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そもそも論と向き合え逃げるな

「そもそも」という言葉を知っていますか。Googleで検索するとこのように出てきます。

1.《接》説き起こす時に使う語。
 「―人間というものは…」

2.《副》元来。
最初から。
 「それが―いけない」
《名詞的に》 物事の初め・起こり。
 「―の始まりから」

私は議論の中でこの言葉を用いられると、二つの考えが浮かんできます。

ひとつめ。味方になろうとしてくれている。

ふたつめ。敵になろうとしている。

レモンと聞いたら、あ、黄色いよな。ではなく、あ、酸っぱさを思い起こし、口の中が潤ってくるような、いわゆる自動思考に近いです。で、大体はひとつめなんですよね。そもそもの根本から頭の中できちんと組み立てて、今、最適な結論を出そうとしてくれる人がほとんどです。すごく良い人たちに恵まれています。で、ちなみに私も前者であろうとはしています。

ですが、どうしても頭の中で、「いや、そもそもこれって...」と、ネガティブな方向に行ってしまうことが最近増えてきました。歳を重ねていくうちに、経験則で物事を捉えるようになってきた、そう思います。そのせいでポジティブな部分もあるのですが、ネガティブなことも多く、「チャレンジすればいいのに」を受け止められません。チャレンジする、ということを「決められない」に近いのかもしれません。

チャレンジした分だけ、失敗の数、成功の数があります。成功なんて本当にほんの一握りでしかなくて、正直失敗ばっかりです。意外と自分、全然ダメだな、みたいなとこも沢山ありつつ、なんとか成功の面だけヨイショしながら、自我というものを保っているんです。だから歳を重ねるごとに、失敗することに疲れてくる。「またどうせ」、ダメなんだろうな。だから失敗すら出来なくなっていきます。立派な大人の完成です。わあ、こんな大人になりたかったんだっけ?

だから、最近は頭の中で「そもそも」という言葉と真剣と向き合い、逃げることをしないようにしています。根本から考えることを決してやめることはありません。土壌がしっかりしていないと、高層ビルが立たないように。(上司の受け売りの言葉ですが...)

しかし根本の一歩手前である、挑戦の部分から「筋悪いしやらない方がいい」と思い込むことをやめました。諦めない仲間が居る限り、一緒に頑張っていきたいと思います。

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