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100%の相互理解という幻想をキメられない

マイノリティは矯正されるべきか否か。現在の世間一般的な規範から言えば、それはNOだ。
しかし、マイノリティは正しくないから矯正すべしというのが共通認識だった時代がある。例えば同性愛を精神病として治療しようとしていた時代だが、恐ろしいことにそう昔の話ではない。WHOが精神疾患項目から同性愛を外したのは1990年。たった31年前のことだ。

今日、とある漫画を読んだ。無性愛の男性に恋をしているヘテロ女性が服薬した人間を『恋愛脳』にする薬を開発し、彼にその薬を盛るすったもんだを描いた”ラブコメ調”の漫画だった。読むに、この男性はおそらくアセクシャルかつアロマンティックだと推察されるが、「無性愛(アセクシャル)」と自称しているだけなのでそのへんは分からない。ただまあ、無性愛というセクシャリティを受け入れている男性の意思を無視して、かつ過去すでに振られているにもかかわらずヘテロに矯正しようと画策して「これでイチャイチャできるね!」なんてマジもんの性犯罪だし、すでに一度振られているのに12年も執着するとか怖すぎるし、なんなら人権侵害にもあたるんではないだろうか。そして、これを読んで感じたとんでもない恐怖と同時に先述の一件を思い出した。「無性愛者男性のことが好きで、彼とイチャイチャしたいから」という自分勝手な理由で無性愛者を性愛者に矯正しようとするヘテロ女性は、同性愛者を精神病院に入れたマジョリティと根本の認識は同じだ。(無性愛者と同性愛者・異性愛者はそもそもジャンルが明確に違うとはいえ)

これは私の経験だが、アセクシャル・アロマンティックの人間は「恋愛感情も持てないし、性欲もないんです」と言うと、かなり高い確率で(言外にでも)否定される。『恋愛感情がない人間なんているはずはない!』『知らないだけ、教えてあげる』とうんざりするほど言われ続けている。ほかでもない当人が感じて、考えて言っていることを何故か他人が否定するのだ。まじでお前誰?何?どの視点で物言ってんの??お前は私じゃなくない???ちなみにこれは過去形ではない。現在進行形に起きている出来事だ。今の私は単に自衛する術を得ただけで、現実は何一つ変わっていない。

本筋とは全然関係ないがこういうテンションになると必ずAwichの『WHORU?』が脳内で流れる。めっちゃ強くなれる気がするので、元気がなくなるとだいたいAwichを聞いている。『洗脳』『DEIGO』『Shock Shock』なんかも超~イカすのでおすすめだ。

閑話休題。

作中の彼があまりにも同じことを言われ続けてゲシュタルト崩壊したのかうっかり服薬してしまったように、(作者は意図してそう演出しているようには見えない。というより、マイノリティにマジョリティになる『選択』をさせることで、マイノリティの『矯正』を正当化しているように感じる。作風がコメディ・いい話風なのでより最悪である)私もうっかりマジョリティの真似事をしたことがある。過去を振り返って思うが、マジでもう二度と御免だ。私の場合は一応納得ずくでマジョリティおままごとを敢行したが、納得していても本当に苦痛だったし、友達を彼氏にすることで結果的に私は友達をなくした。別れてから連絡もとってない。彼らがどうしているか私は知らない。あの時付き合わなければ彼らとはまだ友人関係だったかもしれない。アセクシャルをヘテロに矯正する選択肢を得てしまった彼女らの話が、もし現実だったらどんな結末を迎えるだろうか。まあとんでもねえ地獄だろう。薬で捻じ曲げた関係などろくなもんじゃないことは想像に難くない。

ここまでワーッと文章を書いて、「あれ?似たようなこと書いたことあるな」と思った。こちらである。手前味噌だが、もし興味があれば読んでみてほしい。


「マ~~~~~~ジで何べん言わすんじゃええかげんにせえよワレ」
な~んてさすがに言えないが、率直な気持ちはこれに尽きる。

私はセクシャルマイノリティを自認して、無理にマジョリティの皮を被らなくていい・もしくはマジョリティに変わる”いつか”を待たなくていいということから解放されたことで、「自分の人生をどう生きるか」という指標に集中できて生きやすくなったわけだが、今度はマイノリティとしてマジョリティに迎合しないために講じている対応策の多さに日々うんざりしている。

マジョリティの『矯正』から逃れるべく、私はゴドーを追っかけてるタイプの人間からは距離を置き、面倒くさそうな集まりには行かないし、入ってくる情報に対し不意打ちを喰らわないよう耳目に常にフィルターをかけるようにしている。自衛のために。それでも今回のように喰らうときは喰らう。そして「自分の思うままになるべくやりたいことだけやる」っていうのも意外と大変で、取捨選択がマジで面倒くさい。あまりにも捨てるものが多すぎるからだ。例えばYoutube広告を例に挙げると、『マッチングアプリ』『脱毛』『性愛者の下世話な漫画』『楽して儲けるなんちゃら』だいたいこんな感じだ。見ている動画の合間に挟まるマジョリティレコメンド広告に毎回ドッと疲れて表示された瞬間『この広告をスキップする』ボタンを連打している。本当に恐ろしいほど広告全部マッチしてないんだけどGoogleがんばれ?????

こんなかんじで目に触れるもの・耳に入るものすべてに身構えているのだ。正直めちゃくちゃ疲れる。毎日実家で飼ってるいぬの幸せを願いながら生きるくらいのことしかしたくない。人間に関わって消耗したくないから、最終的に山とかで犬と静かに暮らしたい。人間はもううんざりなので来世があるならくらげとかがいい。泳ぐのに飽きたら海に溶けたい。

希死念慮がそう強いほうではないと思うが、日々生きることにうっすら疲れているし、なんにも考えずに生きられたらさぞ楽だろうなと思ってる。だが、私は例え現実にあったとしてもマジョリティになる薬は飲まない。マイノリティは私のアイデンティティの一部だし、そもそもマイノリティは治すものではないからだ。

そもそもとして、ヘテロは『分かり合う事』に幻想を抱いているきらいがあると感じる。
”人間は分かり合わないといけない” ”話せばわかるはず” ”いつかわかってくれる”
そんな強迫観念に似た共通認識があるから、”マイノリティを『矯正』しないといけない” ”マイノリティを治してマジョリティの仲間に入れてあげよう”なんて発想に至るんじゃなかろうか。相手をゆがめてまで同一になりたいというその暴力的な欲求は、私にはまったくわからない。

だからマジョリティに分かって頂こうなんてひとつも思わない。言葉をどんなに尽くしても、人間は経験がなければ理解などできないから。お互い様である。だからもう放っておいてくれ。したり顔で取り上げていただかなくて結構。マイノリティはマイノリティで勝手になんとか現代社会にある程度擬態して、好きに生きて死ぬので、ただ触らず置いておいてくれればいい。最近流行りの「多様性」を無理に認めてくれなくたっていい。嘘つかなくていいよ。全世界にマイノリティを分かってほしいなんてこと、ミジンコたりとも思ってないから。
それでも”繋がりたい”と思うのであれば、我々は誰とも完全には分かり合えない、そこから始めよう。そこから初めて、どこが違って、どこまでが許容できるかを探せばいい。お互いを尊重したうえで。

ま、すべては個人の感想なんですけどね。オチがぜ~んぜん思いつかないので以上。

それでは。

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