【1158回】自分を信じるか、自分を疑うか。 - Madoka Sawa https://voicy.jp/channel/632/157828#Voicy ボクの自分へのアプローチ

【1158回】自分を信じるか、自分を疑うか。 - Madoka Sawa
https://voicy.jp/channel/632/157828
#Voicy  
ボクの自分へのアプローチ


いかがお過ごしでしょうか。
澤でございます。
ツイッターを眺めていたらですね、
元FiNCのCEOで、今WEIN GROUPグループのCEOをやられている溝口勇児さんがですね。
非常に興味深いツイートしてたんで、今日、それをちょっとネタにしようかなと思うんですけど、Twitterの内容を話をすると、
「大きな成果をあげる人の特徴は、自分に対しての自信と疑念、この双方を持ち合わせてる点にある。
自信がなければ周囲の意見に呑まれて凡常になるし、疑念がなければ思索の先の境地にたどり着けない。
これらの対極に見える感情が揺れ動く日々の中にこそ、大きな成長や新しい発見がある」

ってことですね。
溝口さんの投稿って、結構私的だったり、すごく知的だったりとか、もうすごいかっこいいんですけれども、
僕はですね、そんなかっこいい言い方はちょっとできないので。もう少し単純な言い方で、今日は、お話しようかなと思うんですけれども、僕自身はですね、自分に対してどういう夢を持ってるかというと、圧倒的に疑念なんですよね。
元々、自己肯定感低いですからね。
自信に満ち満ちた状態で自分のことを見るっていうことはほとんどなくってですね。
これはどうせ失敗するんじゃないかとかですね。
上手くいかないんじゃないかとか、そういう感じの目をだいたい向けてるんですね。
ですので、うぬぼれによって、失敗するというリスクはかなり低いんじゃないかと思います。
基本的に自分を見る目ってのは、多分一番厳しい状態なのかなって思いますんで、そういう目で見ている限りにおいては、自信過剰による失敗っていうリスクはかなり低く抑えることができるんじゃないかなと思うんですよね。
ただ、ちょっとこういうものの考え方しすぎちゃうとですね。
成功成功として、認めなくなるっていう、そういうリスクもあったりとかするんで、ちょっともったいないっていうこともあるかもしれないですね。
ですけど、これは思考の癖ですので、これをですね、うまく手なずけてやるしかないかなと僕は思ってます。
そして、この見方によって、損をしたことっていうのは基本的にほとんどないんですね。
ですので、僕はこの見方、自分に対してはちょっと疑念の方を大きく持つというのは、今後もやめることはないかなと思ってます。
その一方でですね、自分ができることというものをあまりの過小評価を過ぎてしまうと、結局のところ、得もしないんですよね。
チャレンジをしなくなっちゃう可能性ありますからね。
ずっと守りの姿勢になっちゃう可能性もあるので、この部分はこういう条件が揃えば確実に成し遂げることができるということが自分の中で言語化をできてると、これはですね。
自信を持ってというよりは、僕の場合だと、ある程度、安心して取り組むことができるんですね。
自信満々でヨッシャーっていうよりは、これだったら、どうにかできるかな、恐る恐るみたいな感じで常にやってるわけですね。
だけど、こういうやり方でも十分にですね、いろんな成果を上げることができてるような気がしますので、そんなに悪くない思考なのかなと思います。
ですので、自信過剰ではないんだけれども、自分ができることを認識しておくということは、すごく重要かなと思いますね。
これは何度かvoicyでもお話をしていますけれども、僕は自分ができることってのは、ある程度、見積もってやることができるわけですね。
ですので、比較的ですね、スランプが少ないんですね。
例えば、何か物を書く、記事を書いたりとか、なんかそういうことをするとき、あんまり時間かからないんですね。なぜかというと、自分は何か見つけて書き出すまで、ネタを見つけて、書き出してそれが書き終わるまでだいたいこれぐらいの時間でできるというのはですね。
一応把握をしていて、そして、思いつかないとか、上手くいかないっていうことも含めて、自分の中である程度、言語化できてるんですね。
その時にはプランBで、こういうやり方をすればいいとかですね。
こういうふうに周りから助けを求めれば、どうにか行き着くことができるとかですね。
なんかそんな感じのプランB、プランCというものも含めて、何かしらの対策を練るというなってるわけですね。
まぁ自信があまりにも過剰になっちゃうと、場合によってはですね、一本足打法になるんですね。
つまり、他の保険ってのは全然ない状態ですね。
