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(考察無し)『イシナガキクエを探しています』を観ることを勧めています。

テレビ東京の番組『イシナガキクエを探しています』の最終回である第4回が配信でのみ放送された、のだが非常に打ちのめされたというか、感動してしまった。


『イシナガキクエを探しています』はどんな作品だったか。

いわゆる公開捜索番組を模したフィクション(モキュメンタリー)である。

『米原実次』という老人が、50年以上『イシナガキクエ』という女性をわずかな手がかりから探しているのを、番組が公開捜索で支援する

という体の番組だ。

番組の第1回、第2回では実際に繋がる電話番号を番組上で公開しており、事情を知らない人がかけてきたケースもあったという。また、有力な情報については番組に反映させたりもしていたようだ。

個人的には面白い試みだと思う一方で「加害性がある」とも言えると思った。途中から番組を見た人が事実だと思ってしまい、そのままその認識が正されない可能性や、
義侠心に駆られ、悩みながらも電話をした人なども絶対いないとは言えないのではないか。
ただ自分はそれが問題だ、ということを主張したいわけではなく、そういったリスクがあると知りながらも、新しい試みをしていることを評価してもいいのではないか、と自分は考える。


作り手の執念がすごい

この作品はとにかく熱量がすごかった。普通のテレビドラマではありえないレベルで、絵や演出にこだわっているように感じた。
なんというか不気味な空気感というのをそこに固着するために作り手が命をかけていることに、感動すら覚えてしまった。

ストーリーや演出について、自分が最も近いと感じたのは2003年に発売された家庭用ゲームソフト『SIREN』だ。
『SIREN』は日本の地方を舞台にしたホラーなのだがただプレイするだけでは、全然筋らしい筋がわからない。様々な人物の視点に移り変わっていき、落ちているアイテム等の断片的な情報をかき集めることで「事件の本筋」がうっすらと見えてくる、という構成になっている。

最終回を見て思ったことは、番組『イシナガキクエを探しています』はメインストーリー不在のサブシナリオだったのではないか、という考えだ。
この物語の主人公である『米原実次『イシナガキクエ』両者の物語が本筋であり、この番組はその物語の断片の一部を見せるものだったのではないか。

我々視聴者はその物語の登場人物では無く、傍観者である。この物語は我々の物語ではない。だから「考察」みたいなことをするのは、自分は無粋だと考えている。あくまでも断片がそこにあるだけなのだから

こういった本筋のないサブテキスト的な創作のアイデアを思いつく人はたぶん沢山いると思うのだけども、この規模感とクオリティで実現できていることがとにかくすごい。第3回、第4回はもうずっと感動していた。


第4回、サブテキストの着地点

第4回のラスト、とにかくすごい。
ラストカットがあるか無いかで本当に物語の印象が全然変わると思う。
その人物との間にその瞬間確かにあったであろう、暖かい時間がそこにはあった。

主人公である『米原実次』のストーリーは永遠に失われ、ただ、断片が残される。その断片は磨かれ、不気味な輝きを放っている。


絶対に視てください

2024年5月31日までなら、TVerで全4話視聴ができるので、とにかく観てください。
好みもあると思いますが、今後この番組が何かの基準点になるような気が勝手にしています。


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