離婚までの道程 壱

笑っていいともが最終回を迎えた日、私は離婚届を提出しました。付き合って2年、結婚して8年。子供は二人。長かった10年間を思い出して見ようと思う。

元夫という人

小学校中学校と同級生だった元夫。背が小さいけどサッカーが上手でイケメンモテ男の部類に入る人だった。ひとつ上のかわいい先輩と付き合っていて、なんか他のヤンキーしてる同級生とは違い、表立って悪いことはしないけど子分連れてる裏番長みたいな奴だった。

中学校の2年3年は同じクラスだったけど、たぶん会話したことがない。理科の実験でたまたま同じ班になった時のこと。元夫は話しかけても無視して課題に全く協力しようとしなかった。同じ班になった成績優秀で真面目な女の子が、話しかけてもお願いしても無視され続けて半泣きになり、結局二人で一生懸命課題を終わらせた。

サッカーは本当に上手だったらしく、高校受験でも指定校推薦がたくさん来たようだった。そして私立高校のスポーツ奨学生を指定校推薦で受験。そこで前代未聞の事件を起こした。「名前さえ書けば受かる」と先生が例えで言っていた、合格ほぼ確定の指定校推薦。彼は本当に名前だけ書いて答案を提出した。しかも一度答えを書いて全部消し、残りの時間は寝ていたらしい。

その後中学校の校長・教頭・担任・サッカー部顧問&コーチ、私立高校の校長・サッカー部顧問、母・本人での9者面談が行われた。「断るなら最初から断ってくれたらよかった。失礼極まりない。我が校に泥を塗ってくれた」という理由で、その後数年間私の中学校の生徒がその高校を受験しても合格者は出なかった。もちろん本命で受験した同級生たちも全員不合格。相当な恨みを買ったと思う。

元夫は我関せずでその後他の公立校を普通で受けて合格。

とにかくこんな奴だったので全く興味も無く、なんなら関わらないようにしたまま中学校卒業。それから21歳で再会するまで、存在自体を忘れていた。


元夫との再会

私が福岡の一人暮らしをやめて地元に帰ってから就職先が見つかるまでの半年間くらいは「それまでなかなか会えなかった友達に会う」という事に精をだし、実家にはほとんど帰らない毎日。自由な一人暮らし後の実家ぐらしって本当に辛い。

ある日小中学校の同級生ナミたちと居酒屋で飲み会があって、途中でナミが「サッカー部の奴らが暇だけん来るって言いよるけどいい?」と聞いてきた。酔った女どもは「どうぞどうぞ!!」と大歓迎。そこに現れたのが、元夫の親友Kだった。元夫はその日バイトでいなかった。ナミと元夫とKは暇な時よく一緒に遊んでいるらしく「明日元夫も一緒に阿蘇に遊びに行くけど一緒に行く?」と誘われ、暇だったので行くことにした。阿蘇に行った帰りに公園で花火していた時、Kが近所中に聞こえたんじゃないかというくらいでかいおならをした。それで何故か私はKを好きになってしまった。

1ヶ月ほどみんなで一緒に遊んだりしながら距離詰めていい感じの雰囲気を感じられるようになった頃、告ってみたけど振られてしまった。理由は「シカちゃんのことは好きだけど、元夫と3人で仲良く遊びたい」だって。なんか納得いかないけど振られちゃったもんはしょうがない。振られてすぐ諦めることはできなくて、好きなまま何もなかったようにしばらく仲良く遊びました。Kも私を色んな所に連れて行ってくれたり、暇な時は二人で遠出したり遊んだりもしたけど、やっぱり付き合うまでにはいかない…というモヤモヤした時期だった。

元夫に告られる

2ヶ月くらいたって夏真っ盛りの時期、キャンプの計画をたてていた時のこと。何を聞いても生返事で面倒なことは全部私が請け負ってる状態が、まるで私がKを好きなのを良いことに都合よく扱われてるようだったので、イラッとしてちょっと喧嘩になってしまった。この状態ならちょっと距離おいたほうが良いかもな…と思ってた頃、元夫に誘われて二人で遊ぶことになった。なんか色々ドライブ行ってご飯食べに行って帰るというコースを2回くらいした後、帰りの車の中で付き合ってほしいと言われた。元夫は私がKのことを好きだということは知っていて、色々と相談に乗ってくれたりもしていたのに。

