離婚への道程 六

転機

付き合いだして早2年。福岡まで追いかけてきた後くらいから急に束縛が緩くなり、誰かと遊びに行くときも「はいはいいってらっしゃ〜い」と送り出すようになってきていた。
これってもしかして別れられるんじゃないか?と淡い期待をしちゃうくらい疎遠になれそうな雰囲気。あいつもいよいよ反抗的な私に飽きてきたのかもしれない。

そう思っていたある日、会社の検診で要再検査の封筒を渡された。引っかかった項目は子宮がん。中身を見てびっくりしている私以上に手が震えて青ざめた副社長から「今日早退して良いからすぐ病院に行って」と手を握ってお願いされ、ありがたく午後から診察を受けに行った。

そして、診断の結果は「妊娠」だった。がん検診自体は陰性だけど他に異常がみられるから再検査が来たんだろう、と先生。その時生理のような出血が続いていて、完全に生理中だと思っていたので、じゃあこの出血は何なのか?と聞いたら「切迫流産ですね」と言われた。再検査からの妊娠からの切迫流産!?全てが人生初の出来事ばかりでかなりの混乱。
『赤ちゃんの袋の横にコブがあって、そこに血流が見えるからもしかしたらこのコブが剥がれようとしている為の出血で、このコブが流れる時に赤ちゃんも引っ張っていくかもしれない。そうなったら手の施しようが無いから、赤ちゃんの事は天に運を任せるしか無い』『安静にする以外の対処法はない。あと、あなたの卵巣は典型的な不妊症の卵巣だよ。この子は奇跡だと思うよ。お大事にね』と言われ診察は終了。

先生、頭が追いつきません…。病院の帰り、車をブロック塀にぶつけた。妊娠というのは想定外だったけど、なんとなくほんわりと嬉しい気持ちがあった。でも、切迫流産。どうしよう。とりあえず父親である元旦那に相談するしか無い。

仕事終わりくらいに電話して、妊娠していることと出血があって切迫流産であることを伝えた。第一声は「おお、そうや」。しばらく間を置いて「産む?w結婚する?ww」と笑い声含みながら問われて「そうだね。そうしましょう」と答えた。「一応聞くけど、俺の子よね?」と要らん確認も忘れずにおこなわれた。「そうじゃないなら、こんな風にあなたに相談なんかしません。妊娠かくしたまま別れて消えます」と言ったら「じゃあ今夜にでも家にご挨拶に行くけん。うちの親にも話す」と言って電話は終わった。

この時、奴と離れてシングルマザーになるという考えは全く浮かばなかった24歳・未熟者・まだ子供。妊娠=結婚というのが当然だと思っていたし、子供が産まれたら自分の父のような穏やかな人にみんななるものだと当たり前のように思っていた。完全に大間違いである。
子供が産まれたからって人間は変わらない。他人がなんと言おうと、自分が変わろうと思わないと変わらない。


挨拶と顔合わせ

夕飯の時間、両親に今夜元旦那が来ること・なぜなら私は妊娠しているからということを伝えなければいけないんだけど、なかなか言い出せずに居た。
しかしさすが親。炊飯器を開けてしゃもじでご飯をかき混ぜていただけなのに「何?変な顔して。なんかあった?元旦那くんととうとう別れた?」と母が尋ねてきた。違う違うそうじゃ、そうじゃない。
喉が詰まったような声で「妊娠した…」と言った途端、涙がボロロロロロと溢れ出てきた。
母「なんて!?!?!?」
父「…!?」空になっていたティッシュの空き箱をグシャアと潰した。
母「どうすると?結婚ね!?」
父「バカもんが…」(更にひねりを加えてミチミチ…と箱を潰す)
母「バカて言わんでよかたい!!!あんたも泣くこつあるね!!」
私「そうする。今から挨拶に来るって言ってる」
父「はよ言わんか!俺ァパジャマぞ!部屋はとっちからっとっし」
ということで、ちゃちゃっとご飯食べて出迎える準備をした。

