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【第922回】強い言葉を発すれば強い言葉が返ってくる。 - Madoka Sawa https://voicy.jp/channel/632/101131 #Voicy

【第922回】強い言葉を発すれば強い言葉が返ってくる。 - Madoka Sawa
https://voicy.jp/channel/632/101131
#Voicy

あるクラスタの代表に勝手になる人

いかがお過ごしでしょうか?
澤でございます。
今日はですね。
コメントをもとにしてちょっとお話をしていこうと思うんですけれども、これはkunio_freexさんのコメントになります。

「澤さん、すみません。少し反論気味のコメントをします。私は仕事に対する考えに賛成します、ただ、ひとつ考慮不足が感じられます。
それは子育て中の一人親家庭やパートナーが不慮の事故や病気で健全な家庭を営めない人たち、さらには障がい者や高齢者などの介護を続けている人達のことを意識されたかどうかです。
すぐには自力で解決が難しい問題を抱えている人を目の前に「幸せじゃないなら、お金のためだけ仕事を続けるのは考え直したほうがいい」と本当に提言できますか?」

ということなんですけれども、まず、できる・できないの2択であればできます。
それはこの質問に対する一つの答えとして、まずできるできないであれば、できますよという話なんですけど、このあと2つ選択肢が出てくるんですが、まずkunio_freexさんが当事者かどうか、ここに書かれているそれぞれの項目っていうのにどれかに完全に該当していて、であるがゆえに私はそれが受け入れにくいのであるという話であれば、これはですね、コミュニケーションによって、どこがずれているのかというのを探るという作業が発生するのかなと思います。
ですんで、これは主語が私は、となってる場合には、これはアプローチが変わってきます。
当然、これはですね。
コミュニケーションですんで、僕は世界全員に対してこの話が通用するとは全く思ってませんし、そんなロジックがこの世に存在するとも思ってません。
僕の考えというのは、受け入れる人もいれば受け入れられない人もいるのは当然の話です。
ですんで、そんなことは言うまでもないというそういうカテゴリーなんですね。
ただ、当事者でこれ受け入れられないんです。
あなたのvoicy聴いてるけれども、この考えがちょっと賛同できないんです。
というのであれば、じゃあ、是非そのギャップというのをちょっと一緒に考えてみましょうかというそういうコミュニケーションができるかもしれませんよね。
もちろん、それは機会があればの話ですけれども、ただもう1つの場合、kunio_freexさんがここには該当せず、一般論として、このコメントというのを書いたのであれば、本当に偽らざる僕のファーストインプレッション、要するに、最初にぱっと浮かんだセリフ、ちょっと言いますね。今からちょっと怖い声出しますよ。
「なんでそんな答えなきゃいけないんだよ」というのが、僕の正直な言葉です。
なぜかというと、どこの誰かもわからない人になんでこんな考慮不足だとか、そういうことを考えてないんじゃないかみたいな、そういうニュアンスにとらなきゃいけないんだって話ですね。
ちなみにコメント欄は自由記述ですんで、そして、これ承認制ですから、敢えて承認してますから、これは僕の中で受け入れたコメントではあるんですが、ただ、正直な最初のなんていうか、感想というのかな。
そういったものは、何かこれ変じゃないっていうのが、正直なとこなんですね。
ということで、障害者であったりとか、あるいは性的マイノリティというものを題材にしてたくさんの映画を撮っておられる僕の友人の佐々木誠監督とですね、ちょっとメッセンジャーでやりとりをさせていただいて、そして意見交換をしたんですけれども、もう佐々木監督のところにですね。
毎日のようにこの手のコメントとか、あるいはメッセージとか、そういったものが降ってくるんですね。
何しろ、いわゆる世の中におけるマイノリティーとか、一般的に言うところの社会的弱者と言われてる人たちっていうのを題材にして作品を作ってらっしゃいますんで、それに対してですね。
いろいろ言いたくなる人っているんですね。
大抵の場合、当事者じゃないんですよ。
もちろん当事者も含まれています。
ただし、当事者の中にも障害を持ってるイコール不幸っていうふうに思われるのが嫌だとかですね。
あるいは、自分は確かに性的マイノリティで、すごい苦労しているけれども、人生楽しいし、どんどん楽しい仕事だけを選んでやって行きたいという人もいるわけですよね。

