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カラテ・アゲインスト・ライスケーキ

 眠ること無き貪婪の都ネオサイタマ。
 二人のサラリマンがトボトボと家路についていた。
 周囲には、廃ビルがならび、人通りも少ない。
 わびしい光景だった。

「いよいよ、明日ですね。ヤワサキ=サン」
 サラリマンの一人、ユラギが、もう一人に声をかけた。
「ええ、明日ですね」
 ヤワサキが、答えた。
「いっぱい頑張ったんです。きっと大丈夫ですよ」
「‥‥そうですよね」
 ヤワサキの答えは、どこか力無い。
「ダイジョブ、ゼッタイ割れますよ、オモチ」
 力強いユラギの言葉にも、どこか空元気の響きがあった。

 古来より、日本ではオショガツの終わりとされる1月11日に一家の家長が家族と先祖、隣人等の見守る前で、カガミモチと呼ばれる丸いオモチを2枚重ね、それをカラテチョップで割るカガミビラキという儀式がある。
 これによって、悪しき霊を威圧することで邪気を払い、さらに、その家が強力なカラテで守られていることを、実力で周囲に示すのである。

 この時、モチが割れなければ、それは大変に不名誉なことであり、場合によってはムラハチ、最悪はセプクという事態をも招きうる。

 カガミモチは、オショガツ期間にわたって神前に供えられており、乾燥しきった結果、煉瓦に匹敵する硬さとなっている。
 そのため、カガミビラキに挑む家長は、日頃よりカラテの研鑽を怠ることなく、常に家族を守るだけの力と覚悟を持ち続ける。
 そのような、先人の知恵だとも言われている。

 しかし、この発達しきった現代資本主義社会においては、余暇を使ってカラテの研鑽に励むなど、一部のカチグミを除いては、極めて難しいことであった。

 最近では、上記の理由から、または万が一の事態を避けるため、あらかじめ見えないヒビの入れられた、すぐに割れるカガミモチが開発、発売されてはいる。

だが、この二人の場合は‥‥

「普通のカガミモチなんか、買うんじゃなかったですよ」
 ユラギが、少しトーンを落とした調子で言った。
「みんなと同じ、ヒビ入りのやつを買っとけばよかったのに。馬鹿なことしたもんです」
((まったくだ、なんだって俺はあんなことを))
 ヤワサキは心の中で同意した。

 なぜ、普通のカガミモチを買ったか?
 ヤワサキの場合は、はっきりしている。
 見栄だ。自分の娘に対しての。
『パパ、オモチ割っちゃうの?テレビのニンジャみたいに?スゴーイ』
 デパートのオモチ売り場で母からカガミモチの説明をうけた3歳になる娘のミヨが、そう言って賞賛のまなざしで見たのだ。
 次の瞬間、ヤワサキの手は地味な「誰でも割れる!家庭用カガミモチ」を離れ、派手に装飾された「真の男ならこれ!ハガネ印カガミモチ」を掴んでいた。

 もし、モチが割れなかったら、ミヨはどんな顔をするだろう?いや、問題は、それだけではないのだ。
 よりにもよって、義父母が、今年のカガミビラキを見に来るというのだ。

 ヤワサキが結婚を申し込んだ時、妻の両親は難色を示した。
 いかにもたよりない彼の風貌に不安を抱いたのである。
((ダイジョッブです!いざとなれば、自分を犠牲にしても、ヤコ=サンを守ります!))
 そう言って、啖呵を切ったものの、両親の疑念は今だに晴れることはないように思えた。

 もし、義父母の前でカガミビラキに失敗すれば、どうなるか?
 それは、考えるだに、恐ろしいことだった。

 困り果てたヤワサキは、たまたまIRCで知った「カガミビラキ用集中カラテドージョー」に申し込み、即席のカラテレッスンを受けることにした。
 ユラギとは、そこで知り合ったのである。

「本当!私たち、ガンバリました。ガンバリましたよね!」
 ユラギが力強く言う。
「そう、ですね」
 ヤワサキは答えた。

 カラテ訓練と言っても、実際に通ったのは、五日間のみ、レッスンのほとんどは基礎訓練のカワラ割りに費やされ、後は、センセイからの怪しいスピリチュアル訓示のみであった。
 これで、ヤワサキの1ヶ月分の小遣いのほとんどは消し飛んだ。
 レッスンが終わった今になって、自分は騙されていたのではないかと、ヤワサキは思い始めていた。

((やはり、駄目なのではないか。俺なんかが、カガミモチを割るなんて、最初から無理な話だったのではないか))
 歩きながら、ヤワサキは不安な気分に飲み込まれていくのを抑えることができなかった。

