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ラムザイヤー教授「慰安婦論文」を批判するハーバード大学教授は文献を読めていないのではないか

同僚の日本史専門教授による批判

 ハーバード大学のマーク・ラムザイヤー教授による「慰安婦」の論文は、韓国のみならず米国の学者からも批判をされている。真っ先に批判したのは、彼の同僚である。
しかし、公文書研究の第一人者である有馬哲夫・早稲田大学教授によれば、その批判内容を詳細に検討すると、文献の誤読ではないかと思われるところが多々あるのだという。以下、有馬氏によるラムザイヤー論文問題の検証、批判のきっかけとなった同僚教授らの主張についての考察をお届けする。

 ハーバード大学ロースクール教授マーク・ラムザイヤー氏が学術論文「太平洋戦争における性契約」(以下、ラムザイヤー論文とする)を書いたことで、強い批判を浴び続けている。教授は現在、様々な批判をしてくる欧米の学者に対して、日本人でも理解するのが難しい昭和前半の専門用語だらけの公文書を日本語に翻訳しながらの弁明を強いられている。
論文への批判や撤回要求声明を読むと、その殆ど同じスタンスと知見を踏まえていることがわかる。つまり、ラムザイヤー論文批判は、数こそ多いが、実は同じスタンスで同じ情報に基づいて書かれているものが多い。そして、とくに指摘しておかなければいけないことは、批判者の多くはラムザイヤー論文によって、内容が根底から覆される著書や論文(強制連行説とか性奴隷説に基づいた)を書いた人物だということだ。
本稿では、こういった人たちの代表例を見ていこう。
 ラムザイヤー論文に対して初期段階で批判を始めたのは、驚いたことに、ラムザイヤー教授のハーバード大学ライシャワーセンターにおける同僚の日本史専門アンドルー・ゴードン教授と東アジア言語文化専門のカーター・エッカート教授だった。

■外務省の削除要請に強い反対の過去
 この2人は共同声明として「ハーバード大学歴史学部教授アンドルー・ゴードンと東アジア言語文化学部カーター・エッカートによる声明」“Statement by Andrew Gordon, Professor, Department of History Carter Eckert, Professor, Department of East Asian Languages and Civilizations, Harvard University”を、今年の2月17日に発表している。
同じセンターに属する日本と韓国の専門家が、やはり日本の専門家のラムザイヤー教授の論文を批判する声明を世界に向かって発信したのだ。
これは極めて異例なことだと言えるだろう。これが韓国メディアに伝わって、この騒ぎが始まっている。
 学問の世界で、論文への批判・検証は行われて当然だが、同僚の批判声明を世界に向けて出した例を私は知らない。なぜこのような行動をとったのか、ゴードン教授に関しては過去の言動からよくわかる。
かつて、日本の外務省が米マグロウヒル社の歴史教科書(アメリカの高校生向け)の慰安婦についての記述の削除を求めたことがあった。このとき、極めて強い反対声明を出したのがゴードン教授である。
その教科書には、次のような記述があった。
「日本軍は14~20歳の女性を、20万人も強制的に徴用し、軍属させ、『慰安所』と呼ぶ軍の売春宿で働かせた」「日本軍はその活動を隠ぺいするため、多数の慰安婦を虐殺した」
ここで述べているのは、現在では否定されている「慰安婦20万人説」「慰安婦強制連行説」「慰安婦性奴隷説」「朝鮮人慰安婦虐殺説」である。
いずれも、それを示す証拠は現在に至るまで提示されていないからだ。
アメリカの同盟国である日本の公式見解も、こうした説には根拠がないというものだ。こうした見方、説を否定するラムザイヤー論文が認められることは、彼の歴史家としての地位を危うくするということだろうか。
今回の声明の文面はかなり感情的で、内容には学者らしくない一方的決めつけが多いように見える。
(全文は次のURLで読むことができるhttps://perma.cc/8ZHY-RD5C)
しかし、ここでの主張が一種の「元ネタ」となり、その後の批判者たちはこれらを根拠としているようだ。

