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どっちの方がヤバいんやろか?~映画館での不誠実な鑑賞~


 映画を映画館で観たことがほとんどない。まず大阪に出てくるまで地元にまともな映画館が無かったというのが大きな理由としてある。どんな条件を満たせば「まともな映画館」であるかは今もって正直わからんけど、当時の自分にとってのまともな映画館は行くのに電車で1時間もかかる場所にしかなかった。だから映画はもっぱらレンタル屋に出回ったものを家で見るのが常であり、それこそが映画鑑賞の唯一のスタイルとして己の身についてしまった。なので結局大阪に下宿し始めてからも映画を鑑賞するのはレンタル屋から借りたもののみで、映画館に足を運ぶという選択肢とその欲が自分の中に生まれることはなかった。

 そんななか大学を既に卒業して、一年か二年ほどたった頃のこと。なんかのイベント後に友人のアパートに泊まった翌日、やることも特になくだらだらと過ごした夕方に

「映画でも見に行くぅ?」

と二人いた友人のうちのどちらかが言いだしっぺになって、低予算で撮影されたものとは思えないおもろさ、と当時話題になっていた邦画を見に行くことになった。自分にとってはだいだい10年ぶりくらいの映画館で、そんな場所に今から行くというのは大事件で、席予約の段階でひとり変に興奮していた。

いまから映画館に行くんや。


 梅田に到着し、早速映画館に突入。予約していたチケットを無人機で発行し、フード販売の行列に友人と並んでいる際も興奮状態は続き、というかいや増し、なぜか緊張感すらも心のうちに漂いはじめた。

 こんなんで自分は映画に集中できるのかしらん?と気がかりなもんだから友人が「おれぇチュロス注文しよっかなぁ」とか言うのを聞いても、そんなもん知るかアホ勝手に食ったらええんちゃうんかこのボケとしか思えず、いやいやこれではいかん、と一度呼吸を整えてから「うまそうやなぁ」とだけ返した。

 で、購入したビッグサイズのキャラメルポップコーンを持って講堂に入る。まずその広さと映写幕の巨大なことに吃驚し、こんなスクリーンを複数もつ映画館とはなんたる面妖な施設であることか、とおののいている私のことなど気にもしないで友人たちは恬然と席を探しに行く。チケットの席番号なんてまともに確認していない私はとにかく友人が進むのに後ろからチョロチョロついて行き、座ったのはスクリーンに向かって左手やや手前の席。左から友人、友人、私、という順番で座り、それでようやく緊張感がわくわく感へと変質しはじめたのだった。

 私の隣にはどうやら一人で来たらしい若い女性が座り、観客がだいだい入り終えたであろう頃に講堂内の電気は消え、暗闇の中に光るのは巨大なスクリーンのみ。放映中の注意事項などがはじめに垂れ流されたあと、いよいよ本編が始まった。シリアスな感じの映画らしい。

 正直私は映画館に来ることそれ自体がずいぶんと久方ぶりだったもんで、ちょっと気を張りすぎてしまったが、映画が始まってしまえばあとは気軽に鑑賞をすればよい。アヘヘヘ。とか人心地ついて、じゃそろそろ食べちゃおうかしら、とキャラメルポップコーンをひとつまみ口に放り込んだら、

バリッバリッ

 ううむ、けっこう音がするなぁ。だめやんか。と穏やかではない事実が判明してしまい、たちまちにして食欲が失せた。もう一度、確認の意味をこめて口腔へ投入するとややや、再びバリッバリッとけっこうな音が鳴った。ちょうど静かなシーンだったので先ほどよりも響いた気がする。だめやんか。

 急に頭痛がしてきて、視力が0.08にまで下がり、手足が震え、そのかわりといってはなんだが、体温が1度上昇した。屁を我慢した。

 阿呆みたいに弛緩した顔でスクリーンを眺める隣の友人が食うチュロスは油で揚げてあるので、表面こそ多少パリッとしているが基本的にはしっとりしているらしく、口の中に突っ込んでアムアムしても音はしておらない。

 くぅぅおれもチュロスにしておけばよかったか。などど内省しているうちに映画はどんどん進んで、でもこっちはそれどころではなく、なんせ食うたびにバリッバリッとお下劣な音が響いてしまい、これでは周囲の人民に多大な迷惑をかけてしまう。

 もし映画中最大の見せ場である愁嘆場なんかでバリッバリッと品性の欠片もない音を響かせようものなら周囲の人民は発狂、うっさいんじゃうっさいんじゃうっさいんじゃとヒステリックに白目と敵意を剥き出しにして攻勢に出る、私は殴る蹴るなどの暴行を一身に受け、そして衆人環視のなか土下座を強要させられ「すいませんでしたすいませんでした」と滂沱たる涙と鼻水を撒き散らして心からの謝罪をする、なんてことになってしまうんじゃないか。

