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子ども時代に出合う本 #04 センス・オブ・ワンダー

なんて不思議なんだろう、この世界は

03で次は私の子育ての中で出合った絵本について書いていきますって、予告しましたが・・・何から書こうかなって思っていたら、もうひとつ子ども時代の思い出を記しておかなきゃと気づきました。

それは福音館書店の月刊絵本「かがくのとも」です。1969年4月に創刊されました。

このページのヘッダーにある画像は、2010年に創刊号から50号までをまとめて復刻した「かがくのとも」絵本の一部、創刊号~4号の表紙です。

この月刊絵本が刊行された時は、私はすでに小学校4年生でした。5歳年下の弟がちょうど幼稚園の年長になったところ。
月刊絵本「こどものとも」は全園児が購入していたのですが、「かがくのとも」は希望者だけが購入する仕組みになっていました。

弟が毎月幼稚園から持って帰る「かがくのとも」を、母が夜寝る前に読んであげているそばで、私も一緒に絵本を覗き込んで聞いていました。また私が読んであげることもあれば、その頃には弟も文字が読めるようになっていたので自分で読んでいました。とにかく弟が定期購読している「かがくのとも」を一緒に楽しんでいたのです。

弟は、今、広島女学院ゲーンス幼稚園の園長になっていますが、いつだったかお互いおとなになって、保育談義、絵本談義をしていた時に、子ども時代に出会い、今を作ってくれているものに「かがくのとも」があるという話になり、盛り上がりました。

記念すべき「かがくのとも」創刊第一号 1969年4月号は『しっぽのはたらき』(川田健/文 薮内正幸/絵 今泉吉典/監修)でした。

小さな子どもが犬や猫などの身近な動物を見ていて抱く疑問、「ねえ、どうしてわんわんにはしっぽがあるの?」「しっぽはなんの役にたってるの?」という素朴な質問に、その年齢の子どもが理解できるように答えてくれるのです。

へえ~そうなんだ!なるほど~と、何度も繰り返し読んだ記憶があります。

この絵を描いている薮内正幸さんは、子どものころから鳥や動物が大好きで動物園に通ってスケッチしていたのを動物学者の今泉さんに見出され、高校卒業と同時に福音館書店の松居直さんに誘われ、動物を描く画家になったという異色の経歴の持ち主。福音館書店に入ってから、今泉さんの指導の下、国立科学博物館で動物標本をスケッチしていたので、骨格が頭に入っていていたそうです。どの動物も生き生きと描かれていて惹きつけられました。

子どもの時に惹きつけられた薮内正幸さんの絵。今、薮内正幸美術館のファンクラブの事務局(といっても名ばかりですが)をしているというのも不思議なご縁。

やぶファン


5月号は『たべられるしょくぶつ』(森谷憲/文 寺島龍一/絵)

八百屋に並んでいる野菜がどのように育てられるのか、種や苗の様子から始まって収穫までの様子を、ひとつの野菜につき見開き2ページで描いているのです。

きゃべつの花が菜の花そっくりだってことや、なすがトマトの仲間だってことや、きゅうりには雄花と雌花があって実がなるのは雌花だけとか、らっかせいの黄色い花がしぼんだあとに茎のところから根のようなものが伸びて地面の中実ができることなど、初めて知ったのでした。

続く一年目のラインナップは
6月号『あなたのいえ わたしのいえ』(加古里子/文・絵)
7月号『てとゆび』(堀内誠一/文・絵)
8月号『あげは』(小林勇/文・絵)
9月号『かずくらべ』(西内久典/文 安野光雅/絵)
10月号『いとでんわ』(小林実/文 小林桜子/絵)
11月号『はっぱときのみ』(熊谷元一/文・絵)
12月号『ふゆのむし』(波多江醇/文 三芳梯吉/絵)
1月号『でんとうがつくまで』(加古里子/文・絵)
2月号『こうていぺんぎん』(小森厚/文 薮内正幸/絵)
3月号『みつばち』(竹内一男/文 小林勇/絵 岡田一次/監修)

