2020.9.24より

考えすぎて眠れない

10日に父が亡くなった 51歳だった
病院に搬送された2日後だった
15.16日で葬儀を終えた

葬儀までは朝から晩までたくさんの人が家に来た
葬儀は200人ほどの人が集まった

49日の供養のことを話し合い、納骨するにも絶縁した親族に話をつけなきゃいけなかった

父を看取った
親戚が5人、父の親代わりの先生夫婦、私
遅れて母と、父の高校の同級生一家の5人

この目で父が命を閉じる瞬間を見たのに、葬儀を終えたのに、火葬の直前に、冷たく石のように固くなった父に触れた、火葬され骨になった、毎日線香を上げているのに、家のどこを探しても父はいないのに、おかしいかもしれないけど、父が亡くなった実感はまだない

父がまだ生きてる という夢を見て、起きて線香とお供物をあげても、全然よくわからない
実感があまりない

「最後は剣道家として送ってやりたい」と、先生が言った 旅衣装には道着を着せてもらった

道場の人たちは、集まればみんな剣道の父の話しばかり 
闘病中も、"剣道をしていた父"に寄り添った人たちはたくさんいたけど、"病気の父"に寄り添ってくれた人たちは少ないように思えた

納棺の前日に、父の高校の同級生の剣道部で呑み会をしようという運びになった
お酒を飲まない父の枕元にビールが置かれた

父はお酒が好きじゃなかった 付き合い程度では呑むが、弱かったし、アルコール中毒の祖母にネグレクトをされていたこともある、祖母がお酒を辞めるまで、家族全員嫌な思いをしてきた

私と母が父はお酒が好きじゃないから、と言うと、集まったとき呑んでたとか、そんなことを言われた

たくさん手伝ってくれた一家、一緒に父を看取ってくれた人たち 母や私のことも心配して来てくれてるのもわかった、でも自分たちも集まる口実が欲しいのだとも思った

なぜって、父はお酒が好きなわけでもないし、自分について勝手なことを語られることを嫌っていたからだ さらに自分の家で騒がれるなんて父が嫌がることだ
2年前書かれた遺書にもそんなようなことが書かれていた

父がいないのにみんな呑んで、楽しそうに騒いで、そこで寝っている父のことなんて誰も見ていない

線香の近くに座っている人は線香を切らさないでと言ったのに、酔っ払って誰も気に留めてない

そうやってただ、私は勝手に思うけど、もしかしたら父は嬉しく感じているのかもしれない 勝手だ 父の気持ちを憶測で語る私も周りと一緒だ

私にとっての父は、あまり甘えられるような存在ではなかった 甘えたいというより、認めて欲しいと思ってた 父のような人間に認められるようになりたいとずっと思っていた
父の弱さや良くないところも勿論知っている、嫌な思いも苦しい思いもたくさんしたけど、それよりも父の正義に憧れていた

私の中で父は家族で父親だった
剣道の人でも、たまに集まる同級生でもない、

それぞれが違う父との関係性で、それぞれが知る父の側面を思い出せるような話しが出来れば、という名目で、自分にとって家族としてだけの父を語る、いじわるな弔辞をした

せっかく父のために集まってくれた人たちに、私たち家族を心配してくれた人たちに、いじわるな話しだ
そんなことを父が許すはずもない、でもそんなことを確かめる術もない

葬儀は52人だけで行って欲しいと書かれた遺書に反して、200人の人が集まった
その殆どは剣道関係者だ 瞬く間に広がった
誰もが「父の人徳だね」と言った 40年剣道を続けてきた父の周りにはたくさんの人がいた
私が知らない父を知る人たちがたくさんいる
でも家族の父を知るのは母と私だけだって、すごく子供っぽい考え方をした

最後の最後まで、父の意に反した事ばかりしてしまった
父は今どうしているんだろう
もう何も苦しまないで欲しい、ただ笑っていて欲しい
父にはもう願うことしか出来ない

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