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【不登校】子供の頃の誰にも言えなかったモヤモヤを言語化した。

子供の頃のモヤモヤを言語化したメモが出てきたので載せます。

子供の頃から、自分の気持ちを言語化して伝えるのが苦手だった。
いまも、あまりしゃべらないんだけども、親が死ぬ前に感謝の気持ちは伝えたい。

ただ、誰にも言えないもやもやを抱えてもいた…


母への思い

わかってくれない、わたしの心をみてくれない
心配してる感はだすけど 
心はガン無視だよ、、、、

引越しに、しかり
不登校に、しかり
近くにはいてくれたけど
聞いてきてくれなかった
もっと、わたしが、どんなもやもやを抱えてるのか
聞いて欲しかった
自分からは言えない
でも聞いてもらって、わたしはこう考えてる!こういう人なの!をわかって欲しかった 

いつも外から見守ってくれてた
踏み込んではきてくれなかった
距離がだいぶあった
悩みを相談できる距離には居なかった

怖かった。心の内をしられるのが
親から見放されたくないから
本当の思いは言わないようにしようって
モヤモヤのまま放置した

できてないところを叩かれる、
厳しく言われる、存在

親の言うことは絶対!!(社長)で
私は社員の感覚だったから。
あんまり意見や欲を言えなかった
そして否定を考えることすら飽きらめた
この家のしきたりに、合わせた。

シルバニアでひとりであそんでたとき
こうなんだね、すごい、これをこうして遊んでるんだねっていわれたら
見ててくれてる、認められてる
って安心した。

おかあさんは見方だった。
もたれやすいクッションだった

でも、あんまり自分のことは話してくれなかった
弱みはみせてくれなかった

いつも、きびしくもやさしいおかあさんだった、
わたしは、もっと甘えたかった。
もっと可愛がられたかった。もっと妹よりも注目されたかった。かまって欲しかった。
もっと心の本音を話し合う仲になりたかった

わたしからは話さなかった
それがふつう、だったから。

お母さん、いつも決めてくれた。
わたしは欲がない性格だったので
習い事もぜんぶ決められたものを行うのみだった
新体操にはあこがれて、自分からいったけど、硬くて、侮辱された。つらかったむいてない、ってなった

ピアノ 引っ越してきてから、
先生なんか、きびしくてなんか やりたいことと違うし、きまづかった、もういきたくなくなった。

不登校のこと(小学校5~6年)


おばあちゃんが、病気で、家族で引越しした。
友達たくさん、手紙くれたり、誘ってくれたりした。うれしかった、先生もやさしかった。

関西弁がわからなかった。
新しい空間が、苦手で
たった1人 新人だから
心が行くことを拒否した。

算数の授業だけでていた
なんか一個でも、っていう図らいだったかな?

保健室に、おかあさんと一緒に登校したり
給食はそこでたべた
おかあさんが、近くにいてくれて わたしのために時間を使ってくれてて、うれしかった

家にいるとき、おかあさんの帰りが遅かったとき、事故で死んだらどうしよう!!ってわんわん泣いた。
家ではずっと布団に転がってた
ひとりはさみしくなかった
家族といたら

友達を家に招いたとき、用事思いだした、、って次々とかえっていっちゃった。
辛かった。だよねーって。おかあさんにも申し訳ない気持ちになった。

わたしは、いつも、受け身だった
誘われることはうれしかった
誘われたら、絶対いった
でも自分からは誘わないのがデフォだったから
なんの疑いもなく。
おかあさんと過ごせる不登校の時間は、うれしかった。
甘えていた。友達よりもおかあさん。
ルーティン化してしまって、もう戻れなかったんだよ

不登校から脱出

中学からは、意を決して皆勤でいった。
わたしは、当たり前に、自分から声をかけない
だれか、社交的な子が話しかけてくれないかな
いつも誘ってくれないかな
まわりに特に友達になりたい!とおもうこもいない
いつもボーッといきていた
誰とも一言も話さずに終わる日もあった
帰って漫画を書くことが唯一の楽しみだった。 


もっと昔の話し

小1-3
仲良い子以外は、うんかいいえしかいえなかった
首振るだけの。
声聞いたことないキャラになって
1文字ずつ言って!っていわされた (その人のなまえ)
侮辱された気分になった
2度と、一言も!!喋らねえ!!!って心に誓ってしまった


4年
笑い病になった 学校で、テレビとかに映ってる人にケラケラ笑ってた
そしたら、まわりも反応してくれてうれしかった
後半演技じみてたきもする
珍しく、男女で、山登りいったりしたのたのしかったな 

5年
校舎がきれいになって、たのしかった
一輪車クラブはいったり、
けしこさん(消しゴムの自作キャラ)であそんだりした
大人しいけど普通の人間になれてきた感

リボン(漫画雑誌)に出会った。革命。こどちゃはもう。
その世界にあこがれ
漫画をノートに書き始めた。
芸能人とかダンススケールとか沖縄アクターズスクールとか、SPEEDとか あこがれで
ノートに連載まんがを書き始めた。
最初は妹と交換まんがしてた。

女の子をキャラを作るのがたのしかった
理想の女の子をつくる。

土日は、ほぼおばあちゃんちだった
どこか、遊びにいくことは、少なくなった
ゲームにもハマりだしたからか。
たまごっちの海外版、かったり、、
プレステも買ってからはもう
ゲームオタク RPGすきだった


かんしゃ

友達みたいな姉妹がいて
頼れるおかあさん、おとうさんがいて
この家族はとっても安心できた
のびのびと、自分らしく、過ごすことができた

ありがとうーーーー

どの瞬間切り取っても、家族4人でいたときは
わいわい たのしく、のびのび 居心地よくて
この家族に生まれてよかった、なー
色んなことがあったな
大切な、おもいで、
家族は、愛。家族は、幸せ。

本当親には感謝しかない
環境がさいこう
美味しいご飯


不登校の子供を抱えるお母さんへ

不登校は悪いことじゃない。
心配しなくていい。
無理に行かせようとしないでください。

子供の心の声を聞いてください。
否定しないでください。
寄り添ってください。
それだけで、安心できます。

長引いちゃうのも、途中から行き始めるのも気まずいって思いがあります。
なにかキッカケや、環境を変えるのもいいかもしれません。

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