちゃうな。
今日は気楽に書いてみよう。

1、「note読んだよ」と言ってもらって気恥ずかしかった話

先々週インフルにかかって高熱が出たときに、初めてのnoteをうおりゃ〜って書いた。熱でハイになっていたのと、子を夫が見てくれていたので1人時間の開放感にまかせてだいぶ(私にしては)長文を書いた。そしてInstagramに見てねと書いた。
するとどうでしょう。結構な人数が見てくれたではありませんか。メッセージもいただきました。嬉しいね☺️と思っていたのですが...

土曜日に子どもの通っている幼稚園のイベントがあった。同じ園に高校時代からの友人も子どもを通わせている。で、「読んだよ、今度のもうね」と言ってもらってあっはっはっはっは...
リアル友人、しかも学生時代から私を知ってくれてる人に面と向かって言葉をかけてもらってだいぶ恥ずかしかった。
その後も電話で話した写真家や、地元で絵画教室をする友人にも直接見たよと言われた。
なるほど、絵を見てもらうことと文を読んでもらうことは全く違う。こういう気恥ずかしさがあるのか〜〜 文を書く人は自分をさらけ出しているんだな。すごいなと勉強になった。
恥ずかしくなったので最初のnote以降、インスタで宣伝していない。でも読んでくれた人達からは、共感したよと言ってもらえたから書いてよかったな。


2、娘が自分のことを「わたし」と言い出してさみしい話

うちの子は今4歳。4歳の女児はひじょ〜によく喋る。ところで自分のことは名前で呼んでいたのに、最近「わたし」と言い出した。えっ、ちょっと早くない?たどたどしい名前呼びが可愛かったのに〜 幼稚園に通ってお姉さんぶりたいお年頃なのでしょうか。20歳オーバーで自分のことを名前で呼ぶ女性は痛々しいなと思ってしまうタチなのですが、4歳で卒業は想定外で少し寂しくなる母なのでした。
そういえば私は小学生低学年のころ、自分のことを「うち」というたびに母から庭を走らされていましたね。「うち」が流行ってたんです。矯正も大変ね...

3.SNSとの付き合い方の話

最近は結構意識してSNSを動かしてみている。得意じゃないけど、少しでも絵を見てもらえる機会を増やしたいので、足掻いてみているところ。絵を描いてるだけで見つけてもらえるなら1番いいんだけど、知ってもらう努力、見てもらう努力もいるなぁと思って色々実験している。難しくて(フォロワーが増えないとかいいねがつかないとか)心折れそう。
何の力が足りないのか、全部足りないのか。自信をなくしても自分を信じることを諦めてはいけないよね...と自分を励ましつつ...

スレッズを見ていて色んな人が言っているのが、Instagramのアルゴリズムが変わって、フォロワー以外にリーチされにくくなってたり、フォローされてても表示が減っていいねがつきにくくなったという話。へー、じゃあインスタで新しい層に見てもらうのはもう難しいのかぁ〜 
それにしてもどのSNSも結局うまく使えてない私はスタンスを変えることもできず、投稿をし続けてみるしかないのだなと思う。瓶に手紙を入れて海に流すボトルメールみたいに、メッセージを流すだけ流して共感してくれる誰かが受け取ってくれたらラッキーだと思う。


結局あんまり楽しくない話になっちゃったな。

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