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ワンルーム


 引きこもってみて気がついたことは、存外一人が好きだということ。

 寂しいという感情が一番に来るんじゃないかと思っていたら、なんと一番に来たのは安心だった。周りに他の人がいないのは視線や気配を気にしなくて疲れない。心安らぐ。こんなにもコミュ障だったんだ。そこまで気にしているつもりはなかったのに思っていたより気にしていたことに驚いた。

 前はもっと気にしていた。気にしすぎてずっと人と話しているとだんだん疲れてきて暗いって言われたし。1日外で遊ぶと3日は引きこもらないと心身共に体力が回復できなかった。あれはなんだったんだろう。じゃあなんで出られるようになったかというと、たぶん気にしないようになったから。相手の機嫌が悪くても、自分のせいじゃない場合の方が多いことを知ったから。思ってるより人は自分のことで手一杯で、他人のことはさほど気にしていないと気づいたから。

 集団の中でいつも思っていたことは、独りになるくらいなら一人の方がましだと思っていたこと。グループの中にいて孤独を感じるくらいなら最初から物理的に一人でいた方がとても気が楽だった。周りに合わせなくていいし。勝手にどっか行っても怒られないし。だけどたまにおせっかいな奴が自分のとこに入れたりする。その後別に話すわけでもないのに。今思うと自分から行動しなかったり、ちゃんと言わなかったのが一番悪いと思う。

 他人の視線を感じない、話す必要がない、気を張る必要がないだけでこんなにも楽になるのか。びっくりだ。このままだと本当に社会性を失いそうだ。そういえば誰とも話さなくていい仕事ないかなって考えたことあったっけ。外に出れば頑張るし、楽しい時間も沢山あるけど、こんなに内向的な人間なんだと改めて気づいた。

 思えば好きなことを振り返ると全部一人でできることだ。映画見たり、本読んだり、音楽聴いたり。圧倒的インドア。そういう性分なんだろう。学生の時もみんなと楽しめなくて、なんて欠陥品なんだろうと悩んだことがあったっけ。顔色とかやたら気にする人間なんだ。いいかっこしい。自分の評価が一番。なんてかなしい人間。他人に対して気を遣える人じゃなくて、自分の評価に対して気を遣う人。それで自分が疲れる。めんどくさ。

 さらに文脈とかを汲み取るのが苦手で正しい回答は何かって考えてしまう。そして考えた結果、ちょっとずれたことを言う。この繰り返し。自分がそう思ってるだけの場合もあるかもしれないけど。考えた結果不正解って、もう考えない方がいいんじゃないかと思ったが、考えなかったらなかったで傷つけることを平気で言ってしまう。よくクラスの女子にひどいよねと言われた。勝手に考えすぎて勝手に疲れてる。

 やっぱりひとりは好きだなと改めて思ったし、けどずっとひとりでいるのはとっても寂しいなと思った。恐らく一生このジレンマと付き合っていくのでしょう。

 引きこもって気づいたことはもう一個。いい加減に部屋を綺麗にしたい。早く捨てちゃおう。

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