どの絵本も、子どもが抱くこの世界を理解したいという知的好奇心を刺激するものばかりだったのです。なにげない景色の中に、不思議なものが満ちている、そう思うと見るものすべてをもっと詳しく知りたい、調べたいというワクワクする気持ちになって、それは小さな田舎町で育った私たち姉弟に「生きていいんだ」という自己肯定感を抱かせてくれたのです。


かがくのとものもと

2019年に月刊絵本「かがくのとも」は創刊50周年を迎え、それを記念して『かがくのとものもと』という図録が出版されました。

その最初のページにはこんなことが書かれています。

「01 かがくのともは えほんです
 科学絵本というと、「なんだか難しそう」とか
 「勉強するためのもの」なんて感じる方が多いようです。
 科学という言葉がつくために、そういう印象になってしまうのでしょう。
 しかし、「かがくのとも」はなにをおいても絵本である!
 と声を大にして言いたいと思います。物語絵本と同じように、
 まずは読んだ子どもたちに「楽しい」「面白い」と
 感じてもらうことが大切なのです。」


また、帯には福音館書店相談役 松居直さんのこんなことばも・・・

「「かがくのとも」は、幼児向けの科学絵本として、何かの断片的な知識や情報を提供するのではなく、科学の世界で子どもたちが遊べて楽しめるように内容と表現を工夫した絵本、読み語る大人が子どもとともに楽しみながら読める絵本、子どもの心の中に一粒の種をまいて、それを内側から育てるような力をもった科学絵本として創刊しました。子どもたちが自分をとりまくすべてのものに対して、不思議さと感嘆と驚きの気持ちをもって接する機会を与えられるよう、今後も続けてまいります。」


>子どもたちがじぶんをとりまくすべてのものに対して、不思議さと感嘆と驚きの気持ちをもって接する

まさにそういう気持ちを、私たちに喚起させ、知りたい、学びたいという意欲に結びつきました。「科学する心」を子ども時代に出合った「かがくのとも」に養ってもらったね、とおとなになった姉と弟の意見が一致したのでした。

『かがくのとものもと』と、私が子どもたちと植物を観察するときに
よく手にしていた絵本たち・・・


センス・オブ・ワンダー

松居直さんのおっしゃる
>子どもたちがじぶんをとりまくすべてのものに対して、不思議さと感嘆と驚きの気持ちをもって接する

これこそが、のちに出合うレイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』の中でレイチェルが伝えたかったことなんだなって思いました。

「子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない“センス・オブ・ワンダー = 神秘さや不思議さに目をみはる感性”を授けてほしいとたのむでしょう。」p23

「子どもたちが出会う事実のひとつひとつが種子だとしたらさまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代はこの土を耕すときです。」p24

「子どもと一緒に自然を探検することは、まわりにあるすべてのものに対するあなた自身の感受性にみがきをかけるということです。それは、しばらくつかっていなかった感覚の回路をひらくこと、つまり、あなたの目、耳、鼻、指先のつかいかたをもう一度学び直すことなのです。」p28

レイチェル・カーソンの本を読んだのは『沈黙の春』が最初でした。
『センス・オブ・ワンダー』は子育て中に繰り返し読み返しました。

自分の子育て中にレイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』に出会った私。子どもたちにそれだけは伝えようと思っていました。

その根っこに、まさに私が10歳、弟5歳の時に出合った「かがくのとも」があったのです。幼い時に、どんな本に出会うのか、どんな読書体験をするのか、それがその後の生き方にも知らず知らずのうちに影響を及ぼしているのだなあと、改めて思います。

まさに種をまかれていた・・・それはすぐには芽を出さないにしても、着実にその人の中で育っていく。それだけは確信を持って言えるのです。

追記:
このnote記事を弟に見てもらったところ
「かがくのともは、他の図鑑や児童向け月刊誌にはない、科学する心の種をたくさん蒔いてくれた絵本たちです」とコメントをくれました!


さて、次回からは今度こそ私と子育てについて書き進めていきたいと思います。お楽しみに~

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