2019/06/23 沖縄慰霊の日
幼い頃、何度も夏になると沖縄出身の母に戦争特集、沖縄特集を見させられた。
母も戦後の子だ。
なので特別なにか番組内容に言及することはなかった。
ただ毎年のように特番を見させられた。
戦争などどうやって起きるのか、始まるのかもわからなかった子供のあたしは、番組を見た後しばらくは、飛行機の音が聞こえると戦争が始まるんじゃないかと怯えた。
夜になると「死」とはどう言うものなのだろうと怖くて眠れなくなった。
なんてものを見せてくれるんだと、幼心に思っていた。
だけど毎日をやり過ごしていくと、日々少しずつそのショックは和らぎ、飛行機の音は気にならなくなり、日常が戻ってくる。
毎年のように繰り返していた。
トラウマにもなりかねない映像は、今はテレビで流れるのだろうか。
美化されてCGを駆使したドラマのようなものばかりになった気がする。
あたしが子供の頃に見たものは、たしかにショッキングであり、トラウマとも言える恐怖心を植え付けられたと思う。
でも。
だからこそ、あたしは今ここに立っているんだと思う。大阪にいながらも、沖縄にも想いを馳せる事ができる。
あたしに何ができるんだろう。
何もできていないかもしれない。
だけれどもネットと仲間を通して今の本当の沖縄を知ることができる。
それは自分が生きている国を知ることでもあり、それを通して自分自身を知ることでもある。
おしどりマコさんの取材報告の中でいつも語られるドイツの子供達の話を思い出す。
日本の地震、原発事故があった時、親御さんたちは、ショックを与えないようにと見せないのではなく、こう言うことはいつでも世界で起こりうると言う事を知るために見なさいと横についてテレビを見ていたと。
そうして育った彼らが、事故が起こった時どうしたらいいのだろうか、再び世界大戦を起こさないために自分は何をしたらいいだろうかと、考え行動する。
番組やコンテンツをきちんと作ってもらえたら、見る見ないの選択ができる。
きちんとあればそれを見てそれぞれが考え行動することができる。
それはデータも同じだ。
今。日本はきちんとした情報を元に自分で選択すると言う自由をじわじわと侵食されている。
隠蔽し情報操作し、少しずつ口を塞がれていく。
幼い頃、二段ベットの天井を見ながら死を思った。その天井の様は今でも忘れない。
脳裏に焼き付いているテレビで見た映像が、この時期にはふとした瞬間に浮き上がってくる。
だからこそ、あたしはこの場所に立ち、戦争も基地ももう要らないと断言して生きていける。
自分自身の中の正しさと向き合いながら、平和と自由を模索する事ができる。
重苦しい空の下、今日改めて誓おう。
あたしはあたしの目指す平和と幸せを叶えようと。
戦わない。
でも決して屈しない。
あきらめない。
負けない。
自分のやり方で少しずつでも。
みんなと力を合わせて。
新時代沖縄をきっとあたしは見るんだ。
ちまこ
お写真は許可をいただき、おしどり2019さんからお借りしました。
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