エッセイ<2002年からのロングパス>
4年越しに雪辱を晴らした、デビッド・ベッカムのPK。鬼気迫る表情でゴールマウスに立ち続けたオリバー・カーンが、最後に見せた一瞬のミス。最後までボールを追い続けたから生まれた、鈴木隆行の咆哮。サッカーという競技の持つ熱量を、この国が初めて知ったのが2002年の初夏だった。日本と韓国にW杯が来た、初めての夏である。
当時の日本代表で「中田」と言えば、ほぼ全員が中田英寿のことを指しただろう。しかしぼくは、黙々と攻撃を跳ね返し、糸を引くようなロングフィードを前線に通す中田浩二の、いわば「職人」のようなプレースタイルの方が好きだった。
中田浩二、代表での背番号は「16」。フィリップ・トルシエ代表監督の代名詞であった3バック、通称「フラット3」において、左の一角を任されたDFであり、ぼくのヒーローだ。
彼に惹かれたのは2001年の夏である。当時ぼくが通っていたサッカークラブの合宿では、最終日に鹿島アントラーズのクラブハウスを訪問することになっていた。それまで見たこともない大きなトロフィー、青々とした芝生のグラウンド。その中でサインをもらったのが、当時鹿島アントラーズの監督を勤めていたトニーニョ・セレーゾと、中田浩二であった。
代表戦に限らず、サッカーにおいて最も注目される瞬間はゴールが生まれる瞬間である。逆に言えば、他の選手に注目するのは玄人か、よっぽどの暇人だ。だが、そんな選手が日本のピンチを未然に摘み取り、チームに不可欠な存在となるーーーかっこいい。視力の問題でゴールキーパーを断念したものの、他のポジションなどついぞ経験のないぼくがチームで生き残るためには、そんな「縁の下の力持ち」のような存在になるしかなかった。そういう意味で、ぼくが彼に憧れたのは必然だったのかもしれない。…ぼくがスタメンに返り咲くことは、なかったのだけれど。
ともかく、中田浩二の活躍を願いながら迎えたW杯である。全試合テレビにかじりついて見ていた。ベルギー戦での勝ち点獲得。ロシア戦での初勝利。チュニジア戦での完勝。そのピッチで(画面に映る回数はあまり多くなかったが)、ぼくのヒーローがプレーしている。あれほど高揚感を持ってサッカーを見たのは初めてだった。
日本にとって初めての決勝トーナメント。その歴史的意味合いはさておき、ここから先は「負ければ終わり」。早く来てほしい、けど来てほしくない、そんな気持ちで、ぼくは2002年6月18日を迎えた。宮城スタジアムは、超満員のニッポンコールに包まれていた。画面の向こうでぼくも声を張り上げる。日本の、中田浩二の力になれると信じて、おそらく多くのサポーターと同じように画面を見つめる。
その声が途切れたのは、前半12分のことである。バックパスが力なく転がって、白いユニフォームの足元に収まる。なんとかコーナーキックに逃れたのを見て、そのパスの出し手である背番号16が片手を挙げた。
日本代表の冒険が終わるのは、およそ1時間半後のことである。
試合終了後、中田浩二は涙を浮かべたような、落胆したような、よくわからない表情をしていた。それまでの3試合とはわけが違う、なんだかよくわからないまま終わってしまったーーーそんな表情。19年が経った今でも、あの時の顔が、ぼくの脳裏に焼き付いて離れない。あの日々が、あの顔が、ぼくにサッカーという競技の楽しさと、残酷さと、美しさを教えてくれた。
さて、その後ぼくは、結局視力の問題でサッカーをあきらめることになる。結局あの時あこがれた中田浩二のようにはなれなかったわけだ。結局普通に進学し、社会人になり、今はうつ病をこじらせて家にいる日々を送っている、なんだかよくわからない存在になってしまった。やることもないから部屋を片付ける。そうして出てきたのが、2002年のワールドカップのハイライトのDVDだった。このお題「#サッカーの忘れられないシーン」で集められた記事を読んでいたのもあって、なんとなく再生する。あの日のハイライトも、そこにはあった。
それを見ていて、ぼくは涙を流した。2002年、12歳だったぼくが見ていた頃から、今30歳のぼくが、同じようにサッカーを見て、なんだかドキドキしたり、興奮したりする気持ちが、少しだけ蘇ったのがわかったから。まだぼくは立てる、そんな気がした。
中田浩二選手。19年前にあなたにサインをもらった小学生は、サッカーをやめてしまいました。色々頑張ってみたけれど、今もうどうしようもないくらい辛いことになっています。だけど何かの縁で、ぼくはまた19年前のあなたのプレーを見て、少しだけ頑張れるんじゃないか、そう思いました。あなたのプレーがきっかけで、ぼくは少しだけ、少しだけだけど、前を向けるんじゃないかって、そんな気持ちになりました。こんなことを言われてもあなたは何のことやら、と思うかもしれませんが、それでも、ぼくは救われたんじゃないか、そう思っています。だから、ぼくはこうして文章を書いています。あなたに届くとは思いませんし、勝手にぼくが受け取ったつもりになっているだけなのですが、それでも、ぼくはお礼が言いたいのです。
2002年からの贈り物を、ありがとうございました。2021年のぼくは、もう一度、頑張ってみようと思っています。
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