「センセイ、言ってましたよね、大事なのは、キアイとガンバリだって、だから私は、明日はキアイでがんばります」
 ユラギはしゃべり続けていた。
「ヤワサキ=サン、私はね、明日にかけているんです。やらなければならないんです。私はね、明日、腕が壊れてもいいとさえ、思っています」

 その言葉の響きに、ヤワサキは思わずユラギの顔を見た。
 絶望的な恐怖にヤケクソな決意で抗う男の顔が、そこにあった。

 そもそも、ドージョーで最初に声をかけてきたのは、ユラギ=サンのほうからだった。
 緊張で、こわばった顔のヤワサキに、「イヨイヨですね。キンチョウしますね」と、自分も同じようにこわばった顔で話しかけてきたのだ。
 その後、レッスン後の帰り道が同じだったことから、なんとなく会話し、同じ問題を抱える者どうし、打ち解けていったのである。

 ユラギ=サンはカラテ生徒達の中でも、最も熱心にレッスンを受けていた生徒の一人であった。
 カワラ割りの際の掛け声は、最も大きく、 センセイのスピリチュアル訓示すら、真剣に聞き入っていた。

 ユラギがなぜドージョーに通う羽目になったか、その詳しい経緯をヤワサキは知らない。
 お互いに、あえて触れないようにしていたのだ。 
 だが、自分と同じような、ことによると、さらに切羽つまった事情があるようだった。

 おそらく、ユラギが話しかけていたのは、ヤワサキにだけではない。他ならぬ、自分自身に話しかけ、なけなしの勇気を絞り出そうと必死だったに違いない。

((そうだ、ユラギ=サンだって逃げずに、立ち向かおうとしている。おれだって))
 ヤワサキは、隣にいるユラギの存在に力を与えられるような気がした。
 そして自分も、それに答えなければいけないような気がしていた。
「ねえ、ユラギ=サ‥‥‥」

「イヤ────ッ!!」

突然、二人の前に大柄な影が、前方宙返りを繰り出しながら、躍り出てきた!!

「「アイエエエエエエエ」」

二人は、ほとんど同時に叫んだ!

「「ニンジャ!ナンデ!」

 ニンジャ!然り、ニンジャである。大柄で極度に肥満したニンジャが二人の前に、立ちふさがったのである!

「おい」

 ニンジャは、血走った眼を大きく見開きながら言った。

「お前ら。オモチ持ってるだろ。出せよ」

「「エッ?」」

「いいか、俺はなあ、昔から貧乏でなあ、オショガツだって、オモチなんぞ食えたためしがねえんだよ。お前ら、サラリマンだろ?オショガツは、いっつもモチ食ってんだろ?出せよ」

「「エッ?」」

 二人は、言葉も出なかった。
 目の前に、突然ニンジャが現れ、モチを出せという。
 金銭でも、ドラッグでもない。オモチを出せというのだ。
 加えて、もうオショガツも終わろうとしている、モチの持ち合わせなどあろうはずがない。

「おい、どうした、出さないのかよ、オモチ。え?どうなんだよ」

 ニンジャは、目に見えて、イラつき始めていた。
 血走った眼が、さらに大きく見開かれる。危険な状態だ。
 何らかの危険ドラッグの常習者なのかもしれなかった。

「そ、そうだ」

ユラギ=サンが何かを思いついたように手をたたいた。

「お金、お、お金をあげます。ね?そ、そうすればオモチだって」

「イヤ───ッ!」

「アバ───ッ!」

 ナムサン!!ニンジャの正拳突きがユラギ=サンに命中!!
 そのまま、首が360度回転。ユラギ=サンは即死!!

「アイエエエエエ!!ユラギ=サン!」

 ヤワサキは絶叫失禁!!

「おい!ごまかすんじゃねえよ!俺が欲しいのはオモチなんだよ。オ・モ・チ。だから、オモチをだせばそれでいいんだよ。ワカッタカ!!」

 そう言うと、ニンジャはヤワサキ=サンのほうに向かっていった。

 「おい!お前は出すよな?オモチ。でなきゃ、本気で怒るぞ」

 なんということか。このニンジャはやはり、重度のドラッグ依存により、正常な判断力を有していないのだ!

「ア、アイエエエエェ」

 ヤワサキ=サンは、ただ恐怖に震えることしかできない。
 このままでは、自分もユラギ=サンのように無残に殺されてしまうだろう。

((い、いやだ!せっかく、覚悟が固まったというのに、カガミビラキに挑戦することもなく、俺は死んでしまうのか?そんな!それだけは!))
 ヤワサキの脳裏に妻子の顔が浮かんだ。
 そうだ、絶対に死ぬわけにはいかない。

 だが、どうやって?

