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ご期待に沿っての私の社会批判について

※この記事は思考実験によるフィクションです。
書いてあることをそのまま鵜呑みにしないようにしてください。

ごく一部の方々にとって、どうやら私は恨みと悪意だけで
生きているらしいので、その設定どおり今回のテーマは
社会批判をしていきたいと思います。

結論としては、私たちは自分自身で足搔かないのに
他人に多くを求めすぎだということです。

この国では政治家と官僚は叩けば叩くほど味が出ると思っているのか
マスコミも私たちも批判を口にすることこそあれ
業績を評価したり、褒めたりすることはほとんどありません。
議会中居眠りした、不適切な発言をした、ミスを犯した
マスコミが流すニュースに従って私たちは~~が悪いと
バッシングしか行っていません。
種子法の改正や、上水道管理の民間委託など、確かに心身の安全が
脅かされるような改悪もありますが
そんな法律ばかりが成立していたら、この国の治安はもっと劣悪になり
道を歩いていたら死体がごろごろ転がっているような状況に
なるでしょうから、問題の先送りは数多見受けられますが
あからさまな悪意を持って成立した法律は
少ないのではないかと思います。

ですが、国民は日々の暮らしがより豊かになるのを実感しないと
政治が悪いと口にするので、たとえあんな退屈な、セレモニーに過ぎない
議会本会議で居眠りせずに起きていても、欠席せずに皆勤賞でも
政治家を褒めることはないわけです。
昔より生活水準が上がっている以上、たとえ昔に比べて
収入に変化がなくても、生活維持のコストが変化ないのなら
結果豊かになっていると私は思うのですが
たとえば収入が手取り25万円から35万円に上がるといったように
誰にでもわかる、目に見える数値・成果がないとどうやら
私たちは納得しないようです。

ならば例えば、首都圏の満員電車や保育所問題の解消のために
首都機能の一部移転を国民が提唱するかというと、そんなこともなく
政治献金や、あまつさえ投票すらしたことがない人々が
何も自分で行動しないのに政治家が悪いと口にするわけです。
そういう国民が多数いたら、政治の質がそうなるのも当然だと気付かず。

たとえば自分の子どもをしつけ・教育するとき、何をやっても
「だめだ」「失敗するな」「ちゃんとしろ」と𠮟り続けたり
するでしょうか。
いいことをしたら「よくできた」「その調子だ」
ミスをしても「がんばった」「次は上手くいくよ」と
励ましたり褒めたりしながら伸ばすものだと思いますが
殊この国の政治家に対しては、そんな論調はほとんど見られないように
思います。マスコミが顕彰するのも死んだ政治家ばかりで。

何をやっても叩かれるのなら、普通の人間ならば
「じゃあ実際に悪いことをしても同じ」と開き直らないでしょうか?
権限を持っている議員ならば、例えば数百億の予算について
口利きすることが可能でしょうし、それで後援会の人間が潤ったり
自身に数億円のキックバックがあるのならば、「何をしても同じ」で
ある場合実行に移そうと思わないでしょうか?
アメリカ大統領選挙の例のように、選挙というのは使うお金の額に比例して
当選確率が上がっていくものです。政治家が落選してただの人となった時
例えば履歴書に政治家と書いてアルバイトや派遣社員になろうと
するでしょうか?
雇う側も気を遣いますし、本人も望まない就職かと思います。
このように、政治家に一度なってしまうと、実家が大企業などでも
ない限りはお金に縛られることになります。そして、実家が大企業ならば
本人に能力がある場合、議員になるよりは企業を差配する方が
お金を稼ぐという意味において、一般人にとっては魅力的なはずです。
また、国民は政治家の批判しかしないのですから
業績を評価してくれるのは、身の回りの親族や、後援会の人間だけと
なります。もし彼らのために口利きや利益誘導をすれば確実に
感謝してもらえるし、さらに票や金銭まで得られるとなれば
多少不正であっても実行するのではないでしょうか?
よほど潔癖な人間でなければ、たとえば私たち普通の一般人ならば
汚職に手を染める方が自然な流れではないでしょうか?

同様に官僚についても、副業は禁止、建物や福利厚生はみすぼらしく劣悪
収入は大企業のリーマンに比べて非常に少ない
労働環境は劣悪なブラック、与党議員の文書を代わりに作成したり
野党議員の活動している風に見せるための質問への答弁書を
残業して作成する、難関のキャリア試験を通った割に
待遇がひどいのですから、口利きを聞いたり、天下りで
外部に出向したりなどで多少の利益を得たいと思うのは
自然ではないでしょうか。
もちろん正義感に燃えた官僚も入庁することでしょうが
近年の例でいうとそういう人たちはいつの間にか消えているわけです。
モラルさえも維持できない就労場所で、ミスをするたびに
マスコミに叩かれるのですから、事なかれ主義、無責任主義
縦割り行政になるのは当然ではないでしょうか。
そもそも官僚の人たちは、小賢しいや要領がいいとは必ずしも
言えないにしてもみんな頭が良いのですから。
マスコミも含め周りの評価を考えたとき、自分たちの得になるように
動く結果、留学を国費で負担してもらって、その後すぐに退職して
民間に再就職するなどの行動はごく当然の結果と言えます。

ならば、そんな不正による利益を魅力と感じない正義感を持った人間だけが
政治家や官僚になればいい、と思うことでしょう。
古代ギリシアの哲学者プラトンもそういう理想に基づいて
哲人政治というものを提唱しました。
しかし例えば政治家の職に就く人間の多くは、政治家の家系の人間
=ほぼ一般人か、偽善者≒サイコパスか、メサイアコンプレックス持ちの
人間になります。
本当に正義感を持って議員になるのは、野党の団体選出議員の一部
くらいではないでしょうか。
なぜかというと「正義感や思いやりを持った能力のある完璧な人間は
政治家の職業に耐えられない
」からです。
日本において権力を持った人間というものは、嫉妬の対象となり
悪人だけでなく、善人寄りの一般人ですら、足を引っ張り
引きずりおろそうとします。
ただでさえ、人が良い性格は悪人から標的にされやすい上に
一般人からも応援はされずにバッシングしか受けない中
常人は耐えられるでしょうか。
そんな苦労をするくらいなら、小さな企業を作って細々と人助けするなり
自治体の首長になって、大鉈を振るうなり、完璧な人間は
より現実的な選択」を取るのではないでしょうか。
では、不正を軽々と行い、もしくは不正に手を染めずとも
モチベーションを保てる、バッシングにも耐えることが出来る
能力を有した政治家とは、どういう性格かというと、承認欲求が強く
見かけ上は善行を行う偽善者≒向社会的サイコパスか
これこそが天職と、自身の犠牲も批判も顧みず邁進する
メサイアコンプレックスの人間か、後援会に親と同様の口利きと利益誘導を頼まれて(人によっては内心嫌々ながらも)議員になったごく一般人の
3択が主になると考えられます。
つまり、「正義感や思いやりを持った能力のある完璧な人間」
=「ヒーロー」≒「哲人」が政治家になる確率は
非常に小さいと言えるでしょう。
そしてそういう土壌や環境を整えているのは私たち自身ということです。
それは利権が大都市よりも少ない町村議会議員のなり手不足からも
うかがえるかと思います。

というわけで、次回は偽善者とメサイアコンプレックスと
ヒーローとの違いについて考えてみたいと思います。
という今回は単なる前置き記事です。

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