見出し画像

それも全部私。



抱える荷物が重い。

誰かが正解と言ったことは自信を持ってできるのに、何が正解かわからないことは自分1人の考えだけでは不安で、誰かに正解だと言ってもらいたいんだ。

自信がなくて、生きにくくて、だからこそいろんな考えや価値観を摂取してきたはずなのに、それが今度は私を縛るものとなって重い。

何か感じたり、考えたり、思ったりしたことを、これまで摂取してきた誰かのセリフに照らして、善悪とか優劣とか正解不正解を考えすぎてる。

こうなりたい、こうでいたいっていう理想があるのは良いことだとは思うけど、理想への想いが強くて、現実を否定したり蓋したりして苦しむ。

あーこういう時〇〇しちゃダメだ、〇〇するのが良いんだみたいにべき論に囚われる。


もういろんな人の声がうるさい。

あれはダメ、あれはダサい、こうするべき、これしないなんてありえない

何かとジャッジする声がうるさい。

別に無視したら良いけど、無視するときもあるけど、ゆっくりと侵食されていく感覚。あなたの考えはおかしくない?違くない?って否定されている気分。

じゃあもうどうすれば良いんだよってなるから
人には人の正解があるから

私は私の正解を進めば良いんだと思った。



理想を追いかける私に、それは理想論だよとか、現実ってそんなもんなんだよって、分かったようなふりをして諭してくる奴らが嫌い。ムカつく。

例えそれが理想論だとしても、私はまだ諦めたくないし、私はそれでいたいんだから、勝手にあんたらの見た現実を押し付けてくんなよ。

もし私が理想は理想だと分かった時が来たら、その時に教えてくれよ。



怒り、悲しみ、憎しみ、弱さ、悪の感情・考えを排除する力が強すぎて、それを隠して見ない術を身につけすぎて、
綺麗でいたい気持ちが強すぎて、
綺麗じゃない私が置いてけぼりだ。

できないことがあること、他人より劣ること、それを誰かに悟られることが嫌で、そしてそれに自分で気づくことが嫌で避けてきた。

気づかないフリをしていたいそれらはいつまで経っても追ってくる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?