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子ども時代に出合う本 #02 私を変えた本

小学2年生のクリスマス・プレゼント

子ども時代、とくに物心ついてから小学校低学年までは、私はおっとりとして競争心のない、夢見る夢子ちゃんでした。

一方で精神的にはさまざまなものを抱えていました。それは家庭の複雑な環境でした。父の前妻が病死し、その後妻になったのが私の母で、腹違いの兄たちと母との確執を幼心にも見ていたからです。

なので、読書は私の逃げ込める安心安全な場所になっていたのです。バーネットの『小公女』を読めば、今の自分の置かれている苦境はかりそめのもので、本当はプリンセスだという人が現れて幸せになれると空想していました。子どもの本の中では、主人公に次々と困難が襲ってきても、なんとかしてそれを乗り越え、最後にハッピーエンドを迎えるというものが多いのは、救いでした。

その夢見がちな読書体験を一変させたのが『アンクルトムの小屋』との出合いです。この作品は、当時母をサポートするために同居していた母の妹、みっちゃん(母とは6歳離れていたので、おばさんとは呼ばず、愛称で呼んでいた)からの小学校2年生のクリスマスプレゼントだったのです。

その本は、当時小学館から刊行されていたカラー版名作全集少年少女世界の文学シリーズの第7巻で、アメリカ編1『アンクルトムの小屋/リーマスおじさん/若草物語ほか』でした。今、思えば子ども向けの抄訳なのですが、この本との出会いが、私を変えてくれたと思っています。

まさに、この本・・・実家に置いていた本は行方知れずになったので、
今回Amazonで古本として購入しました。



強い衝撃を受けて

その年のクリスマスに叔母からプレゼントされたと鮮明に覚えているのは、小2の冬休みに叔母に連れられて名古屋の祖母宅へ行ったからでした。両親と離れてクリスマスからお正月までたっぷり10日間ほど滞在したのです。その時に訪れた本屋さんで叔母がクリスマスプレゼントにと言って買ってくれたのです。

帰りの特急つばめ号の中で、まず読んだのは「若草物語」のほう。姉妹4人が慎ましくも助け合い、前向きに生活している姿を眩しく感じながら一気に読み終えたのですが、それだけで一旦その本は放置していました。

次に手に取ったのは3年生の夏休みでした。宿題の読書感想文を書くためにまだ読んでいなかった「アンクルトムの小屋」を読もうと思ったのです。

この作品は1852年に出版され、奴隷解放への世論を喚起し南北戦争勃発の契機となったと言われています。当時はそういうことも知らずただただ作品として読んだのですが、人がモノのように売り買いされるというシーンに強い衝撃を受けました。小学校3年生の私には、作品の背景について無知で、ただただ黒人に生まれただけで、このような理不尽な扱いをされることがあるということに憤慨し、読んでいて泣かずにはいられませんでした。

小学校3年生、まだ幼いながらも少しずつおとな社会の矛盾を感じ始めていた頃です。その義憤をばねに読書感想文を続きました。残念ながら、その時の感想文は手元にないため、どんなことを書いていたかは正確には覚えていません。ただただ、同じ人間が肌の色が違うだけで、このように人を家畜のように扱ってよいのか、そしてそのような困難な中でトムが信仰篤く、周囲の人への思いやりを失わない、その人としてのあり方に打たれたことを、当時の語彙力で表現したのでした。

その感想文は、学校代表に選ばれ、給食時間に校内放送で読むという名誉もいただきました。しかし市のコンクールでは上位入賞はせず、そこ止まりでしたが、それでもクラスの中でもパッとしない私が、それを契機に変わったのでした。

調べてみたい、もっと知りたい

それはなんといっても、本を読んだことによって、それまでの9年間の人生経験では知り得ない、まったく違う世界があるということに気づかされたからです。

もちろん、他の児童文学でも自分が生きているのとは別の国、別の時代、別の人格になって物語の中に入り込んでいくので、その広がっていく世界を想像し楽しんでいました。ただ、いつもハッピーエンドで終わる物語は、読み終えてホッとして満足するだけで、その物語が描かれている背景を調べてみたいという欲求は生まれなかったのです。

「アンクルトムの小屋」は、アメリカの奴隷制度について調べてみたいという気持ちを引き出してくれました。

父の書斎で、百科事典の引き方を教えてもらい、「奴隷制度」や「南北戦争」について引き、難しい言葉は父に解説をしてもらいました。また、図書館へ行って司書さんに、関連する本の質問をしました。近所の図書館は、児童室の壁に沿って開架書架もありましたが、調べるための本は閉架書庫に置かれていたと記憶しています。カウンターで小さな紙片に書名などを書いて奥から出してきてもらうという経験も、その時が初めてでした。昭和42年、1967年のことです。

今でいう「図書館を使った調べ学習」です。それは、奴隷制度だけでは収まりませんでした。ひとつのことを突き詰めて知ろうとすると、歴史的な背景を知らなければならない。アメリカという国だけでなく、奴隷制度はもっと古くからあったこともだんだんわかってきました。

子ども心に、どこの国のどんな家庭に生まれるかで格差が生まれることに衝撃を受けていました。

一方で、父は教会の牧師でしたから、当然教会学校へも通っていました。聖書の中では、ひとりひとりが神の前には平等と書いてあるのです。その矛盾に気が付いて、よく父に猛然と疑問をぶつけていました。

「なんで?なんで?」

今、こうして書いてきて、この時に感じた義憤のようなものが、私の原動力になっているのかもしれません。今も、子どもの貧困、経済格差の問題が一番気になるのは・・・

気の弱い、どっちかというとドンくさい「教会のかこちゃん」は、それを契機に変わっていったのです。

調べ学習のお陰で、知識も増え、学ぶことが好きになったので成績がどんどんあがっていきました。自分の考えをまとめて発表できるようになったので、周囲の先生や友達の反応も変わっていきました。

60有余年のささやかな人生を振り返っても、あの作品に出合ったことがターニングポイントだったと確実に言えるのです。

戦後日本の子どもの本の世界に大きな影響を残した石井桃子さんが、銀座・教文館ナルニア国での講演で書き残した色紙のレプリカがうちの文庫にはあります。

教文館ナルニア国のアスラン会員に送られるレプリカ
文庫活動の指針にもなっています。

本は一生の友だち

本は友だち。一生の友だち。
子ども時代に友だちになる本。
そして大人になって友だちになる本。
本の友だちは一生その人と共にある。
こうして生涯話しあえる本と
出あえた人は、仕あわせである。
                             石井桃子

私にとって、子ども時代に出会った本は私の生き方を変え、「やりたい」と思うことを示してくれて、今ここに至っています。

そうした体験を一人でも多くの子どもたちに提供したいと願い、細々とですが文庫活動や子どもと本に関わる仕事をしてきたんだなあと思います。

そんなさまざまな出合いをこれからも綴っていきたいと思います。

(続く)

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