 今のこの状況に抗うすべと言えば、五日間の即席カラテトレーニングくらいしか思い浮かばなかった。
 なんと、たよりない蜘蛛の糸だろう。
 加えて、相手はニンジャだ。彼がカラテマスターだったとしても、万に一つの勝ち目があるとは思えなかった。
 だが、このまま手をこまねいても、結局は死あるのみだ。

 ヤワサキは決死の覚悟を決めた。
 拳を握りしめ、思い切り、前に突き出そうとした。
 その時だ!

「Wasshoi!!」

 突然、赤黒い影が横斜め上方より飛び来たり、ニンジャを蹴り飛ばした!

「グワ─────ッ!!」

 ニンジャは、そのまま吹き飛び、「おそば」と看板をかかげた廃店舗に激突!

「アイエッ?!」

 ヤワサキは驚愕し、着地した赤黒い影を見た。

「アイエエエエ!!マタ、ニンジャ」

 その通りである。ヤワサキの前に、メンポに禍々しく「忍」「殺」の文字を刻んだ、赤黒装束のニンジャが一人、目に殺意をみなぎらせながら出現したのである。

「ドーモ、ニンジャスレイヤーです」

 赤黒のニンジャは肥満体のニンジャに対して、決然とアイサツした。
 肥満体のニンジャもまた、素早く起き上がり、アイサツした。

「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン、ライスケーキです。お前、何者だ」

「何者でもよい。貴様は殺す」
 ニンジャスレイヤーは、即座に返答。

「テメエ、俺のオショガツを邪魔する気か、テメエ、折角ニンジャになったから、ちゃんとオショガツしようと思ってたのに、テメエ、許さねえぞ」

 ライスケーキは、怒りに顔を紅潮させ、ゆっくりとファイティングポーズを取った。

「オショガツはアノヨでゆっくり味わうがいい。イヤ───ッ!!」

 ニンジャスレイヤーが先手を取り、右の正拳突き!

「オモチ・ジツ!」
BOYOOOOON!!
「グワ───ッ!?」

 ナムサン!突如として、ライスケーキの腹部が焼いたオモチめいて異常に肥大化、ニンジャスレイヤーの正拳突きを捕らえ、はじき返した。
 ノックバックが発生!
 ニンジャスレイヤーは「オセチくいてえ」と落書きされたシャッターに激突。
 背中を強打!

 「イヤ────ッ!!」
 ニンジャスレイヤーは、即座にトビゲリを繰り出す。
 先ほどの正拳突きを、さらに上回るスピード!
 スピードで相手の反撃を許さぬ作戦か?

 だが!!

「オモチ・ジツ!」
BOYOOOOON!!
「グワ───ッ!?」

 ナムサン!先ほどに倍するスピードで、ライスケーキの腹部が焼いたオモチめいて異常に肥大化、ニンジャスレイヤーのトビゲリを捕らえ、はじき返した。
 ノックバックが発生!
 ニンジャスレイヤーは「華やか」と看板を掲げた花屋だったと思しき廃店舗のシャッターに激突。
 後頭部を強打!

「グハハハハ!俺の反射神経を甘く見るんじゃねえ」
 ライスケーキが勝ち誇る。

「ヌウ!」
ニンジャスレイヤーは、すかさず起き上がり、スリケンを投擲!
「オモチ・ジツ!」
 再び、ライスケーキの腹部が焼いたオモチめいて異常に肥大化!
BOYOYOOOON!!
 スリケンをそのままニンジャスレイヤーに向けてはじき返す!
「イヤ────ッ!!」
 ニンジャスレイヤーは側転でこれを回避、さらに側転を繰り返し、バックフリップからのムーンサルトでライスケーキの背後に回り込んだ。

 「イヤ────ッ!!」
 間髪入れず、ニンジャスレイヤーは、ライスシャワーの背後から後ろ回し蹴りで強襲!
 腹部の存在しない背後ならば、攻撃がはじかれることはないとの計算か?

 だが!!

「オモチ・ジツ!」
BOYOOOOON!!
「グワ───ッ!?」

 ナムサン!ライスケーキの臀部が焼いたオモチめいて異常に肥大化、ニンジャスレイヤーの後ろ回し蹴りを捕らえ、はじき返した。
 ノックバックが発生!
 ニンジャスレイヤーは有刺鉄線が幾重にも巻き付けられた電柱に激突。
「グワ───ッ!!!」
 背中を強打したのみならず、有刺鉄線により、さらなる追加ダメージが発生!!

「グハハハハ!俺のオモチ・ジツに死角はねえ!」
 ライスケーキが勝ち誇る。

「ヌウ‥‥」
 ニンジャスレイヤーは、なかばグロッキー状態で再び立ち上がった。

 ライスケーキの、オモチ・ジツは、ただ相手の打撃をはじき返すのみではない。
 相手の打撃力に対して膨らんだ肉体の反発力を加算し、さらに自身のカラテを込めることにより、当初の打撃力を、200~300%に増幅し、相手にはじき返すのだ!