訪れた奴は、猫かぶり協会代表のように愛想よくにこやかに、そしてすまなそうに両親に挨拶をした。うちの両親も外面は良いので暴言などは無く、ただ「子供は一人じゃ作れんけん。もう大人だし二人の責任。結婚するならするで反対はせんよ」とだけ言った。
近いうちに元旦那の母とも顔合わせをしようと約束。
すると「急なことだし結納は無しでいい。けど、猫の子をやるわけじゃないけんちゃんと結婚式は挙げて親戚にお披露目して」と、父。
「そうね。とにかくウエディングドレスは必ず着て。そして長〜〜〜いベールを着けてくれ。あとは何もない」と、自分の結婚式で顔しか隠れないベールを着けたことを後悔していた母からもお願いされた。

1時間ほどで話も終わり、今後のことを話し合おうかと二人でドライブへ出かけた。途中どこかで車を停めて、運転席に正座してこっち向いた元旦那。
「いつか結婚したいと思ってた。予定より早まってしまったけど改めて、僕と結婚して下さい」と目に涙を溜めてプロポーズのような言葉を言ってくれた。頭の中で『これって普通は感動して泣いちゃう所なんだろうなぁ〜』と他人事のように考えながら「よろしくおねがいします」と返事した。
他にも何か言ってたけど、脳が拒否して覚えていない。

私のことなのに、人生で大事な場面なのに、きっといつか終わらせてやると心で思いながらプロポーズを受けて、ついに結婚することになってしまった。妊娠=結婚だと思っていた私は、結婚を拒否したらお腹の子も諦めなければいけないと思い込んでいた。それだけは絶対に嫌だった。
今出血していて瀕死かもしれない子をどうにかして守って育てなくてはいけない。この事だけに集中していた。馬鹿だなぁと思う。


報告

会社へは次の日に全て報告。すると同じタイミングで3人妊娠&結婚話がでてしまっていて、しかもそのうち一組が社内不倫略奪できちゃった婚という衝撃的なカップルだったため、私のことはガンだと思ってたのに妊娠なんて健全だ!といってみんなお祝いしてくれた。この会社は優良企業だったけど月半分くらい残業が鬼のようにあるデザイン事務所だった。産まれてから勤務するのは難しい為、産休に入った後そのまま退職することにした。

一番仲いい友達たちにも報告。みんなおめでとうと言ってくれたけど、やっぱり何人かは微妙な顔。だよね、内情知ってるもんね、わかるよと思うけど、やっぱりちょっとさみしい気持ちになった。でも、結婚式が近づくにつれて色々と助けてくれて、全力で余興もやってくれて、何があっても私だけの味方で居てくれた。持つべきものは友だなあと心から思います。

母方のいとこの中では私が結婚一番乗りだったので、大騒ぎ。しかも初ひ孫ができてると聞いてワッショイワッショイ状態。父方は冷静。
「よかったねぇシカちゃん、幸せだねぇ」と伯母がしきりに言っていた。「そうでもないんだよ」とは言えずに、ただニコニコしていた。伯母はこの時のことを今でも後悔してると言っていた。
おてんば者のシカがあんなにおとなしくニコニコして、てっきりお母さんの顔になったんだと、結婚で舞い上がって浮かれポンチの頭のまま思いこんでた。ちょっと様子が変だなって思ったのに、なんでちゃんと話を聞いてやれんかったんだろう。こっちが幸せって決めつけてたせいで、そうじゃないっていえなかったんだね。と。
この伯母も、夫のモラハラに長年付き合ってきた人。だからなのかすごく気持ちを理解してくれて、離婚なんてとんでもないという昔考えの祖父母を「シカの離婚は不幸じゃない。幸せになるためにするんだよ」と説き伏せてくれたありがたい存在です。


さて、残るは元旦那側の両親との顔合わせ。
義父母は離婚していて、元旦那家は母子家庭だった。なので両家の顔合わせは義母と私の両親とで行う。
義父は再婚済みで別家庭持ちなので、私と元旦那で訪問することになった。


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