リレー小説 試衛館の日々(1)
また、リレー小説を始めました。
名称は「試衛館の日々」と言います。
どなたでも、どこからでも、参加フリーです。
皆さんの、思うように書いて頂けると、ありがたいです。
文久元年(1861年)近藤勇が試衛館の四代目を襲名しているので、文久元年から文久三年頃までの間の話。
出だしはここから。
試衛館の日常でしょうか?
貧乏道場らしい・・・
わびしい食卓。
水戸藩士、芹沢雉太郎こと、下村嗣次は出自、出生年に諸説あり。
まぁ、後の芹沢鴨ちゅうことだな、で良いのかな?
沖田惣次郎に似た弟がいて、下村嗣次は試衛館を仲間にしたと言う俗説もあるが・・・
近藤先生、勝先生に教われるのは、すごいことですが・・・
ううん?
誰だ!
ここで分岐①
露西亜か? 阿蘭陀か? 露西亜だ!
Алексей Николаевич Куропаткин(アレクセイ・ニコラエヴィッチ・クロパトキン)文久二年当時、14才。ロシア帝国陸軍大臣、日露戦争時のロシア満州軍総司令官。
Анатолий Михайлович Стессель(アナトーリイ・ミハーイロヴィチ・ステッセリ)文久二年当時、14才。日露戦争においては旅順要塞司令官、ロシア関東軍司令官。
分岐①-①
露西亜だった。
榎本武揚、文久二年当時26才。文久二年にはオランダ留学中のはず。
佐藤政養、文久二年当時41才。文久二年(1862年)に大坂台場詰鉄砲奉行、元治元年(1864年)に神戸海軍操練所を司り、14代将軍徳川家茂の大坂港視察に帯同した。
寺尾安次郎、生年不詳。文久三年以降、試衛館の留守預り。芹沢鴨暗殺の手紙を送る。
分岐①
分岐①-②
Зиновий Петрович Рожественский(ズィノーヴィイ・ペトローヴィチ・ロジェーストヴェンスキイ)文久二年当時、14才。日露戦争においてバルチック艦隊(第二・第三太平洋艦隊)の司令長官。
続くか?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?