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三余の読書① 上田秋成『雨月物語』― 人こそ魔物

 ストーリー展開の奇抜さとテンポの小気味よさ、人物描写の繊細さ、素養に裏付けられた文体、これらを同時に備えた珠玉の短編集『雨月物語』。江戸後期に上田秋成によって書かれ、しばしば「怪談物」として紹介される。確かに全九編、死んだ某が現世の人を苦しめたり、魔物が人々をたぶらかす類の幻妖譚であるには違いない。しかしその幻妖譚を通じて描かかれているのは妖怪や魔物の恐ろしさ以上に、人の性(さが)や情愛、人間欲望の本髄ではなかろうか。社会のしがらみにとらわれない人間の在り方を求めた上田秋成の魂の声を聞く思いがする。

蛇性の婬

  秀作揃いの中でも逸品は「蛇性の婬」だろう。仕事もせずに親・兄のすねかじりを続ける「豊雄」が、美しい女に化けた蛇の精「真女児(まなご)」の虜となり、夢かうつつかわからぬ体験を重ねつつ、恐ろしい魔界に引き込まれる。侍や法師の力を借りて何度も蛇精から逃れようとするものの、これでもかこれでもかと真女児はつきまとう。最後には道成寺の貴き法海和尚による荒業を以て真女児が封じ込まれる。

溝口健二監督『雨月物語』の1シーン

 大筋をつづめてしまえば、単純極まりない話なのだが、その過程にはO・ヘンリー「賢者の贈り物」のエンディングが読者をアッと驚かせたような意想外のしかけがいくつもちりばめられている。ストーリー展開の軽快さたるや映画「七人の侍」にも劣るまい。そして現実にはあり得ないや場面や状況でさえ、「こんな時は自分でもそうしてしまうかな」「そんな言われ方をされたらそう切り返すしかないな」と日常的感覚でもって共感できるような巧妙な叙述で、読み手は何の違和感もなく納得させられてしまう。気がつけば自分も魔界に引き込まれてしまっている。繊細で卓越した人間観察眼を持つ上田秋成の絶妙なる筆致のなせる業である。

雨月物語 挿絵

人こそ魔物

 「蛇性の婬」は蛇精による執拗なまでの怨念が主題の様に見えながら、実は自立もしておらず誘惑にもよわい「豊雄」が主役なのではないか。豊雄はダメ男のようだけれども憎めない。美しい女についついほだされて騙され、反省する。改心して真女児との関係も断ち切ろうと努力をするがうまくいかない。人に迷惑をかけてはいけないと常識心を以て思い悩む。しかしどこかに甘えと油断があるため難局を一筋縄では乗り切れない。悪人物では決してない。豊雄は男に限らず女に限らず人間の持つ弱さや迷いを体現した存在であり、さらに言えば、人様の助けを借りなければ自身の生活を維持することすら難しい世間に暮らす人間一般の象徴のような気がする。上田秋成の人間観察の鋭さと優しい眼差しが存分に豊雄に注がれている。いやいや上田秋成は自分をも律することのできない人間こそ妖怪、魔物だと捉えていたのかもしれない。

絢爛座敷だったはずのあばら家

 『雨月物語』は「蛇精」に取り憑かれている自覚さえ持たないご仁にとってこそ必読である、などと教訓めいたことを言うつもりはさらさらない。単なる幻妖物語、エンターテイメント小説としても存分に楽しめる。

 『雨月物語』の小編はいずれも「日本霊異記」「太平記」などの日本古典、「警世通言」などの中国白話小説の逸話を元にした翻案らしい。つまり全くのオリジナルというわけではない。原典との比較考察をしているわけではないものの、『雨月物語』各小編の自然な運びと、生き生きとした人物描写、そしてそれらを題材として描き出そうとする人間の性(さが)への執着は、まちがいなく原典に勝るとも劣らぬ輝きを放っている。それこそが立派なオリジナリティであり、長く読み継がれ、また多く映画化、漫画化もされてきた所以だろう。

 声に出して何度も読み返したくなる名作にまたも出会えたことを嬉しく思う。(202308)


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