■騙されることは想定されていない?
 2人は様々な論点からラムザイヤー論文を批判しているが、そのうちの主たるものは次の2つだ。
(1)朝鮮人女性あるいは彼女の親が署名した契約書の実物の提示がない。
    したがって、どんな契約をしたのかわからない。
(2)したがって、女性あるいは親が契約に自発的に同意したのかわからな
    い。おそらく、周旋業者は嘘、あるいは不明瞭な言葉を使って騙した
    に違いない。だから、自発的同意がないのだからラムザイヤー論文は
    根底から覆る可能性がある。
しかし私が見るところ、彼らの批判には矛盾や間違いがある。では、それらはどんなものなのかを見ていこう。
ちなみに、ゴードン教授とエッカート教授の共同声明で、どちらが言ったことかわからないので、主語は「彼ら」とする。
彼らはこう述べている(以下、全て筆者訳)
「女性とその親との口頭でのコミュニケーションにおいて、求められている仕事の性質を不明瞭にすることは簡単だ。実際、彼女たちがすることになっている仕事の性質に関して騙されたという証言が多い。我々が疑っているように、もし契約書自体がこのような不明瞭な言葉を使っているとすれば、このことは一層重要だ。もちろん、契約書のサンプルも実物もないとしたら、契約書が不明瞭な言葉を使っていたかどうかも確かめられないことになる」
わかりにくいので補足しよう。
彼らが考えているのは、契約書の実物があれば、そこにどんな仕事をすると書いてあるのかわかるので、騙したことが証明されるということだ。
彼らは、契約書には女性側(親も含む)を誤解させるような言葉が使われていると想定している。そして、契約の実物が出てくることによって、そのような言葉があることが証明されれば、女性たちは契約を結んだのではなく、騙されたことになり、ラムザイヤー論文は成り立たなくなると思っている。つまりこの論文は、女性たちが騙されることは想定されていないと思い込んでいるのだ。

■根拠を無視している
 しかし、前の記事でも書いたように、ラムザイヤー教授は女性や親が騙されたことを把握しているので、女性が騙されることも想定している。
もう一度引用しよう。
「朝鮮は日本とは違った問題を抱えていた。それは、職業的周旋業者の一団で、彼らは長年騙しのテクニックを用いてきた。1935年朝鮮の警察の記録では日本人が247人、朝鮮人が2720人検挙された。(中略)1930年代後半に朝鮮の新聞は11人の周旋業者のグループが50人以上の若い女性を売春所に売り飛ばしたと報道した」
ここでは明確に「職業的周旋業者の一団」が、騙しのテクニックを用いてきたと書いている。だから、そもそも彼らの思い込みは間違っているのだ。
女性や親が騙されていたら、ラムザイヤー教授が論文で示した経済法学的モデルは根底から覆るのかといえば、そうではない。
前の記事でも書いたが、騙された女性もそうでない女性も基本的契約(必ずしも契約書になっていない)、すなわち前渡し金、年季、料金、取り分、生活費・食費の負担が同じであれば、待遇はあまり変わらない。
そして、これらは「米国戦争情報局心理戦作戦班日本人捕虜尋問報告書四九号、一九四四年一〇月一日」などアメリカ軍の報告書に何度もでてくる日本軍の慰安所管理規則やそれについての報告書からわかる。
これがラムザイヤー論文の立場である。
彼らはこれらの文書の内容を認めようとせず、論文の註の文献を読みつつも無視して、朝鮮人女性か親の署名入りの契約書を出せないなら論文を撤回しろの一点張りである。ラムザイヤー論文は根拠を示していないのではない。彼らが、それらを無視しているのだ。そして、彼らはなぜ無視するのかについて何も述べていない。

