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「謝」という言葉の二面性

おはこんばんにちは、ちむです。
今日もたらたらと書きたいこと書いていきたいと思います。

本日のテーマはタイトルにもある通り「謝」という言葉の二面性についてです。「謝罪」と「感謝」ですね。この2つについて書いていきます。

僕は「ごめんなさい」が好きではありません。僕は悪いこと(罪)をされていないという自覚であってもだれかに「ごめんなさい」を言われると、悪いことをされた気分になるからです。
なので、僕は普段の生活で「ありがとう」で伝えるように心がけています。「ありがとう」という言葉は些細なことでも感情がプラスに働きやすいので、言われた後のことを考えて、使うようにしています。その理由とか裏付けとか書いていければなというところ。

謝罪の文化

日本人の特徴だと思いますが、ついつい「すみません」「ごめんなさい」って言いがちですよね。英語だとsorryという単語になるわけですが、洋画を見ていてもそんなにsorryという言葉は出てこないです。でも日本人は何かに付けて謝ってしまう。
みなさんもこんな経験ないですか?

  • エレベーターでひらくを押してくれた人に対して「すみません」と言いながらエレベーターを降りる

  • 通行人と対面して同じ方向にかわしそうになってしまったときに道を譲られたときに「すみません」といいながらすれ違う

  • 電話の末尾に「すみませんけどよろしくおねがいします〜」と言って切る

上記の様なことって生活してる中で往々にしてありうることですよね。僕はこれ全部なんで言っちゃうんだろうって思ったんですけど多分日本の文化が裏でよくない働きをしているんだと思います。

「迷惑をかけないように」という教育

昔から母親に口酸っぱく「人様に迷惑をかけないようにしなさい」と言われ続けてきました。たぶんほとんどの家庭でも同じようなことを言われていると思います。
ただ僕はこの母の言いつけを中学生の頃に破ることにしました。どこで見かけたかはわかりません、インドの家庭での言葉だったと思いますが「あなたは生きていく上で必ず誰かに迷惑をかけて生きていく。だから人の迷惑を受け入れていくようにしなさい」的なものだったと思いますが、「そっか、前提が違うんだ」ということを感じました。
日本人は「迷惑をかけないように」、インド人は「迷惑はかけてしまうから」という前提の違いがあって、これが日本人は「謝罪」になってしまうんだなと。
迷惑をかけないような前提であるが故に、「迷惑をかけてしまいました、ごめんなさい」となる。
でもその前提が「迷惑はかけるものだ」という前提だと「いつも迷惑を受け入れてくれてありがとう」もしくは何も言わないという論理ですね。
生きていく上で必ず迷惑かけてしまうから迷惑をかけないようにではなく、迷惑を受け入れられるように生きていこうという決心のタイミングでした。

「謝罪」と「感謝」どっちがいわれて嬉しいですか?

単純に「ごめんなさい」と「ありがとう」どちらが言われたときに嬉しいですか?
もちろん全部が全部「ありがとう」で済むなら「ごめんなさい」という言葉は生まれていないわけですし、必要なときがあるので、ケースバイケースですが、それはさておき「ありがとう」って自己肯定感上がりませんか?
何気ないことでも、当たり前のことでも誰かに「ありがとう」と言われると自分が認められた気分になります。
科学的観点でもたしか、褒められるとなんか脳のいい感じの物質が出て(たぶんドーパミンだったと思う)、幸福感に満たされることは証明されています。
幸福感にある中での行動や言動はセットで存在することで自己肯定感になりやすいなという持論です。
美味しいもの食べてるときとか幸せなことを感じているときって、反復したくなるじゃないですか?
それって自己行動を認めていないとできないので、自己肯定感につながってるっていうロジックですw

上記もあって、僕は「ありがとう」と言われるのが好きです。もはや「ありがとう」と言われたいために生きてるとまで言っても過言ではないです。
必要とされて(もちろんそれが僕にベクトルが向いてないものだとしても)、自分の行動がその願望に応えられたと思うと承認欲求が満たされるのです。

「ありがとう」に言い換えてみてほしい

前段落で述べた僕が嬉しいと感じる同じレベルで他の人が「ありがとう」を嬉しいと感じるかはわかりませんが、僕がされて嬉しいことは他者にもしていきたいので、ごめんなさい→ありがとうという言い換えを可能な限り徹底するようにしています。さっきの例で言えば

  • エレベーターでひらくを押してくれた人に対して「ありがとうございます」と言いながらエレベーターを降りる

  • 通行人と対面して同じ方向にかわしそうになってしまったときに道を譲られたときに「ありがとうございます」といいながらすれ違う

  • 電話の末尾に「お時間ありがとうございました、引き続きよろしくおねがいします〜」と言って切る

といったところでしょうか。
単に「ありがとう」に変えただけどとても前向きな気持ちになりませんか?僕はあまり人に対して怒らないタイプなので、それも相まって「ごめんなさい」案件も「ありがとう」にされたほうが嬉しいタイプです(極端)

例えば、待ち合わせ僕が先についてて、相手が10分くらい遅れたときに、「待たせてごめん」と言われるよりも「10分も待っててくれてありがとう」と言われる方が嬉しいです。正直待ち合わせ時間にちゃんと来なかったほうが悪いわけなのですが、定刻になったらその場を去ってもいい権利は僕にあるので、その権利を行使しなかった選択をしたのは自分ですし、謝られるほどのことではないという感じですね。
あとは僕はそういう10分もなにか違うことをする時間ができたラッキー!って思うタイプなので、遅れそうっていう連絡が相手から来たら「あ、丁度○○したかったし、10分くらいあると助かるから大丈夫だよ!気をつけて!」という連絡をするようにしています。
※もちろん僕も怒ってるときはあるのでそのときは謝ってほしいし、相手を怒らせているときはちゃんと謝ります(笑)
そのあともその人と過ごす時間は存在するわけですし、最初から良くない雰囲気にするよりは、より良い雰囲気にしたいという心理もありますかね。

賛否両論だと思いますがここまで読んでくださってありがとうございました。また3000字近いものになってしまった…w

もし「謝りグセ」あるなという人いたら可能な限り全部「ありがとう」にしてみてはいかがでしょうか。
面白いもので「ありがとう」をたくさん言うようになってから、「ありがとう」とよく言う周りの人を意識できるようになりました。
持論ですが、「ありがとう」をたくさん伝えられる人はマインド(あらゆる思想の前提)自体が素敵な人が多いと思っているので、そういう人たちが近くにいると自身に良い影響を及ぼしてくれることが多いはず…!

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