見出し画像

一歩の楽しさと怖さ

1歩を踏み出してから5年と3ヶ月。その楽しさと怖さを本当に葛藤しながら生きている。27歳というまだまだ人生序盤の中で達観したような発言はしたくないが、27年分本気で生きたからこそ、見えてきたものがある。それは楽しさと怖さは表裏一体で存在し、それと向き合い続け非連続的な挑戦をし続けなければならないが、最後は『人間関係』に起因するということだ。楽しい人生を送るためには人を思いやることが大事であるという、一番当たり前のことに気づくために、27年費やしてきた。

なぜ、そこに行き着いたのか?
今日はそんな自分の心情をベースとしたリアルを綴っていきたい。

1.私が踏み出した1歩というのは『事業開発』×『ベンチャージョイン』

22歳という年齢でそのような意思決定をしたのは様々な背景があるが、シンプルな一言で言うと『自分らしさ』というものへの追求である。

今思えば、若気の至りである。就活に疑問を感じ、大手に疑問を感じ、レールの上を歩いてく生き方に疑問を感じた。正直、今22歳と言う年齢であれば、もっともっと選択肢は広かったと思う。別に今の会社にジョインしなければ、自分らしさを追求できないとは思わない。けど、当時は自分を貫くために適切だと思った選択肢は本当に限られていた。今では笑ってしまうほど不器用で、粗雑で、偏った価値観の持ち主だった。

なぜ、このような意思決定をしたのか。実際辛くなかったのか。そういったリアルを今日は書き留めていきたい。

2.当時の自分(高校まで)

昔は今ほど自己分析ができていなかったため、どこまで自己認知できていたかは定かではないが、1つ言えることは圧倒的な『自己顕示欲』の塊であったことは事実である。

スポーツで小さい頃から活躍し、地域ではどの競技でも負けなしという戦歴もあり、根拠のない『自信』と『普通ではなく優れた人間である』というプライドが自分の中に存在していた。*ぶっちゃけこれで結構悩んだんだけどね

・高校受験も学年最底辺からビリギャルのように勝ち抜き進学校へ
・高校野球も不動のレギュラー獲得
・大学受験もセンター10点から満点へ

やればできる。努力すればエリートになれる。俺って天才?笑 そんな虚栄心を持ちながら、不純な動機を抱きながら、一応の有名大学まで登りつめることができた。大学を踏み台にして、エリートに駆けあがろう。そう考えていたが、この大学で、自分がどれほどちっぽけで、見当違いな人間だったかを思い知らされる。

3.初めての劣等感と挫折(大学)

大学入って感じた、圧倒的格差だった。運がいいことに、経済学などを学ぶ学部だったので、数学が得意だったおかげで単位習得に問題はなかった。しかし、周りはバイリンガルは当たり前で、ロジカルシンキング、プレゼン力、はたまたペーパーテストでは測れない一人間としての能力が高く、一緒にいて劣等感しか感じなかった。何よりもすごかったのは謙虚であり、夢があることだ。

・レギュラー外から日本A代表へ
・一部最下位からコンバート、インカレ準優勝メンバー
・文武両道、部活レギュラー学部トップ
・留学経験後、日系最大手企業へ

今思えば、大学での出会いは恵まれすぎている。普通の人生を歩んでたら出会えないほどの人間と出会い、何も経歴もない、実績もない、能力もない人間を仲間として見てくれて、一緒に学生生活を過ごしてくれた。本当に感謝しかないが、心のどこかでは日々劣等感を感じ、もがき苦しんでた。

『自分はどうしたらこいつらのようにエリートになれるんだろう』

目に見えるステータスなどが欲しく、

・学生起業を行ってる企業でインターンシップ
・社会人より稼ぐ 月に20-30万
・人脈おばけになる

その結果、学部の中では知らない奴がいないくらいの中心的存在になり、学部の卒業パーティーなども幹事を行うくらいにはなったが、、、、何も自信にはならなかった。

『エリートってなんだろう?』

その頃になると就職活動が始まり、リクルートスーツが増えていった。ただ、昔から、みんなと同じが嫌だ。自分は周りとは違うという無駄な虚栄心が仇となり、就活を本気でなかなか臨めなかった。

・なんでスーツ着るんだろう?
・なんで自分を作らないといけないんだろう?
・なんで大手に行かないと恥ずかしんだろう?

いろんな葛藤が起きて、その答えを模索していた。きっとこの頃欲しかったのは
『働く目的ってなんだ?』
というシンプルなものだったのに、いろんな葛藤が邪魔し、素直に自分に向き合えなかった。エリートになりたいのに、大手にはいきたくない。認められたいのに、人と同じいやだ。
全部自分がどうしたいかではなく、他人からどう見られたいかという視点でしか物事を見ることができなかった。小さな人間である。

4.出会いと生き方(CRAZY社)

段々と時間が立つ中で、ベンチャーに興味を持ち始めた。そこで茶会人やソーシャルランチなどを活用し、様々なベンチャー企業へ訪問した。その出会い一つ一つは確かに刺激的で、安定のためだけに仕事をするような社会人、疲れた顔をずっとするような社会人とは1つ違っていた。

・成長できるよ!!
・稼げるよ!!
・歴史に名を残せる!!

みんなに夢があり、楽しそうに仕事の、会社の話をする。それはそれでよかったのだけれども、何か違った。お金を得ることが、有名になることが、一番大事なのだろうか??