 ライスケーキは、悠然とニンジャスレイヤーに歩み寄ってゆく。
 満身創痍状態の相手をゆっくりと嬲り殺そうというのか。

 それに対し、ニンジャスレイヤーは、はっしと相手をにらみつけた。
 そして、開いた右手をゆっくりと上にあげてゆく。
 ぼろぼろの身体ではあったが、呼吸は乱れることなく、タイミングを計るように、一定のリズムを保っていた。

 そして!

 ニンジャスレイヤーがライスケーキに突進!

 ライスケーキの目が、勝利を確信したごとく、愉悦に細まった。

「イヤ─────ッ!!!!!」
「オモチ・ジツ!!」

 次の瞬間、ヤワサキは見た!
 ニンジャスレイヤーの右手が、春の中天に輝く三日月のごとく、美しい弧を描き、ライスケーキの焼いたオモチめいて異常に肥大化した腹部を断ち割るのを!

SPLAAAASH!!

「アババババアアア───ッ!」
 ライスケーキの腹部が、壊れたスプリンクラーのごとく、大量出血!

「イイイイイイイヤアアアアアアアッ」
 さらに!ニンジャスレイヤーの右足が、秋の中天に輝く満月のごとく、美しい真円を描き、ライスシャワーの頭部を刈り取った!

「グワ───────ッ!!」
 シャンパンの栓めいて、ライスケーキの頭部が垂直噴出!

「サヨナラ!!!!」
ライスケーキは爆発四散!!!!

 ニンジャスレイヤーは、ゆっくりと残身を解き、ライスケーキの生首に歩み寄ると、それをつかみ取った。

「Wasshoi!」

そして、現れた時と同じ様に、赤黒の影となって、ビルの谷間を跳躍、いずこともなく去っていった。

 全てを見届けたヤワサキ=サンは、イクサの緊張が消え去ったと同時に失神、そのまま倒れ伏した。

 翌日、1月11日。

 ヤワサキ=サンは自宅のザシキ室で、今まさに、カガミビラキに挑もうとしていた。

 あのあと、目を覚ましたヤワサキは、どうにか家に帰り着いた。
 尋常でない夫の様子に妻は心配したが、泥のように朝まで眠った後、すぐにカガミビラキの準備に取り掛かったのだった。

 ヤワサキ=サンは青いカミシモを身に着け、赤い布の上に敷かれた和紙の上に二枚に重ねて置かれたカガミモチを前に正座していた。
 見上げると、先祖を祀った神棚があり、その下では、妻のヤコ、娘のミヨ、そして両親に義父母、上司のヤマダ=サンなどが緊張の面持ちで見守っている。

 ヤワサキ=サンはしばらくカガミモチを見つめていたが、やがて、ゆっくりと目を閉じた。

 ヤワサキ=サンは、心にユラギ=サンの顔を思い浮かべた。
 決死の覚悟でカガミビラキに挑もうとして、ついに果たせなかったユラギ=サン。
 自分に戦う勇気をくれたのに、お礼を言うこともできなかったユラギ=サン。

 そして、ニンジャ。

 本当なら、夢でも見たのだろうと、自分で一笑に付して終わらせてしまったほうが、良いのかもしれない。

 だが、ヤワサキ=サンの脳裏には、今もありありと、あの赤黒のニンジャの放った、美しく弧を描く決断的チョップの様子が焼き付いているのだった。

 ヤワサキ=サンは、目を開いた。
 ゆっくりと立ち上がり、そして、右手を高々と上げた。

「イヤアアアアアッ」

 そのチョップの美しさと力強さに、その場にいる誰もが、はっと息をのんだ。

Claaaash!!

 二つのカガミモチは、ほぼ真っ二つに割れていた。

「ヤッター!パパ、スゴーイ」
 ミヨが、感極まって声を上げた。

 見ると、妻は涙ぐみ、両親は安堵の表情を浮かべていた。義父母すら、賞賛の色を隠しきれないでいるようだった。

((やったよ、ユラギ=サン))

 ヤワサキは、心の中で、ユラギ=サンに感謝の報告をした。

「さあ、オーゾニの準備をしましょう」

 涙をぬぐったヤコが言った。

 カガミビラキの終わったカガミモチは、オーゾニにされ、お祝いとして出席者にふるまわれるのだ。

「ワーイ、オモチ、オモチ」

 はしゃぐ娘の姿に、ヤワサキ=サンはチョップで骨折した手の痛みも忘れ、満面の笑みを浮かべるのだった。

【終わり】

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