人生で初めて同じ吃音症の子と喋った日
「吃音症の人になんか会うもんか」
「絶対会いたくない」
「なんでわざわざ会わなきゃいけないの?」
初めてそう思ったのは確か小学生の時。学校ではなんでも友達の意見に合わせるし、家でもそんなに自分の思いを言う方じゃなかったはずなのに、
ここだけは頑なに絶対いやだった。
つい最近まで吃音の子と絶対会いたくない、
吃音の方が喋っているのさえ見るのが怖かった私が、
初めて同じ境遇の子と目を合わせたあの日までの物語。
吃音の子に会いたくないと言った日
小学生の時、キッチンで包丁をリズムよく鳴らすお母さんの姿を見ているのが好きだった。いくらでも立って見ていられた。校長先生の話と違って脚の痛さなんて気にならないくらいね。お母さんの周りをうろちょろして料理の音をバックミュージックにしていろんな話もした。ただ座って話をする時間より大好きだった。
でもあの日のあの時だけは、急にお母さんの近くを離れたくなった。
お母さんのことがちょっとだけ嫌いになった。
だって、
「ちな、今度吃音症の子どもたちが集まってキャンプするイベントがあるんだって」「一緒に行かない?」
ってお母さんが言うんだもん。
なんでそんなこと言うの?が一番最初に頭に浮かんだ言葉だった。
<お母さんは私を吃音症の子として見ているの?>
<お母さんは私の喋り方を変だと思っているの?>
<だから吃音症の人たちの集まりに行ってなにか変えようとしてるの?>
私だって、喋ろうとするたび言葉がなんか上手く出ないから、
吃音症なんだって小学生ながらにちゃんと理解はしていたけど、
恥ずかしい、自分は違う、自分はそんなんじゃないってプライドが強くて、(私が一番吃音症だって日常生活の中で喋るたび意識してるのにね笑)
自分と吃音をどうしても結びつけたくなかった。
もうここまで来たら、小学生の意地だね笑
普通の子でいたかったし、友達にも、先生にも、お母さんにだって、
ちなは普通の子だよって言いたかったし、そう思ってほしかった。
「吃音」=「やばい」の公式が、
どんな算数の公式よりも頭にこびりついてたから。
だからこそ、大好きなお母さんに
「キャンプに行かない?」って言われたことが、
ちなは普通の子じゃないって言われた気がして悲しくて悔しくて恥ずかしかった。
お母さんは、家ではお喋りなのに学校ではちなが静かだから、
同じような子と一緒だったら楽しく自分らしくお喋りできるかなっていう
優しさで言ってくれたみたい。これは最近知ったこと。
でも私がすぐ真顔で、「いや、行かない」って言ったから、
ああ、これは本当に行きたくないんだな、もうこの話やめようって、
お母さんは、「そっか、わかった」って、この話をそうそうに終わらせてくれたみたい。
この時、お母さんはどんな気持ちだったんだろう。辛かったかな。。
吃音症の子となんか友達になりたくないよ、、って。
これが本音。
(↑性格悪いけど、本当にそう思ってた。)
学校では、“皆と同じ”から外れたら一気に仲間外れだから。
同じ吃音症の方を見たくないという思い
私が高校生くらいになると、吃音症のことがニュースで取り上げられたり、
吃音症の方がテレビに出演するようになった。
今は取り上げられたら、広まっていて嬉しいと思うけど、
高校生のちなは吃音症が広まっていくのが、嫌だった。
毎日必死に吃音を隠しているのに、吃音の話し方が広まるせいで、
私の喋り方を見た友達が、吃音だって簡単に分かってしまうと思ったから。
どうしてこんなに毎日、普通の子でいる為に頑張っているのに、
吃音だと知られる近道が作られていくのが苦しかった。
朝学校に行く前に今日の面白いバラエティーやドラマはなんだろうとルーティンになっていたテレビ欄チェックも、
ふいに目をやった先に吃音の文字があると、それだけで苦しかったし、
絶対にそのチャンネルはつけたくなかったし、次の日の学校が怖かった。
ちなちゃんって吃音なの?って言われるのが怖くて、
友達と話す第一声はいつもより緊張した。
吃音の方が喋っているのを見るのが辛い
中学生・高校生の時が一番辛かったという人が多いけれど、
私は大学生で一人暮らしを始めた時が一番辛かった。
その時Twitterでつぶやかれている同じ境遇の方の言葉に救われた、
という話はしたけど、
同じつぶやきでも、YouTubeの動画は怖くてクリックできなかった。
人差し指を画面につけたら、つっかえながら喋る大嫌いな自分と対面しなきゃいけないみたいで怖かった。
これは共感性羞恥心っていうらしい。どこかで見た。
見れたとしても、言葉に詰まっているのを見ると、
顔に力を入れて頑張って出そうとしている身体的な辛さと
見られているという精神的な辛さを、自分の事のように感じてしまって
見ていると辛くて辛くてしょうがなかった。
少しずつ変わり始めた、吃音症のイメージ
そんな私の中のイメージを変えたのは、
間違いなく注文に時間のかかるカフェだった。
接客の夢をもつ吃音のある若者が一日限定でカフェ店員に挑戦するというものだ。
今まで、吃音症として取り上げられるのは、比較的吃音の症状が重い方が多かったし、(テレビでは伝わりやすさを大切にするからなのかな?)
ネットには吃音症は男性が多いとも書いてあったから、女の子で吃音症なのがずっと恥ずかしかった。実際、テレビにも男性が出演することの方が多かった気がする。
だけど注文に時間がかかるカフェを初めて動画で見たときは、私の知っている動画の雰囲気とは全然違った。
とにかく雰囲気が明るかった。軽い感じがした。
自分と同じくらいの女の子がやりたいことに向かって挑戦する姿、
自分の言いやすい言葉に変えて一見吃音ぽく見えない子もいて、
私と同じだ! 一人じゃない! って初めて思えた瞬間でした。
それから、100%抵抗がないというわけじゃないけど、
吃音の方が喋っている動画を見ても、特別なにを感じるわけでもなく、
普通に見れるようになりました。
そして小学生の時にあれだけ吃音の子と会いたくないと言っていた私は、
なんと6月に注文に時間のかかるカフェにお客さんとして行って、
同じ吃音を持つ中学生とお話ができました。
お話と言っても、人見知りな私なので、ほんの一言二言ですが、私にとってはとても嬉しい会話でした。
「素敵な接客ありがとうございました」
勇気を振り絞って言った初めての言葉。
こんな日が来るなんて本当に想像していなかったな。
きっと注文に時間がかかるカフェを通して吃音症の方に会いに行けたのは、
私が少しずつ自分の吃音症を受け入れている証拠なのかなと思います。
まだまだ吃音症は嫌いだし、厄介者だけど、付き合っていかないといけないもんね。
私が極度の人見知り&一人好きだから、
あのカフェ以外でまだ吃音症の方と会うのはまだちょっと怖いけど、
少しずつ、少しずつ、同じ境遇の方とまた会いたいです。
人ってなかなかすぐは変わらないっていうけど、
変わるときは変わるんですね。
注カフェで私とお話ししてくれた中学生の方、
注カフェを開催してくれた奥村さん、
私に初めての経験をありがとうございました。
え、こんなに書いちゃった。また長くなっちゃった。
なんなら昨日より長くなっちゃったよ。
何も考えず頭に浮かぶままキーボードを打ってしまいました。
勘弁してほしいですね(笑) ごめんなさい。
ちな
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