もうこれだったら、絶対失敗することないからいいやこれやっちゃえみたいな感じになると、何かうまくいかなかったときにリカバリーが全然できないとかっていうことになりかねないわけで。
僕の場合は、うまくいかないことがあるかもしれないっていうそういう思考がずっとあるので、常に何かしらの保険をかけてるんですよね。
その保険をものすごく使った事例ってのは、そんなに実はないんですけれども、ただ保険をかけているということによる安心感というのが、結果的には自己肯定感があまり高くなくて自信がない僕でも、まあまあのチャレンジができているのかなと思います。
これ本当にですね、他者の目と自分の目ってのにえらいギャップがあってですね。
他の方々はいやいや、澤さんすごい自信満々でしょうっていうふうにお思いなるかもしれないんですけど、もう全然そんなことないですからね。
僕は常におっかなびっくり恐る恐るで、それで抜き足差し足ですね。
にもかかわらず、時々ズッコケるんです。
それが困るんですけれども、とはいえ、僕が仕事として付いているタグ、これに関しては大抵の場合、自信満々できるというよりも、先ほど言ったようにうまくいくための手立てをより多く知っているという状態なので、結果として失敗のリスクが極端に低いという状態を作ることができるのかなと思います。
これ僕はですね、自信満々の人ってのを正直、自分事として理解することができないので、そういう人たちが見えている風景って、ぶっちゃけよくわからないんですけれども、まぁ、すごいな、うらやましいなと思いますよね。
なんであんなに自信満々なんだろうかっていうふうに思うことってありますね。
そして、こういう言い方すると、すごく角が立つというか、ちょっと感じ悪いですけれども、自分がすごく慎重にやって、これぐらいっていうふうに思っているものに対して、そのレベルまでいってないにも関わらず、他人に教えたがる人ってのもいるんですね。
これ別にですね、教えることが悪いとか、教えちゃいけないっていうそういう意味じゃないですよ。
もちろんですね教えることによって、自分が身につくっていうこともあるので、これは全然人に教えるということを選択するのは間違いではないんですけれども、ただ、明らかに自分のことを過大評価した上で、そして他の人に対して、ちょっと上からの物言いですね、教えてあげるよっていう、そういう事例を時々見るわけですよね。
うらやましいと思いますね、ボク、それできないなと、ボクは相当ですね、練りに練ってやっとこさっとどうにか形になるかもしれないっていう状態で、今のキャリアを作っているので、不十分な状態なんだけれども、自信に満ち満ちた状態で他の人に対して、教えてあげるよみたいな、もうこれ僕とは全然思考回路違うんだろうなと思ってですね。
本当にこれ嫌味でも何でもなくて、うらやましいなって思いますね。
ただですね、ボクはそういう人に教わりたいかっていうと断りたくはないですけどね。
そういう人はそういうニーズあるでしょうから、そういうニーズのところで暮らしていただければいいかなと、ボクとはですね、ちょっと違う生息域で暮らしてもらえるといいなと思いますね。
そういう人にちょっと時間取られるとですね、草臥れるんですよね。
ボクの場合、平気な人もいるでしょうけれども、ボクはくたびれてしまうので、そういうのはちょっと、ごめんこうむりたいなと思いますね、はい。
これはですね、価値観の違いですんで、全然いいとか悪いとかはないんですけれども、ボクはそういうふうに感じているという次第ですね。
もっと言うとですね、ボクのようにすごく、あまりにも遠慮しすぎてしまっていてですね。
ちょっともったいないなって人の中にはいるんですね。
そういう場合にはですね、ボクの場合には徹底的に教えを請うことにしています。
要するに、アウトプットする機会というのを提供する側にまわるってことですね。
これもちろんですね、これときと場合によりますけれども、余計なお世話だと、思われちゃったら、これ意味がないので、時と場合にはよるんですけれども、ただそうやってですね、アウトプットする機会というのを提供することによって、その人が新しい可能性に目覚める場合もあるわけですよね。
ですんで、そういう人にはそういう機会を提供するということでキャリアアップのお手伝いすることもあります。
この手のことってのはなかなかですね。
需給のバランスっていうのは取れないものだったりするんですけれども、ボクは少なくとも、あまり自信がないならこれから頑張りたいなって思う人の後押しをする方が好きですので、そういうことに時間を使いたいなというふうに思っております。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?