そこでまだ創業して数ヶ月の『UNITED STYLE』 *現CRAZY社に訪問し、刺激を受けた。本当に赤裸々に自分のことを話し、人とは違う考えを持っており、それが虚栄心であることも、大手に行くことに納得できないことも、かといって、自分の働く目的もないことも全部伝えた上で創業者である山川さんはさらっと『人と違うって価値なんだよ』って答えてくれた。

他のベンチャー企業とは視点が違うように感じた。成長することも稼ぐことも目的としない。ただ一心に自分が目指してる世界観、ウェディング業界の課題、そこにイノベーションを起こしたいということ。ただただ、かっこいい。そんな風に思った。尊敬し、感動をした。

この人は他人からどう見られたいかなんて思ってない。『自分がどうありたいか、どうなりたいか』が中心であり、世の中に価値を生みたいと思ってると感じた。一気に自分の今が恥ずかしくなり、一気に自分のなかで変化が起きた。

『自分もありたい自分を追求できる人生を送ろう』

5.dscへのジョイン

その後、もちろん様々紆余曲折があったが、『教育』がひとつのゴールになった。人の可能性を追求し、広げることができたらそれって一番価値があることじゃないのだろうか?山川さんが視点をくださったように、人の変わるキッカケを生めれる人間になりたいと強く思った。

もちろん、他社でこのような人材教育業を行っている会社はいくつかあったが、私は大学時代にお世話になった大学スポーツチャンネル(通称dsc)を選んだ。

ここに意思決定した理由は1つである。

もっとこの先輩たちと働きたいと思ったから。

上3人が全員3個上というめちゃくちゃ若いベンチャーだし、性格違い過ぎるし、本当に精神と時の部屋みたいな窓なし4畳の部屋だし、、、給与も、、、友達と100万以上年収違うし、、、で環境的には絶対に選ばないものだったけど、その人たちにあったのがビジネスに対しての暖かさと人に対しての思いやりだった。この人たちとであれば、ありたい姿を貫き続けれる。そう直感的に思った。

6.ジョインしてからの苦悩

私が挑戦したのは『事業開発』×『ベンチャージョイン』そんなうまくいくわけもなく、最初の3ヶ月は売上0円が続いた。アルバイトや仕事がある中でお金を稼ぐのって簡単だけど、なにもない中で1円を稼ぐことってめっちゃ難しい、、、それを痛感した。

それを乗り越え、利益が1000万に到達し、3000万、4000万になり、やっと数名規模であるが1億という大台目指して切磋琢磨し、仕事をしている。給与も上がり、会社も伸び、社員数は4倍以上に増え、会社としては10周年を迎えた。

ものすごくはたから見たら順風満帆でしかない。成長角度はゆるやかであるが、確実に一歩一歩進んでいる。それは間違いないし、自負もある。心から、この会社が好きだ。この仕事が好きだ。楽しいと言える。ただ、その傍ら、、、怖さというものは昔も今もずっと背負い続けている。

怖さとは何か。それはフェーズによって異なるものであり、成長すればするほどこの怖さは積み重なってくる。

最初は

・経済的怖さ・・・明日潰れるかもしれない
・一貫的怖さ・・・しっかりと事業理念を貫けるか
・信頼的怖さ・・・この仲間とずっとやれるのか
・成長的怖さ・・・しっかりと市場で優位性を獲得できるか
・持続的怖さ・・・自分が外れても継続的に発展していくだろうか

他にもたくさんの怖さがある。自分の時間を確保できるのか、自分の将来ビジョンはどうあるべきなのか。

事業開発できて、ベンチャーに勤めて本当によかった。これは事実である。多くの自由と喜びを得ることができたが、その裏側にその『怖さ』とずっと怯えながら生きてきた。フリーランスの方が『お金を取るか、生き方をとるか』という葛藤に悩まされたと話してる方がいたが、本当に同じ悩みを抱えている。私は組織を通じて、フリーランスは個人を通じてその悩みと向き合ってる。今も、これからもこの怖さから目を向けずに生きることはないだろう。

7.怖さと向き合うために

結局めちゃくちゃ悩んできたけど、この5年間乗り越え続けてきた。その理由を考えた時に、結論、覚悟と仲間だと私は思っている。

今思えば、生き方に正解はない。自分にとって幸せと思える選択をし、その方向へ突き進めばいい。ただ、ちゃんとそこに責任を持てるようその覚悟をしっかりと書き留め、なんども立ち帰ればいいだけなんだ。結局人間はその岐路に直面した時に自分にとって幸せだと思う意思決定をするはずである。

ただ、そのときその勇気を与えてくれるのは仲間である。部活動やクラス、仕事、家族なんでもいい。今まで一歩頑張れたなという要因の裏側に『人』の存在はなかっただろうか?人間、そんな強いものではない。強い人であるんだったら一人でがんばってもいい。もし、強くないんだったら一人でがんばらなくていい。

『こいつらがいるから挑戦してみよう。もうちょっと頑張ってみよう』

そういった人間関係さえ、仲間とその周りと築いていれば、なにか失敗したとしても支えてくれるし、応援してくれる。なんだったら自分の成長に、会社の成長に寄与してくれる。そういうもんだなと私が思う。

だから、結局楽しい人生を生きるためには周りを大切にすること。それからはじまるんじゃないかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?