■「酌婦」の意味を理解できていない
 前にラムザイヤー論文を批判する学者に共通するスタンスと述べたのは、このことである。つまり、特に註において示された資料、根拠について触れない。批判するために不都合なので無視しているようにも見える。
これと関連して、彼らの日本語能力は充分なのか、註に挙げてある資料をしっかり読めているのかと疑わせる記述も見られる。彼らはこのように書いている。
「彼のソースの一つ(内務省1938年)は、上海の慰安所にリクルートされた日本人女性の契約書のサンプルを与えてくれる。それは女性を慰安婦(comfort woman)ではなく酌婦(bar maid)と記している。それは日本語で書かれている」
補足しよう。
まず彼らは、後編で詳しく見る「内務省警保局長通牒」と、あとで見る「上海領事館警察署報告書」とを混同している。両方とも、1938年に作成されているからだろう。なぜ混同とわかるのかといえば、「内務省警保局長通牒」には売春婦の契約に関する言及はあるが、「酌婦」という言葉は使われておらず、「上海の慰安所」への言及もないからだ。
一方「上海領事館警察署報告書」のほうには、「酌婦」という言葉があり、「上海の慰安所」への言及もあるが、契約についての言及はない。
したがって、彼らの混同は明らかだ。二つの資料を混同したうえで、彼らはラムザイヤー教授への批判を展開している。
「慰安婦」の契約を示す文書だと言いながら、実際は「酌婦」(bar maid)に関する文書を註にあげているではないか、これはゴマカシで研究上の不正行為だ、という論理である。しかし、そもそも彼らの間違いは、「慰安婦」と「酌婦」を全く別物だと考えている点だ。彼らは「酌婦」の意味を理解できていない。論文の註にあげられている「上海領事館警察署報告書」は、次のように、「酌婦」とは文脈によって公娼、私娼、慰安婦のどれにでもなる売春婦の総称であったことを示している。
なお、昔の文書なので読みづらいという方は、そのあとの筆者の解説まで飛ばしていただいても問題はない。

■基本的知識を欠いている

「昭和十三年中に於ける在留邦人の特種婦女の状況及其の取締並に租界当局の私娼取締状況」(在上海総領事館警察署沿革誌に依る)
一、芸妓 (省略)
二、酌婦
在留邦人経営の貸席は内地公娼制に依る乙種芸妓(娼妓)を抱え明治四十年七月貸席を開業したるものなるが昭和四年六月上海公安局は管下全般に亘り支那人公娼廃止を佈布すると共に支那街に在りし邦人業者に対しても閉鎖を強要する等の態度を示し(中略)当館(上海総領事館筆者註)に於いても同年公娼廃止に代わるべき弁法として料理店酌婦制度を設け爾来抱酌婦の改善を計り来る処昭和七年上海事変勃発と共に我が軍隊の当地駐屯増員に依り此等兵士の慰安機関の一助として海軍慰安所(事実上の貸席)を設置し現在に至りたり(後略)
(吉見義明編『従軍慰安婦資料集』(大月書店)一八四頁、なお、読みにくいのでカタカナをひらがなに、かなづかいを新かなづかいにした)

 文書のタイトルに「私娼取締状況」とあるのだから、「酌婦」とは売春婦(この場合は私娼、のちに慰安婦になった可能性がある)を婉曲に言い換えたものだ。ラムザイヤー教授もこの文脈では私娼ととっている。
これは「慰安婦」と同様に、日本軍や官憲が公文書によく使った一種の専門用語だったといえる。彼らは「酌婦」と偽って女性を慰安婦にしたともいいたいらしいが、もともと「酌婦」は文脈によっては慰安婦も指すのが当時の常識だった。確かに「不明瞭」だが、女性たちが「彼女たちがすることになっている仕事の性質に関して騙された」ことにはならないだろう。
彼らはラムザイヤー教授の研究不正を告発したつもりかもしれないが、むしろ基本的知識を欠いている彼らのほうが誤読していたのだ。