「いや、無理だよ」「私はKがまだ好きなんだけど?」と言ったけど「わかってる。でも向こうは付き合わんって言ったんでしょ?」というやりとりを何回したか。「うんって言うまで家に帰さん」と、顔はにこやかだけど脅しをかけてきた。「とりあえずでいいけん。付き合ってから好きになってくれればいいけん」と追い詰められ、かなり眠かったし帰りたかった私は「わかった」と返事してしまった。なぜ、ここで「あなたを好きじゃない」と言えなかったんだろう…と思う。元旦那は「じゃあKにはオレから伝えとくね」と言って笑顔で運転していた。


Kとの別れと呪いの言葉

1日経って、やっぱりこのままじゃあまりにもKに失礼すぎるし自分ももやもやする…と思って、元旦那に「Kとちゃんと話したい」と伝えたら「それでオレのこと好きになってくれるならいいよ」「でも二人で会うのは最後にしてね」と言うので、アポとってKの家の近くの駐車場で話すことになった。


-----夜の駐車場の縁石に座り-----

K「キャンプのこと、任せきりにしてごめん」

私「もういいよ」

k「元夫と付き合うと?」

私「うん・・・」

K「もう三人で遊ぶことは無いだろうね。楽しかったね。俺は元夫もシカちゃんも好きだし、元夫がシカちゃんの事好きなのだいぶ前に気付いとったけん、シカちゃんが好きって言ってくれたけど付き合えんと思っとった。ごめん。でも俺が、…うんはっきりせん俺が悪い(泣)」

私 号泣

K「絶対別れるなよ」(呪いの言葉)

私「がんばる。いやほんとに、なんでかわからんけどたいが好きだったとKのこと。よくわからんけど泣」

K「よくわからんて言うな笑」

私「Kは私のこと好きだったと?」

K「うん、いや、うん(号泣)…好きだったよ。友達として

私「もうわかったよ(号泣)」


付き合ってもない人と泣きながら別れ話したのは初めて。最後まで元夫を想って私にちゃんと好きと言ってくれなかったKも、自分の選択ミスでKと元夫の友情まで壊してしまった私も後に引けなくなってしまい、気付いたときには後の祭り。お互いにズルズルと気持ちを引きずってしまいました。そしてこの駐車場で会って以降、自分の結婚式までKに会うことはありませんでした。何故なら、コンビニや本屋で偶然鉢合わせしそうになることもあったけど、お互い目が合う前にサッと逃げていたから。「偶然でも会ってはだめだ」と思っていました。

なぜかと言うと…元夫が怖いから。


元夫、本性を現す

付き合い始めて2日後、ドライブに行くことになった。出かけようと準備をしている時、弟がグラスを割って手のひらをざっくり切ってしまった。血の多さにびっくりしてアワアワしながら手当してるときに「下に着いたよ」とメールが来た。「ごめん今弟が手切って血がすごいけんちょっとまってて。時間かかるかもしれんけん家に上がってきてもいいよ」と返事したけど「下で待つ」と返信。急いで応急処置して、到着メールから10分もしないうちに下に降りたら、鬼クソ不機嫌な元夫が運転席にいた。

付き合うまでの元夫は、私に不機嫌なところを見せたことが無く、なにがあってもいつもニコニコしていた。このギャップにこの時私は怯んでしまった。

そして「オイ、弟て何歳?18だろ?男だろ?なんでお前が手当せなん?」「人待たせてゴメンゴメ〜ンで済むか?」「何が家に上がってきてもいいよか。ふざけんなよ!」と言って車を急発進させた。待たせてゴメンと言っても話しかけても無視され、行く場所もまだ決まってない雨の中猛スピードで国道に出て、前にいるダンプカーをあおり運転しだした。軽自動車で。ちょっと間違ったらダンプカーの下に滑り込むくらいの高低差があった。

あおり運転は初体験。こんなに一方的に怒る人も初体験。「え?この人だれ?」「弟の怪我の手当しちゃだめなの?」「家上がれないの?」「こわいこわいこわいこわい」「生きて家に帰りたい」と混乱はしていたけど、私は無視されてしょぼんとする人でもないし、なにより元夫のことをそこまで好きじゃなかったので、一緒にいるの面倒だしタイミングを見て車降りよう別れようと考えていた。しかしそんなときに頭の中で再生されるKの「絶対別れるなよ」の言葉。

どうしようか迷ってるうちに、気が付けば家の下に戻ってきていた。そこで元夫は「怖い思いさせてゴメン。でもお前が悪いけん。俺をこんな気持にさせたのはお前が原因だけん」「で?帰る?どうする?どこいく?(笑顔)」怖かった。帰るとは言えない雰囲気を笑顔で出してきた。さすがに帰るとも言えずだったけど、この後どこに行ったのか何をしたのか全く覚えてない。

これが元夫のモラハラの始まりだった。

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