虐待保育園について(初級編)

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ところで小さい頃の記憶ってありますか?
私は嫌な記憶はあります。
今まで生きてきて楽しかったことより悲しかったことの方が覚えていることが多いです。
もしかしたらそうゆう人の方が多いかもしれません。

人格の形成は遺伝もありますが環境もあると思います。

今日は私の育った虐待保育園についてお話します。

私は両親が共働きで4歳から家の近くの保育園に入りました。
記憶があるのは5歳から。

今では考えられないような保育園でした。
まずは、初歩的なところから。
保育園は図画工作に厳しく、完成させた人からでないと遊具で遊ばせてもらえませんでした。
どこの保育園でもそれはあると思いますが、私は器用ではなく遊具で遊んだ記憶はほとんどなく、遊べている友達がうらやましかったです。
お迎えに来てくれたときも遊具で遊びたかったのですが母は忙しくあまり付き合ってはくれませんでした。
※今なら夕飯の準備など忙しいからと理解はできます。

身だしなみにも制限あり。
ロングはダメ🙅‍♀️ショートのみ。
私は髪の毛を伸ばしたかったのですが保育園がダメだったのですごく嫌でした。
母は美容師の人に当時流行っていた広末涼子のようにカットしてくださいと毎回言っていました。笑
三つ編みとかに憧れてました。

親に意思表示をするようになった小学校の高学年からはほとんどロングです。

服装について。
今でもズボンのところは多いと思いますが、冬でも、半袖半ズボン。
夏のプールはパンツのみ。
マラソン大会は上は裸に下は白のズボンというお決まり。
寒かった記憶があります。
昔の写真を見返しても男の子みたいです。

でも上記内容については今でも少し厳しいなという感じです。
次回、虐待保育園(中級編)へ。


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