■論文を否定する材料としては無理がある
 彼らから色々教わった、同じハーバード大学ロースクールのソク・ジヨン教授(ラムザイヤー論文批判の急先鋒でもある)ですら、こう書いている。「そこには、1938年に作成された日本人女性を「酌婦」として雇う際の契約書の見本が掲載されていた(「酌婦」という職業は性労働を伴うものであると理解されていた)」(「慰安婦の真実の姿を求めて」、『ザ・ニューヨーカー』に掲載)
酌婦は、性労働の言い換えだということが「理解されていた」のである。 さらに彼らは、「慰安」という言葉にも蘊蓄を傾ける。
「慰安」という言葉を聞いて、当時の日本人も朝鮮人も、必ずしも「売春」とは受け取らなかったという主張のためだ。それを証明するために、1917年から35年までの日朝の新聞で「慰安」という言葉が、娯楽とかリクリエーションとかの意味で使われていたことを示している。しかし勿論、そんなことは日本人にとっては当たり前のことである。一つの言葉に様々な意味が含まれているのは普通のことである。「慰安婦」という言葉を「ウェイトレス」「ホテル従業員」「遊園地係員」などと誤解させた場合があるのならば、問題だろう。
しかし、ラムザイヤー論文が示しているように女性側(親)との間では、多額の前渡し金が契約の前提となっている。その段階で、親ないし女性は周旋された仕事が「酌婦」あるいは「娼妓」(意味は公娼、私娼、慰安婦)だと気付いたと考えるのが合理的である。
現代でも「接客業」と称して募集をすることがある。その際に時給が1000円であれば、カフェ店員の仕事かな、と思うのは普通だろう。しかし「接客業募集 時給5000円~」だったら、普通のカフェやレストランではないことがわかる。誤解して当然だ、というのであれば当時の人を馬鹿にしているのではないか。
 こうして見ると、このような当時の言葉の解釈をめぐる批判は、ラムザイヤー論文を否定する材料としては無理があるのではないだろうか。
ただし、専門家が長々と書くことによって、ラムザイヤー教授の日本語理解に問題があるという印象操作にはなっている。この「慰安」に関する彼らの蘊蓄もまた、ラムザイヤー論文を批判する人たちの共通の知識(というより誤った知識)になっている。

■誤解か誤読に基づいている
それにしても不思議なのは、彼らがラムザイヤー教授の論文「太平洋戦争における性契約」(以下、ラムザイヤー論文とする)の註にある次の「内務省文書」を読んだと主張していることだ。
これは当時、日本の内務省が、日本から中国に渡って売春を生業としようとしている女性の扱いについての注意点をまとめた文書である。そういう女性の存在の必要性を認めながらも、人身売買や誘拐などが起きないように厳しく取り締まっていたことがわかる内容となっている。
つまり、日本政府が無理やりにそういう女性を連行して働かせたり、奴隷的な扱いをしたりしたということが無いことがよくわかるのだ。ところが批判者たちは、「強制連行」「性奴隷」こそが正しいと主張し、だからラムザイヤー論文は間違っている、と糾弾している。
冷静にこの文書を丁寧に読むと、批判者たちの主張は、誤解か誤読に基づいていると言っていいように思える。結果として彼らの日本語読解力に疑問を抱かざるを得ないのである(長いので後半部分を先に読んでいただいてもいいし、この部分を読み飛ばして筆者の文章に進んでも理解はできると思う)

■「内務省文書」

「支那渡航婦女の取り扱いに関する件」昭和十三年二月二十三日内務省警保局長 各庁府県長官宛て
最近支那各地に於ける秩序の恢復に伴い渡航者著しく増加しつつあるも是等の中には同地に於ける料理店、飲食店、「カフェー」又は貸座敷(筆者注・売春所のこと)類似の営業者と連繫を有し是等の営業に従事することを目的とする婦女寡なからざるものあり更に亦内地に於いて是等婦女の募集周旋を為す者にして恰も軍当局の諒解あるか如き言辞を弄する者も最近各地に頻出しつつある状況にあり婦女の渡航は現地に於ける実情に鑑みるときは蓋し必要已むを得ざるものあり警察当局に於いても特殊の考慮を払い実情に即する措置を講ずるの要ありと認めらるるも是等婦女の募集周旋等の取締にして適正を欠かんか帝国の威信を毀け皇軍の名誉を害うのみに止まらず銃後の国民特に出征兵士遺親に好ましからざる影響を与うると共に婦女売買に関する国際条約の趣旨にも悖ること無きを保し難きを以て旁〃現地の実情其の他各般の事情を考慮し爾後之が取扱に関しては左記の各号に準拠することと致度依命此段及通牒候
                   記
一、醜業を目的とする婦女の渡航は現在内地に於いて娼妓其の他事実上醜業を営み満二十一歳以上且花柳病其の他伝染性疾患なき者にして北支、中支方面に向かう者に限り当分の間之を黙認することとし昭和十二年八月米三機密合第三七七六号外務次官通牒に依る身分証明書を発給すること
二、前項の身分証明書を発給するときは稼業の仮契約の期間満了し又は其の必要なきに至りたる際は速に帰国する様予め諭旨すること
三、醜業を目的として渡航せんとする婦女は必ず本人自ら警察に出頭し身分証明書の発給を申請すること
四、醜業を目的とする婦女の渡航に際し身分証明書の発給を申請するときは必ず同一戸籍内にある最近尊族親、尊族親なきときは戸主の承認を得せしむることとし若し承認を与うべき者なきときは其の事実を明らかならしむること
五、醜業を目的とする婦女の渡航に際し身分証明書を発給するときは稼業契約其の他各般の事項を調査し婦女売買又は略取誘拐等の事実なき様特に留意すること
六、醜業を目的として渡航する婦女の其の他一般風俗に関する営業に従事することを目的として渡航する婦女の募集周旋等に際して軍の諒解又は之と連絡あるが如き言辞其の他軍に影響を及ぼすが如き言辞を弄する者は総て厳重に之を取締ること
七、前号の目的を以て渡航する婦女の募集周旋等に際して広告宣伝をなし又は事実を虚偽若しくは誇大に伝うるが如きは総て厳重(に)之を取締ること又之が募集周旋等に従事する者に付ては厳重なる調査を行い正規の許可又は在外公館等の発行する証明書等を有せず身許の確実ならざる者にはこれを認めざること
以上『従軍慰安婦資料集』102~104頁

