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今日は父の日


だから、今日は父のことを書いてみます。

昭和の父でしたね。
三菱電機に定年まで働いてました。
高度成長期とバブルも大手電機メーカーに勤めていたので、社会的経済的には安定していたと思います。

「思います」っていうのは、そういう実感がなかったから。

どこのうちもマイカーを持っていましたが、
車の免許も取らず、オートバイで自分だけ出掛けるような人でした。
倹約というより、異常にお金を使わない人でした。


家計のどこを締めて、どこに使う、というメリハリがなく、つまり何を大事にしたいか、がはっきりしてなかったのです。
父のケチケチぶりは、いろんな話しがありますが、また、別の機会にします。


母が私を産んだ歳に統合失調症を発症しているのですが、父は子どもに、母の病気を説明しなかった、出来なかったのか。
いや、する必要があると思ってなかったのかも。

以前、従姉妹がお母さんをがんで亡くした時に、叔父が全く説明しなく、亡くなってから聞いたって、高校生と中学生だから十分理解出来る年齢だけど、父方の家はそうなのかもしれない。

うちの場合は、精神疾患という、当時は今よりも偏見が強かったから、説明することが更に難しく、また、父自身も医者から適切な説明を受けていたのかどうかも不明です。

でも、もう少し家族それぞれの気持ちに寄り添ってくれても、と大きくなってから思いました。

小さな頃は、子どもなりに必死で、授業参観や運動会や、卒業式に家族が誰も来ないことを、どう友人に説明しようかと考えてました、聞かれてもいないのに。

何となく、自分が自信がない感じになるのは、こうゆう背景があったからかな、と思います。
そういうと、人からは、自信が無さそうには見えない、と言われますが、それは、私が子どもの頃に頑張ってたように、頑と張った感じにしてるのかもしれません。

だから、繊細で敏感になりやすいのかな、と思ったりします。

もっと、根っこがしっかり堂々として、力を抜いた人になりたい。

育った環境を悩ましく思いながら、そのせいにしないで、自分で自分を育てていきたく、育てるのって大変なんだな、と思う。
自分の為に子育て指南書を読もうかしら。

私は、父に、授業参観や運動会や卒業式の前に言って欲しかったんです。
「お父さん、明日行ってあげられなくてごめんね。寂しい思いさせてごめんね。
帰ったら、お話聞かせて(お祝いしよう)」って。

気にかけて欲しかった。
そして、私が頑張れる軸を示して欲しかった。

子どもって、親にパーフェクトを望んでしまうものでしょうか。
ちゃんと働き、きちんと向き合い、優しくて、必要な時に適切な言葉で諭し、導いてくれて…
パーフェクトな人間なんていないし、
自分だって、あの頃の父の歳を追い越してもなお未熟なのに。

そう、歳を経たから、父の大変さもわかってはきた。父なりに、一緒懸命やってくれたんだろうなって。
家族を路頭に迷わせることなく、一家の大黒柱の役目を果そうとしたんだって。
そのことに感謝しているし、亡くなった今、
やはり懐かしい。

ただ、もう少し、いろんなこと話したかったね、
お父さん。

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