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【保育園勤務からフリーランスベビーシッターへ】

●保育園勤務からフリーランスベビーシッターへ


短期大学を卒業と同時に、保育士資格を取得しました。大学では、様々な保育園からの保育士募集要項が案内され、「保育園で働くこと」を当たり前のことだと感じていました。就職活動をし、大学卒業後は、希望通りの保育園へ就職しました。


短大時代

短期大学在学中は、コメダ珈琲店や書店でアルバイトをしつつ、ピアノ・ペン習字など習い事をしていました。勉強とアルバイトと習い事、隙間時間に書店へ行き本を立ち読みするのが好きな大学生でした。

保育園就職〜退職まで

卒業後は、地元の公立保育園へ就職。1年目から3年目までは、修行期間と決め、仕事に没頭。約5年間、転勤もなく同じ保育園で務めました。自分らしい保育というのは、見つけることができず悶々と過ごすことが多かったです。
先輩や同僚と比べて、落ち込むことも多く、失敗が怖くて、指導が入ると落ち込み、「辞めたい死にたい」と毎日思うようになっていきました。


自分の要領が悪いのか、勤務時間内に書類を終わらせることができず、残業をし、休日に保育園へ行き、書類を進めることも増えていきました。体力も気力も落ちていき、小さな失敗でも落ち込み、どんどん負のスパイラルに陥っていきました。

先輩たちの「昔はもっと大変だった」という言葉を聞いて、自分はまだまだなのかとショックを受けたり、今思えば病的に「もっと頑張らないと」と自分の首を締めていったように感じます。

「子どもと関わる仕事」の理想と現実のギャップを感じました。子どもの成長を見て、楽しい保育をして、笑顔が多いイメージだったが、現実は少し違った。カリキュラムに沿った、書類を書くことに精一杯で、書類にかける部分ばかり探す保育をしていました。子どもの楽しい笑顔を促すことも大切ですが、発達段階を把握し、より促していく保育を身に染み込ませることが最初は苦しかった。
子どもと関わる時間よりも、書類と向き合う時間が優先になっていってしまった。「今日は、子どもと向き合って保育できたか?」と振り返っても、書類のことが頭いっぱいで楽しむというより遊ぶ事が作業化していったことにより、私の仕事の意欲がどんどんと薄くなっていきました。


精神的に疲弊して、ふと夕方ポロポロと涙が出るようになりました。


仕事に向かう途中で、「事故をしたら、今日は仕事休めるかな。誰かに心配してもらえるかな」と、マイナス思考で頭がぐるぐる回りながら、胃をキリキリさせて働いていました。


今思えば、自分にとって負荷が大きいと思う仕事をしていたと思いました。当時の自分に伝えたいことは「自分を必要としてくれる人は他にもいっぱいいる」「辞めてもいい」「心身の健康を重要視してほしい」

【自己犠牲が正しい保育】だと思っていた若い保育士さんがいたら、【まずは自分を大切にしてほしい】と伝えたいです。


社会人経験として3年は働こうと決めて、気づけば5年経ち、自分のライフスタイルの節目で退職をしました。
同僚や先輩たちが退職し、再就職する姿を見て、自分も環境を変えてみようと決意しました。

辞めると決まった時から、自分を見つめ直し、新しい仕事を探すようになりました。保育園の求人を見ると、「表面上、いいことしか書いてない」ものが多く、現実はどうなんだろうと疑いの目で見ていました。「素直にここで働きたい!」という気持ちになれなかったのも事実。「苦しい思いをして、保育園で働くのは、もう嫌だと思って辞めたのに、また同じような環境だったらどうしよう」と尻込みしてしまう自分もいました。

「そういうものだからと受け入れてしまえば、いいのか。自分は消耗品のように扱われたままでいいのか。」と、働き方自体に疑問を持つようになっていきました。
働き方の本を読み、保育以外のジャンルの「働く人」を、なるべく見るようにしていきました。自分の新しい働き方のヒントになるかもしれない、そんな藁をも掴む思いで、人に会い、話をたくさん聞くようにしていきました。

