生と死について思ったこと

さっきTwitterで、作者の家族である犬が亡くなった時のことを漫画にしている短い作品を読んだ。 私も実家と夫の実家に犬がいて、とても大切な友のような兄弟のような存在だと思っている。そしてどちらも12、13歳となかなかの高齢になってきている。

犬たちの平均寿命は、人間のものと比べると随分と短い。だからか、人間に対してよりも、遠くない未来である可能性が高いからか、より死について考えることが多かったような気もしている。

小さい頃に、ハムスターやカメをかっていて亡くなった時や、おじいちゃんが亡くなった時が一番最初の死に触れた出来事だったと思う。

小学二年生の時におじいちゃんが亡くなったときは、もう会えないということが悲しくてとにかくずっと泣いていたことを覚えている。大人になってからも、おばあちゃんを亡くした時とてもとても悲しかったし、今でも思い出す。

ふと、最近死について思ったことがある。死というのは、生きている人間が考えた概念で、実際のところは亡くなった人にしかその先のことはわからない。だから、肉体から魂みたいなものが離れているのは多分確かなんだろうけど、その魂はもしかしたらどこかで生き続けているのかもしれないと思った。それは、私の身近な人たちの魂が、亡くなったことによって全てなかったことになんてなってほしくないからそう思うのかもしれない。

社会人になってからもう一人のおじいちゃんが亡くなった時に、小さい虫がすぐ近くに飛んできた時、「もしかしたらあれ、おじいちゃんかもね。」と家族と話していた。なんとなく、その時は私もそんな気がした。おじいちゃんの亡骸を見ていると、それはもう本当に亡骸で抜け殻のようで、その中にはおじいちゃんの魂はないんだなぁという感じがした。だから、動いている小さな虫の方におじいちゃんの魂がある方が、あの時の私にとっては自然な感覚だった。


幼くしていろいろな事情で亡くなる命もある。若いのに可哀想だと言われることも多いだろうし、私もそう思うことがある。でも、本当に可哀想なのだろうか。もしかしたら、別の場所で楽しく幸せに生き続けているのかもしれない。そう思ったら、何も決めつけられないなあと思う。

亡くなって、会えなくなることがとてもとても悲しい。でも、そんなふうに大切な人や生き物たちが、別の場所で、もしかしたら生まれ変わったりなんかもしているかもしれないけど、幸せに生き続けていてくれたらなあと思う。

それに、亡くなったからといって、誰かの心の中で生き続けることもできるかもしれない。懐かしい香り、懐かしい風景に出会った時に思い出したり、普段からいつも思っていたりする人もいるのかもしれない。

死はこの世で今生きている私にとっては触れることも話すこともできないような別れだから辛いけれど、いろんな形で生き続けられると思っていたら、ほんの少し気が楽になりそうだ。大切な誰かとの別れが来た時にそれに飲み込まれて自分を見失うことがなく生きていけるのかもしれない。でも、その時になったらそんな今の気持ちも忘れてただただ悲しみに暮れるのかもしれないけれど。






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