■契約の有無をチェックする体制
 この文書で、とくに重要なのは五と七である。現代語に訳してみよう。
五「醜業(要するに売春)を目的とする女性の渡航にあたって身分証明書を発給する際には、仕事の契約など様々な事項を調査して、人身売買や誘拐などの事実がないように特に留意すること」 (醜業を目的とする婦女の渡航に際し身分証明書を発給するときは稼業契約其の他各般の事項を調査し婦女売買又は略取誘拐等の事実なき様特に留意すること)
七「その目的で渡航する女性の募集や周旋に関して、広告によって宣伝し、または事実を偽りあるいは誇大に相手に伝えるような行為は厳重に取り締まらねばならない。募集や周旋の業者については、厳重な調査を行う必要があり、正規の許可や在外公館の証明を持たないような身分のたしかではない者は認めてはならない」 (前号の目的を以て渡航する婦女の募集周旋等に際して広告宣伝をなしまたは事実を虚偽若しくは誇大に伝うるが如きは総て厳重(に)之を取締ること又之が募集周旋等に従事する者に付ては厳重なる調査を行い正規の許可又は在外公館等の発行する証明書を有せず身許の確実ならざる者にはこれを認めざること)
つまり、売春を目的として中国に渡航する女性は、「必ず同一戸籍内にある最近尊族親、尊族親なきときは戸主の承認を得て」「本人自ら警察に出頭して身分証明の発給を申請」するのだが、その際に本人の意に沿わない人身売買や誘拐などがないよう厳重なチェックを受けるのだ。しかも、仕事の仮契約期間が満了したり、満了の必要がない(つまり、前渡し金を返し終わったので満了まで待つ必要がない)と判断したりした場合には、すぐに帰国することを勧めるともある。
周旋業者の方も、誇大広告や嘘で女性側を騙すことを禁じられており、身元が怪しい場合は、騙して連れてきた女性たちを警察や官憲に引き渡さなければならなかったのだ。このような趣旨の通牒、通達は他にも多くある。
つまり、必ずしも文書としての契約書があるとは限らないが、契約があったかどうかをチェックする体制もあったということだ。