人生が変わった転機


ある時、知り合いから連絡が来ました。「ちょっと東京に行くときに、うちの子供見てくれない?」という連絡でした。保育園を辞め、暇を持て余している自分にとって、子どもと関わることをしたいと思い続けている最中、この連絡が来たため、すぐに受け入れることにしました
東京へ行き、自分はすっかり保育士モードになって、その方の子どもを一時預かりしました。
その際は、東京国際子ども図書館で過ごしました。数時間過ごした後、その知り合いと合流し、食事に行くことになった。「なぜ私に?」と問いかけました。「資格も経験もある、親とのコミュニケーションも十分に取れる、そして何より頼みやすい」という理由でした。そして、「普段から一時預かりを利用しているのでしょうか?」と私が問いかけました。
「託児所やベビーシッターを利用する」と言っていました。
ベビーシッターと聞くと、「裕福な家庭」が使うものだと思っていたため、正直驚きました。
「え、ベビーシッターですか?」保育士は保育園で働くことが当たり前に感じていた自分が、新しい職業に興味を持った瞬間でした。


ベビーシッターのワードが気になって、前のめりで質問をする私を見て、「ベビーシッターやってみたら?すごく合うと思う」ということでした。確かに、想像したり聞いたりするより【体験してみよう】と思いました。


数日後、「ベビーシッターになってみたら?」という言葉が忘れられず、すぐにベビーシッターになるために調べました。
「私の持っている保育士資格が活かせて、子どもと関わる仕事が見つかるかもしれない」と思い、ベビーシッターという未知の世界にドキドキしながら、調べていきました。

今後もその知り合いの子どもを預かることがあるかもしれないと感じ、知り合いが利用しているベビーシッター会社に入ることが一番良いと思いました。
「ベビーシッターやってみよう」と思ってから、早速登録手続きを進め、ベビーシッターの面接など合格し、1ヶ月立たずベビーシッターデビューすることになりました。

保育園を辞めてみて、「あ、もう仕事に行かなくていいんだ・・・」という脱力して、ホッと安心した時のことを鮮明に覚えています。

「私が行かないと!」という責任感と、「私が行かないと、迷惑をかける=怒られる、それなら仕事に行けばまだマシ」という歪んだ恐怖観念があった。
毎日、仕事のことを考え、仕事から離れたいと思っていた5年間だったが、いざ現場から離れると、何をして過ごせばいいのか分からなかった。今までできなかったことをしようと、会社から与えられた「休みの日」ではなく、誰からも縛られない「自分の休み」を手に入れてからは、海外旅行をしたり、普段会えないような人たちに会いにいきました。
「時間が自由」というのは、不自由さから解放された「自由」だと感じた。そして、時間管理や体調管理など勤める場所があるから、強制的にできていたと感じました。


〜ベビーシッターデビュー〜


保育園の保育士として働いていた自分が、次はベビーシッターになったんだと、実感は特になかった。「保育士」としての自分の姿で在り続けたいという信念は変わらなかった。子どもと関わる仕事を保育園で学び、それが家庭保育にどこまで活用できるのだろうと自分の力を試したくて仕方がなかった。

仕事が徐々に増え、新たな問題や壁に何度も当たってきた。しかし、自分が苦しんで乗り越えてきた保育園時代を思い出すたび、「大丈夫」と乗り切るエネルギーが湧いてきました。保育園に戻りたくない一心だったかもしれない。
だからベビーシッターとして成り上がっていくと決めて、必死に活動を続けました。
「頼みやすい」といってくれた知人がいてくれたように、誰かにとって「頼みやすい」関係を次々と構築していこうと決めて、経験を増やしていきました。


保育園での生活に慣れているため、自分が保育する際も保育園のタイムスケジュール通りに進めることが多かったです。身に染み付いたタイムスケジュールであり、依頼先の子供も保育園通いの子どもが多かったため、とても仕事がしやすかったです。そのおかげで、仕事はとても順調に進んでいきました。


初対面の子供であっても、親であっても、「保育士」の姿として1人一人丁寧に向き合うことを心掛けていきました。リピーターが増え、依頼件数も増えていきました。新規の予約も3ヶ月待ちになる程、自分のスケジュールが埋まっていき、ほぼ毎日ベビーシッターの仕事をするようになっていきました。


続く

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