見出し画像

「変わっている」ということ

どうもちむです。今日は昔からよく言われる「変わってるよね」という言葉について感じていることを中心にたらたらと書いていきます。言われたことある人は是非読んでってください〜

日本人的「変わってる」

みなさんは、「〇〇(あなた)さんって変わってるよね〜」と言われると一言目になんて返しますか?

「いやいや、全然普通ですよ!」っていう人がほとんどなのかなと思ってます。

間違いとか正解があるわけじゃないんですが、「普通」という「変わってる」という言葉に対して否定を表す言葉を使う方が多いのではないのかなと思います。これはとても日本人的だと思っていて、「みんなと同じ」がよしとされて育ってきたからなんですよね。
これは「みんなと同じにしなさい!」と直接的に教育されたわけではなく、文化の中で間接的に刷り込まれてきたというのが言葉として正しいかもしれません。
「迷惑はかけちゃいけない」「手を挙げないと意見を言っちゃいけない」「みんながこうしてるから自分もこうしろと言われた」「本音と建前」…等々、こういった経験や言葉が今までのあなたの人生において、周りに溢れてませんでしたか?
日本人的文化の特徴かつ、そして厄介なのが、これをみんなが当たり前だと思って生きていること。「みんなと違うことは異質だ!」と全体と異なる人を排斥する気持ちや動きが出てくる。これにより日本人の良くない部分が顔を出すわけです。
出る杭は打たれるという考え方でしょうか。そもそもこのことわざもえぐいっすよねぇ。杭は出てるからこそ刺さるのに、周りと並んでて飛び出してるから「ちゃんと他の杭と同じように刺され」と打たれるということわざなんですよね(解釈間違っているかもですが)。

「変わってること」は正義か悪か

丁度タイムリーに下記のような記事が東洋経済オンラインさんであがってました。お時間ある方は読んでみてください。一部抜粋して文章書きます。
https://toyokeizai.net/articles/-/422892

「自分以外の日本人は集団主義だけれど。自分だけは違う」と5割の日本人が思っているという事です。矛盾するようですが「日本人は、個人主義者による集団主義」となります。

上記が一部面白いなぁと思った部分の抜粋なのですが、本質は下記のようでした。

集団行動・同調行動の正体とは、「みんなと一緒に行動したい」というより「自分ひとりだけ異質な存在とみなされると、自分にとって得にならない」という考えに基づくものなのです。

個人主義だけど、みんな(周囲)にどう思われるかを気にするのが日本人ということですね。これはあくまでも個人的見解ですが、きっとこれは日本の歴史に由来しているのでしょう。他国に比べると、「家」っていうものや「村」という集落としてのルールが文化として重要なものとして文明を発達させてきた。足並みを揃えて、みんなで同じなにかをすることで生き、文化や技術を承継して来た。だからこれは日本人としての宿命であり、仕方ないものかもしれない。でももう日本でも多様性が進み、当たり前は変化してきています。その中で、どう受け取るかが重要になってきたのかもしれません。

「変わってるね」の僕の捉え方

僕は昔からこの言葉をよく言われます。良くも悪くも目立つ子でした。昔は僕自身も「変わってるね」という言葉をネガティブに捉えることが多かったです。目立つことは好きだったけど、「みんなと違う」ことを受け入れるまでは時間がかかりました。
今は「変わってるね」と言われるととても嬉しいです。聞かれた後は必ず、こう聞くようにしています。「どう変わってる?」「どう変わってますか?」と。
おそらく「変わってる」と言われて辛くなくなったのには大きく2つ要因があると思っています。

①日本の歴史を知って、時代の趨勢に気づいた

年齢を積むにつれて、日本史を深く学んでいきます。それによって歴史の流れ、時代の趨勢を知りました。日本という文化の発達の仕方、海外との付き合い、その中で日本がどう進んできたか。これによって、「なんだ、今は変わっていても良い時代じゃないか」という気づきを得ました。こういうの考え始めちゃうと止まんなくなりそうなんですけど、これが1点目。

②変わっていても良い時代の中で変わっている自分を認識した

①の後、自分が変わってるだろうな、変わってるなということを自己認識しだしました。実際に自分がどれくらい変わってるかというのは、他者からの評価でしか成立しないので、「変わってるね」と言われることでしか、事実として受け入れるのが難しいんですよね。そして先程記載した追加質問によって、自己認識と客観視がズレてないかどうかを把握することができます。変わってるということを自己認識したことで、自己を受け入れることにつながったと思っています。「あ、変わってることって劣ってるわけでもないし、みんなおんなじなわけないのに何に縛られたんだろう」っていうことですね。
そこからは僕の「変わっている」点は強みに変わりました。一般的に変とされることは僕の中でひとつの「特徴」に変わったんです。

そういえばオリラジのあっちゃんもyoutubeで言ってました。「優れるな、異なれ」。良い言葉だと思いました。単純に。

みなさんも、もし「変わっている」ということをどうしてもネガティブに捉えてしまう人が居たら「変わっていても良い時代なんだ」「異なっていること、特徴を活かすことがこれからの未来なんだ」と認識してみてください。きっと明日がもう少し楽になります😉

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?