■悪徳周旋業者の犯罪
 もちろん、それでも朝鮮の悪徳周旋業者が親になりすまし、文字も読めず、日本語も不自由な女性を騙して渡航させたということはあり得る。
そうだとしても、日本としてはこれだけ防止に努めていたのだから、それは日本軍や日本の官憲の責任ではなく、悪徳周旋業者の犯罪だといえる。
日本軍および日本の官憲と悪徳周旋業者がグルでなかったことは明らかだ。
 こういった文書を読むと、女性側との契約の理解と合意には色々なレヴェルがあったにせよ、「女性たちがすることになっている仕事の性質に関して騙された」という彼らの疑いは合理的とは言えないのではないか。
騙されていないことを証明するために、まず出てこないであろう契約書の現物を出せというのは単なるいやがらせではないか。
この文書の内容を否定するなら、ただ無視するのではなく否定できる一次資料を示せばいいではないか。
彼らがこの文書に注目するものだから、彼らの後でこの文書の一にある「当分の間之を黙認する」という表現に目をつけて批判材料とした学者もいる。 その前の部分にはこうある。
「女性の売買についての国際条約の趣旨にもとることが無いような状態を保つのが難しいので、現地の実情やその他諸般の事情を考慮して、酌婦の扱いについては以下のような方針にするように命令し通達する」 (婦女売買に関する国際条約の趣旨にも悖ること無きを保し難きを以て旁〃現地の実情其の他各般の事情を考慮し爾後之が取扱に関しては左記の各号に準拠することと致度依命此段及通牒候)
そのあとに「黙認」とあるので、日本軍が国際条約(1921年婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約)に反することを承知で女性たちを中国に送ることを「黙認」したというのが批判者の指摘である。この指摘は、2月18日発表の欧米の大学で日本学を教える5人の学者による、「『太平洋戦争に於ける性契約』:学問的不正行為の理由による撤回要求“Contracting for Sex in the Pacific War”:“The Case for Retraction on Grounds of Academic Misconduct”」(Concerned Scholars (google.com))でなされている。
これらの学者も、ラムザイヤー論文が自らの主張を覆すことになると感じて行動を起こしたのだろう。

■日本語文献の読解能力に疑問
 しかし、「国際法違反」云々は悪徳周旋業者が国際法に違反する人身売買紛いのことをするので厳重に取り締まるようにという文脈ででてきている。
そのような状況を「黙認」すると述べているわけではない。
だから、二以下で厳重なチェックを求めているのだ。とくに二十一歳以上という年齢制限は「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」のなかの年齢制限を意識している。
では何を「黙認」すると述べているかといえば、原則として日本人女性の中国渡航は禁じるが、「醜業を目的とする婦女」の渡航は「黙認」するということになる。これが素直に読んだ場合の解釈である。こうした「醜業」自体が許せないという考えの方はいるだろうが、当時はこうした仕事は認められていた。従って、中国でそういう仕事をしたいという女性の渡航を「黙認」することは、国際法違反ではない。
前の記事でも書いたことだが、日本を厳しく裁いた極東国際軍事裁判においてすら、慰安婦制度も個々の慰安所も訴追されていない。問題視されなかったのである。それ以前のアメリカ軍の報告書や調査書を読んでも、国際法違反や戦争犯罪とも見做していなかった。
1994年のクマラスワミ報告書のときも、アメリカは国際法違反だから日本に賠償を科すというラディカ・クマラスワミ特別報告者の意見を支持せず、制裁ではなく単なる非難決議に終わらせた。当時の日本が国際法違反行為を「黙認した」というのは無理な解釈だ。
 こう見てくると、多くの学者の批判や論文撤回要求声明に影響を与えたゴードン教授とエッカート教授の批判は、「ためにする議論」だと筆者は見ている。彼らの批判は、学問的な作法に基づいているようには思えない。
ラムザイヤー教授があげている根拠を、正当な理由もなく無視していると考えられる。むしろ、こうした批判を見ていると、彼らの日本語能力や註などの日本語文献の読解能力に疑問を感じた。この点については、彼らに続く欧米の学者たちの批判の多くにもあてはまる。
このような批判のための批判をしてくる多くの様々な専門の欧米の学者に、前に見たような日本語資料を翻訳しながら反論することはかなりの消耗を強いられることだろう。これは、ガリレオ・ガリレイに対する異端審問のようだと筆者個人は感じている。

有馬哲夫
1953(昭和28)年生まれ。早稲田大学社会科学総合学術院教授(公文書研究)。早稲田大学第一文学部卒業。東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得。2016年オックスフォード大学客員教授。著書に『原発・正力・CIA』『歴史問題の正解』など
デイリー新潮取材班編集 2021年4月5日掲載

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