ですんで、括られて、あなたは不幸であるという風に言われる方が、よっぽど嫌だという人もたくさんいるわけです。
もちろん、それによってすごく苦労しているとかですね。
何か困難が目の前にあるんだというのであれば、これ全く別の話で、それを取り除くお手伝いは僕は喜んでするわけですよね。
もちろんその人がマイノリティだからという理由だけではなくて、そこに因果関係、僕が何か助けなければならないような、あるいは、助けたくなるような因果関係が生まれたら、その瞬間から僕はサポーターになることになります。
ですけれども、そうじゃなくて、何か知らないけれども、代表者気取りで物を言う人っていうのを相手にするほど暇じゃないんですね。
ですんで、当事者か否かというのは、やっぱりこれは明らかにした方がいいし、当事者であったとしても、主語は常に自分であるという風に意識した方がいいと思うんですね。
よく言うのが、我々、障害者はという風に言って、障害をお持ちのことをすごくアピールする方がいらっしゃるし、そういったときには、確かにいわゆる健常者の人って反論しづらいんですよね。
ですが、障害者と言われてる人たちが全員同じことを考えてるわけではないんです。
ですんで、代表者を気取るというのは、どんなマイノリティであっても、危険な行為だと僕は思っています。
これ切り離して考えなきゃいけなくて、サポートを受ける必要があるかないか、そしてそのサポートというものを誰がするのかというのを考えることと、あるいは、障害者なんだから、守られてしかるべきだという主張というのを無条件で受け入れるっていうことには、これギャップがあるってことなんですよね。
ですんで、そこには冷静な話し合いだったりとか、冷静な判断だったとか、あるいは、より一層理解するためのプロセスであったりとか、そういったものというのを深めていかなきゃいけないわけですね。
最終的には何事も個人というところに落ちてくるし、そして、同じサポートというのが、全員に合致するわけじゃないってことを理解しなきゃいけないってことなんですね。ですんで、兎に角、全世界に全て同じようにマッチするようなものというのは、考え方であったりとか、もうありとあらゆる政策だったりとか、あるいは、ありとあらゆるサービスであったりとかも、どれもこれもが個人によって受け入れ方が違うということなんですよね。
ですんで、この僕に対する質問、こういうことを本当に提言できますかという詰めるようなことを僕に言われてもですね。
はっきり言って受け入れる理由が僕にはないんですね。
申し訳ないけど、なんであんたにそんなこと言われなきゃいけないのという風に思ってそこでおしまいです。
相手に何かの意見を言って欲しい、もし何か自分と考え方が違うから、ちょっとそこの部分をもう少し示して欲しいって言うんだったら、言い方っつうもんがあると僕は思うんですね。
ですんで、kunio_freexさんのコメントを見て、思ったことは、いや確かにそうだよな、その考え方が抜けてたなんてことは1ミリも思わなくですね。
なんでこの人ってこういうものの言い方しかできないんだとしか思わなかったというのが、ぶっちゃけ正直なところです。
強い言葉っての発すれば、もちろんですね。
強い言葉が返ってきてしかるべきなんですね。
そういう覚悟というのをした上で、強い言葉というのは発した方がいいんじゃないかなと思います。
僕が何か直接攻撃したんだったら、別ですけどね。
僕が言ったことが気に食わない。
だから、それに対して強い言葉でぶつけてやれということを思ったんだとしたら、それに対して、僕が、しょんぼりと柔らかく受け止めるという期待は持たない方がいいですよね。
思いっきり強く打ち返します。
もちろんですね、僕の方に、明らかな非があるとか、誰かに対して、ものすごく失礼なことを言ったというのだったら、これはもちろん潔く謝りますけれども、今回の話っていうのは、そういった受け入れのものではありませんので、そして、ましてやですね。
このコメントについては、他の言い方で僕に対して質問することはいくらでもできたと思いますんで、残念ながらこの聞き方の部分で損しちゃったねっていう、そこでおしまいかなという感じがしますね。
かなり、僕にしてはきついコメントになったかもしれないんですけれども、ここはですね。
僕としては、非常にこの手の考え方っていうのが、嫌いなので、はっきりとそこはちょっと申し上げた方がいいかなと思います。
質問を何かして答えてほしいという風に思うのであれば、相手が受け入れやすい言葉で言えばいいだけの話だなと思いますし、もし攻撃をするつもり言ってるんだったら、そういった意味でいうと、攻撃を仕返されることはもちろん、織り込み済みで、それをすればいいのかなと思います。
というのが、今回のコメントをもとにしたお話でした。

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