 そんなことを一度考えてしまうともはや映画はなんらの感慨も脳漿にはもたらさず、ひざの上に置いたこのキャラメルポップコーンをどう処理するかという喫緊すぎる課題が重く重く私の全身にのしかかった。なんでこんなものを注文してしまったのだ。ていうかなにがビッグサイズだふざけるな。

 もう泣いていいかなぁ。なんて思って、悲哀にまみれ諦念に達した私は、もういっそのこと山賊が宴をしている、みたいな勢いでゲハハハハと笑い、おもっくそ大きな音でポップコーンちゃんを食べて警備員につまみ出されようかな?とか考えていたその時、劇場内にひときわ大きな笑い声が響いた。山賊がいるのか?と思ったがそれは一人の人間の声ではなく、大勢の人が軽く笑うことで音波が連なり増幅され一体化、という表現が物理的に正解なのかは知らんが、とにかく結果的にひとつの大きな笑い声になっていた。

 なんたる僥倖。シリアスなのは序盤だけで実はコメディ映画だったらしく、前半の緊張感とはうって変わって和みの空気感が醸成され、笑いどころの頻度も増え、ついには会場全体が爆笑の渦に包まれはじめた。いける!これならいける!なぁそうだろ浜口ぃぃぃ(私の脳内にのみ存在する架空のキャラ、"アニマル浜口"への語りかけ)!

 零れ幸いとはまさにこのことなり。次々と到来する逃すべからざる好機を私は逸することなく、ちょうど笑いが爆発するタイミングでありえないくらいの量のポップコーンを口の中に詰め込み、バリバリバリバリバリバリッと猛烈な咀嚼音が骨に振動するのをもろともせず、ビッグサイズのキャラメルポップコーンを一気呵成に亡きものとしていった。

 そのとき目は血走っていたと思う。時々白目もむいていたと思う。鼻水も垂れていたんじゃないかな。ポップコーンの硬い部分が口の中を擦り剥いて痛かったし、手はべとべとでムフゥムフゥと汚らしく息切れしていた。でも私は勝ったのだ。何に?世界に。自分に。ビッグサイズのキャラメルポップコーンに!


映画が終わり、全く内容など知らないのに「いやぁおもろかったなぁ」なんてわかったような口をききながら私は友人と一緒に映画館を後にした。外はもう真っ暗で、ええ時間、ということで駅まで歩いて解散することになった。友人二人がなんか話している間も、とにかく勝ててよかった、と生を実感した。おれは今、生きている。誰からもうっさいんじゃと非難されることなく映画館を発ったのだ。

 でも本当に勝ったかどうか怪しいのは、右隣に座っていた若い女性と一度目が合ったとき、完全に変人・奇人・狂人の類を蛇蝎視するとき用の眼差しを私に向けていたからであり、確かに考えてみると、会場内が笑いに包まれているなか、ただ一人隣の男だけはそのタイミングで血眼になりつつポップコーンを豪快に鷲掴みして狂ったように口に詰め込んで全身から汗をふき出し、会場全体の笑いが収まると今度は白目をむいて鼻水を垂れ流してじっと座っているのだから相当怖かっただろう。申し訳ないことをした。

 ではそうなってくると結局、音が出るのはもう致し方ない、と従容として受け入れ、静かなシーンでもバリバリ食ったほうがよかったのか?でもなんだかそれはあんまり潔しとしない自分がいる。やっぱりそれは大変失礼なことのように思える。しかし実際のところ気を使いすぎた私は、隣の女性にとっては間違いなく変人だったわけで。どっちの方が…。

 ううむ。答えが見つからない。とHEP FIVE前で信号待ちしながら頭をひねっていると、友人の一人が

「ちゃんとは見てなかったんやけど、タンクトップ着てた女の子って途中のシーンで乳首浮いてなかった?」

とかニヤニヤ卑屈な笑い顔で言い出した。めちゃくちゃ下品である。

 それを聞いたもう一人友人が、

「いや、おれしっかり見たけど、乳首は浮いてなかった」

と確固たる自信を持って説を言下に否定していたのが気味が悪かった。

浮いていた浮いていなかったと少しのあいだ押し問答をしていた友人二人だったが、最初に乳首がどうのこうの言い出したほうの友人が、

「ちゃんと見てないけど乳首が浮いてた気がするってニヤニヤ言う奴と、しっかり確認していや乳首は浮いてなかったってキリッと言う奴、どっちの方がヤバいんやろか?」

と言ったのが面白くてみんなで苦笑いした。が、私は。


「どっちの方がヤバかったんやろか」


友人より遅れてひとり、不器用な苦笑いをするのであった。









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