見出し画像

【第91回】(地区防災計画に影響を与えた事例)沢内村村長深沢晟雄の人命尊重の行政

質問 地区防災計画に影響を与えた事例として、沢内村の深沢晟雄村長の人命尊重の取組があるんですか。

概要

 ①地区防災計画草創期の関係者へのインタビュー調査
 ②沢内村の深沢晟雄村長の人命尊重の行政
 ③村民の厳しい生活を改善するため村長に就任
 ④高齢者と乳児の医療費無料化を国に先駆けて導入し、乳児死亡率0%達成

解説

①地区防災計画草創期の関係者へのインタビュー調査

 地区防災計画制度を企画立案したり、関係ガイドラインを執筆した関係者に対するインタビュー調査によると、社会学的な事例を念頭に置いて活動していたことが判明しています。特に、岩手県沢内村における乳幼児死亡率ゼロ、高齢者医療費無料化の保健衛生の仕組みづくりの事例が大きな影響を与えたと言われています。
 これは、岩手県沢内村の村長が、ボトムアップ型の住民運動を展開し、雪害、貧困、病気等に苦しむ多くの地域住民の命を救うことにつながった事例です(金 2019)。
 地区防災計画の制度づくりを担当した関係者たちは、学術的な先行研究を調べあげて理論研究を深め、地元の地方公共団体の紹介を得て、実際にコミュニティを訪問して、住民、学識経験者、行政担当者等の知見を収集して、制度の外郭を作っていきました。
 その際の参考事例の一つとして、沢内村の人命尊重の取組があがっているのです。以下では、金(2019)を基に紹介したいと思います。

②沢内村の深沢晟雄村長の人命尊重の行政

 岩手県の内陸部で秋田県との県境に位置する沢内村(2005年に合併により西和賀町になっています。)の深沢晟雄(ふかさわ まさお・1905~1965)村長は、雪害、病気、貧困等のために、多病多死で苦しんでいた沢内村において、国の取組に先駆けた乳幼児死亡率ゼロ、高齢者医療費無料化の保健衛生の仕組みを導入しました。
 また、村の女性連絡協議会をはじめとする住民団体の意見を取り入れてボトムアップ型の住民運動を展開しました。そして、そのような取組が功を奏して、雪害、病気、貧困等に苦しむ多くの地域住民の命を救ったのです。

③村民の厳しい生活を改善するため村長に就任

 深沢は、沢内村の地主の一人息子として1905年に生まれました。その後、家の希望で、東北大学医学部に進学しますが、本人は医者嫌いで、途中から法文学部に転部をして卒業しました(法学士)。
 そして、佐世保船舶工業株式会社佐世保造船所次長や日東開発工業株式会社常務等を歴任した後、1954年に沢内村に戻り、農業をしたり、高校の英語教員等を務めていました。
 当時の沢内村には、病院がありませんでした。そして、周囲を標高1,000m級の山々が囲む盆地に位置しているため、冬は3m以上の積雪があり、豪雪のため、近隣の村にある病院に病人を運ぶことが難しかったそうです。
 そのため、乳児の死亡率が全国的に見て特に高かったほか、貧困のため病院にかかることができない住民が多く、病気になったら、家計を心配して自殺する高齢者や死亡してから初めて死亡診断書を書いてもらうために医者にかかるような住民もいたそうです。
 深沢は、そのような沢内村の住民の状況を見て、その悲惨な状況を強く憂い、住民の生命尊重を訴えて、婦人会、農協等とも協力し、住民の団結・協働を進めました。そして、深沢は、沢内村の教育長や助役を務めた後に、住民から強く推されて、1957年には無投票で村長に就任しました。

④高齢者と乳児の医療費無料化を国に先駆けて導入し、乳児死亡率0%達成

 深沢は、村長として、除雪用ブルドーザーを企業と掛け合って分割払いで購入し、冬季の近隣の病院までの道を除雪しました。また、夏季は、このブルドーザーで農地や道路整備等を行い、村の産業の活性化につなげました。
 また、東北大学医学部に時間をかけて掛け合って、村の病院へ優秀な医師を派遣してもらうルートを作りました。
 さらに、国や岩手県とも掛け合って、貧しい住民でも病院に通うことができるように、1961年に高齢者と乳児の医療費無料化を国に先駆けて導入し、1962年には日本の地方自治体で初めて乳児死亡率0%を達成しました。
 これは、後に国の政策にも大きな影響を与え、地方先行で国が後を追った政策事例になりました。
 なお、深沢自身は、1965年1月に59歳で村長在職のまま食道がんで死去しました。彼が、多忙であったことと、医学部にいたことがあるにもかかわらず、医者嫌いであったため、病院にかかるのが遅れて、病が進んでしまったと言われています。
 深沢によって命が守られた住民たちは、深沢を深く慕っており、深沢の葬儀では、吹雪の中、1,000人以上の住民が、深沢の棺を迎えました。

文献
・金思穎,2019,「日中の都市コミュニティにおける地区防災計画づくりに関する実証的研究」専修大学博士論文: 30-31.
・及川和男,1984,『村長ありき-沢内村 深沢晟雄の生涯』新潮社.
深澤晟雄資料館HP

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?