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好きな事で食べて行く、バラ色の人生のはずが…

こんばんは。チルゲンです。生まれ育った瀬戸内海にUターンして、ゲストハウスを基盤に、漁師、遊漁船、ダイバー、野生動物のカメラマン、農業、旅、日本酒までも仕事に取り入れたいチルゲンなのですが、これは13年前にはすでに頭の中では、全てが上手くいくと何の疑いも自分を信じていたんです^^;

結果はどうかと言うと、創業して13年間やり続け上手くいったのは遊漁船と釣りの仕掛けの製造販売だけ。上手く行ったと言っても年商2,000万円くらいです。仕入れの原価が極端に少ないので、何とか従業員がいても何とかなっていましたが

他のは失敗というか、結局一歩も踏み出すことが出来ませんでした。

39歳の時、好きな釣りで生きて行くと選んだ土地は、遊漁船をするなら漁業組合には入れないし、組合員になるには他に欠員が出ないと入れない所でした。これは場所選びの段階で間違った情報を信じてしまった私の完全なミス。遊漁船or漁師となると知らぬ土地で、おまけに当時は何の収入も無く失敗すればイチからサラリーマンに戻るほか無い状態で、いきなり右も左も分からない海での漁だけで家族を養っていく自信も無ければ、自分のやりたい漁も出来ないでは、話になりません。だからこそ、ゲストハウスを作る場所はまずはここをクリア出来る地で有ることが絶対条件。

そうなると必然的にある程度場所が絞られてはくるのですが。場所探しは最高に面白いイベントなので、じっくり楽しみます^^

その他は結局、遊漁船業が上手く行ったことで、カメラは趣味でいいじゃん。ダイビングは痩せてから新しいスーツ作ろう!で結局痩せるどころか成長を続け、旅は良くて1泊が精一杯の時間しか取れず、温泉巡りオヤジに。農業に至っては庭のミニトマトさえも枯らしてしまい、出船する前日は酒を飲まないって決めていたので、旨い酒も溜まる一方。新酒が古酒に…。カレイの煮付用に獺祭なんて信じられませ~ん。宿は設計図までは完璧。でも でも でも

これは書くまい…

頭の中では完全に上手くいくはずだったんです。

好きな事で食べて行くバラ色の人生 机上の空論編

13年前に描いていた生き方。

●遊漁船で年間1,000人。釣り具、釣り餌も販売を含めて年間1,000万円。

●シケや悪天候が予想され、1週間程度休めるときは旅に出たり、野生動物の写真を撮りに出かけたり、同時に水中撮影の勉強もする。

●冬の三か月間は、海外にロングステイ。

どうです。いいでしょう^^

でも13年前のチルゲンには絶対無理だったんです

一番大きな理由は、一番になりたかった。自分の夢で。これがもし妻のやりたい事だったら多分全部上手くいった可能性が高いです。結局のチルゲンの夢の為に妻を労働者扱いしてしまってたんです。

とにかくそこだよな~ってつくづく感じます。だから、今度があるなら同じ夢、少なくともゲストハウスや釣り、自然が好きで夢を持ってる人と残りの人生を過ごしたいと思っています。

私が描く未来予想図を、どんどん加筆修正して、自分の夢を組み入れてくれるような人。

この13年間で自分が大きく変わったところは、人を心から認める事が出来るようになった事、頑張っている人が大好きになった事。

「こんな世の中に誰がした」なんて言いながら生きて行くより、せめて「こんな世の中も捨てたもんじゃない」と思いたいチルゲンです。

チルゲンの仮想成功哲学

失敗して何度も自己嫌悪になり、正直最後の引き金を引かずに済んだのは子供の存在があってこそですが、ホント前に進んでなくとも、前を向きたいって思う気持ちだけが有れば何とかなる。

こんな1000字を越える文章なんて、何年も書けなかった。6年前までは、HPに書く毎日の釣果情報でも軽く1000字を超え、更にフェイスブックやブログの更新も頻繁にしてたのに、ある日を境に全く文章が書けなくなったんです。書いては消す。書いては消すの繰り返し。結局書くのを諦め、簡単に釣果情報を載せるのみ。FBはグループ以外は今だにそうだけど…^^

でも、前を向きたいって気持ちだけあれば何とかなってきました^^v

いきなりですが、本日の副収入~

これも、昨日同様に郵便局もっていかないと送料分からないから、送ってから計算しよっと。

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