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群盲、象をなでる

多くの盲人が、手を伸ばして象を知るために集まっているとします。 
多分、自分は多くの盲人により、突き飛ばされたりして、 
そばによって象に触れなかった盲人です。 
ゆえに、象について、触覚で語ることは出来ず、 
匂いとか、音とか、雰囲気でしか語れません。 
多くの盲人が自分の触った感覚と、それまでの経験から 
導き出される物事を推測して、象とはこう言うモノではないかと 
言うのですが、自分は盲人にとって、 
とても大事な触覚で感じていないので、 
象は本当に居たのかと、懐疑的に感じます。 

スピリチュアルとか、神とか、信仰とか、そう言うものは
この象の様なものではないかと思います。

毎日、普通に仕事をしていると、
大きさは異なりますが、
トラブルや、事故、不具合は発生します。
現実世界で何十年も、
そのようなトラブルや事故、不具合に対応してきた
自分は、上司や先輩から、何時も言われた言葉があります。

神頼みして、事故が無くなるのか!
神頼みして、不具合が無くなるのか!

そう、上司や先輩からたたき込まれて仕事をしてきましたので、
自分で何とかするしか、仕方がありません。

皆さんも仕事をしていて、そうは思いませんか?

盲人は盲人なりに、世の中に関与して生きてきました。

ただ、スピリチュアルとか、神とか、信仰とか、
そう言うモノは信じなくても、
ちゃんと企業の中で、世の中と正しく向き合って、
利益を出し、部下を育て、
企業も大きくしてきました。
スピリチュアルとか、神とか、信仰とか、精神世界を
信じている人にとっては、自分がしてきたことは、
精神世界に比べれば、些細なことかもしれません。

精神世界で、何か、なし遂げたり、
神を信じたり、信仰を日々行ってみたり、
スピリチュアル世界を知って、
精神的にランクが上がったとしても、
引き寄せの法則などで幸運を引き寄せても、
でも、それは他の盲人の為になっているのでしょうか?

少なくとも、自分は自分の目の前の人には真摯に対応してきましたし、
自分の持てる能力や技術、知識、知恵は全て、譲ってきました。

多くの世界を見てきました。
22才の時に感じたイラクのモスリムの考え方、
その後、スリランカで感じたキリスト教徒や仏教徒の考え方、
日本に戻ってからも、色々、聖書や仏典、コーランにも触れてみました。
その他、スピリチュアル系の本なども沢山読みました。
それぞれの宗教にも色々、時代による変遷があったり、派閥があったり、
矛盾があったりして、特にキリスト教の排他的な感覚、
スピリチュアル系の安易な話と数多くの矛盾、
他の宗教からの借りてきた言葉の数々、
それで、世界は変わるのでしょうか?

自分が出来ることを、自分が出来る範囲で、コツコツと行っていくことが
人として、人を救える、唯一の方法ではないでしょうか?

ブッタやキリストやマホメッドでもない、
普通のサラリーマンが、彼らと同じように出来るはずもありません。

自分が出来ることを、自分が出来る範囲で、コツコツと行っていくことが
人として、人を救える、唯一の方法
ではないでしょうか?

神や精神世界や宗教やスピリチュアルを信じて、
世の中に関与できるなら、
今の世の中、トラブルも、事故も、不具合も、
ましてや、戦争など起きるはずがないのに、
実際の世界は違いますよね。

神を信じたり、スピリチュアルを信じたり、
宗教を信じたりしている人々は、
今の世の中をどのように見ているのでしょうか?
ほんとうに疑問です。

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