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私との出会いを待つ本

以前は全然面白くなかったのに、ある時、ふと読み返したらすいすい読み進みられるようになった本があります。
買ってはみたものの、読んでみたら話が難しくて全然読み進められない。
でもなぜか捨てがたくて、買ってから数年間、本棚で積読。
ある時、ふと読み返してみたら不思議なことに面白くて難なく最後まで読み終わりました。

人には生物学的な年齢のほかに、「読書年齢」というものがあり、本にはそれぞれ読書年齢の適齢期みたいなものがあるのかもしれません。
歳を重ねるにつれて自分に合う服が変わってくるように、本もまた好みやフィットするものが変わってくるのだと思います。

話は少し変わりますが、最近、落ち着いて本を一冊じっくり読むということができなくて、本を買ってはその一部を拾い読みする、みたいなことを繰り返していて、そんな自分に嫌気がさしていました。
そんなこともあり、若松英輔さんの著書で「本を読めなくなった人のための読書論」という本を見つけ、久々にジャケ買いならぬ本のタイトル買い。

その本の初めには、こんなことが書かれています。

「読書は対話であり、相手が話し始めることを待つ必要がある」
「読めない時は、読まなくていい」

考えてみれば一冊の本を最初から最後まできっちりじっくり読まなければいけない、という決まりはないのだから、自分の読みたい時に読みたいように読めばいい。
そして今の自分はきっと読書年齢の過渡期にあって、新しい本との出会いを待っている最中なのだろう、と思うことにしました。

いつか私と対話してくれると信じて、ずっと本棚に積読されている本。

以前、古本屋さんで買ってから、全然読んでいないのになぜか捨てられない一冊。本棚にあると、背表紙から滲み出る貫禄がすごいです。
父がアパートにくると、よく読んでいます。

いつか私との対話してくれる日がくるのかな。


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