「限界」は更新されていく
地震、オリンピック、芸人の揉め事、大衆は狂ったようそれらの情報に振り回されています。
地震については何年も前から「南海トラフ」という言葉で「恐怖」を煽っています。
これについてはマスメディアが一斉に大衆を脅かしています。
備えこそしておくべきですが、マスメディアのすべてがスクラムを組んで放送しているときほど疑うべきときはありません。
マスメディアは権力の一部でしかありませんから南海トラフ地震は「権力案件」、具体的に言えば「CIA案件」と私は考えています。
他方では女性芸人の揉め事がありましたが、片方が自衛隊出身という触れ込みで売り出しているようです。
ひとつ留意してほしいのは、軍隊、警察、諜報機関、国際機関出身という者にはスパイやその活動が任務である可能性があることです。
スパイ天国と言われて久しい日本ですし、スパイが政権与党の中枢に位置し、野党もスパイだらけという現状ではあるのですが、問題はそのスパイの言動や振る舞いに、大衆が振り回されることです。
スパイは芸を仕込まれます。
芸能界にスパイが多いのはそのためです。
昔から忍びの者は芸達者です。
最近は「自衛隊別班」が明るみになりドラマにもなりましたから、この組織は公開していい情報となったのでしょう。
現実には非公式の組織がいくつも存在しています。自衛隊にも外務省にも総務省にも、その他にも。
日本には原爆が無いことになっています。
地震は自然地震しか無いことになっています。
日本は平和ということになっています。
それらの幻想を維持するには欺罔という力で大衆を欺くしかありません。
支配階級は自らの権力の維持と恒久的な安定、繁栄を「平和」と呼びます。
現代ではそのために戦争も災害も起こされることを忘れるべきではありません。
そのために悪人を聖人に仕立て上げ、大衆の尊敬を集めます。
そこに倫理や道徳などの概念は介入できません。
何故なら、倫理や道徳というのは支配階級から大衆に対して与えられた「行動規範」に過ぎないからです。
規範からはみ出したものは支配階級にとって有害です。
だからこそ法律、警察、メディアという暴力で押さえつけるようにしています。
あらゆる権力者による不正や犯罪が目白押しですが、本来は当然のこととして行われてきたことが、大衆の下にその情報が与えられているだけなのです。
そもそも、支配階級、権力者は不正や犯罪を「悪いこと」だと思っていませんし、バレたらどうしようとも思っていません。
単なる「技、テクニック」くらいにしか思っていないのです。
犯罪とされる行為を行ったところで警察や検察を抑えるテクニックを知り、実践すればそれは不正ではなく、「ビジネス」と表現されるようになるのです。
こんなイカれた考え方をしているのが権力、支配階級ということを忘れないようにしていただきたいのです。
オリンピックの開会式のセレモニーのキチガイぶりを見た方は多いと思いますが、支配階級の力を誇示しているようにしか私には見えません。
大体、マリー・アントワネットとともにフランス革命が語られますがフランス革命は大衆による革命ではなく、銀行家などの金融資本家のための革命です。
字もろくに読めない当時の民衆に革命など起こせるはずもないでしょう。
その金融資本家による革命、テロリズムを誇示しているのがオリンピックです。
結局、何が言いたいのかということですが、いつも言っていることと同じです。
「救世主はいない」「救世主を求めるな」「自分ができることをできるだけする」ということです。
先日、ある有名な武道家の先生が次のような主旨のことを言っていました。
「真に日本を考え、クーデターを起こしてくれる指導者が欲しい。選挙や話し合いでは不可能。
武力をもって本来の常識を固定させるしかない。
不良外国人、帰化人、売国奴に対しては徹底的な抗戦を実現する強い指導者が欲しい」
とても有名で居合術の第一人者の立派な方で、その界隈で知らない人はいないほどの方でも、このように「指導者」を求めます。
自分でその立場になろうとするなら、犯罪者になることと引き換えになりますから、それは嫌だということです。
当然嫌でしょう。
腹を切る覚悟で、自分の人生を台無しにしてでも日本を守るという覚悟ができる人などほぼいないと言っていいでしょう。
巷で武士、令和の侍と言われる者でもこの程度なのです。
だからこそ「誰にも期待せず自分で動け」ということです。
救世主なんていませんし、期待するだけ無駄ですから、その分自らの研鑽を高めたほうがまだ良いかと思います。
このようなことを言うとまとめて「すべて人生は自己責任」といった意見がくることがあるので、一応言っておきます。
新自由主義的な自己責任論をイメージするかと思います。
「俺はみんなが遊んでいるときに必死で勉強した。それがあって今の収入や地位がある。今低収入の奴は怠け者なだけ。今の時代、高収入、人生なんて努力でどうにでもなるんだ」
という意見です。堀江貴文辺りが言いそうなことですが、私はこれは視野が狭い故の意見と言えます。
中途半端なエリートはこれを言いたがります。
私の生まれ育った地域には虐待で死んでしまう子ども、アル中で子どもに暴力を振るう親、一切の子育てをしない親、食い物がないからうちに貰いに来る同級生、両親揃ってパチンコ三昧で子どもカップ麺ばかり食わせる親、なんてのが多くいました。
中には娘に覚醒剤を買ってこさせる親もいたそうです。
子どもからしてみれば、努力すらできない環境だったり、勉強したくてもできない環境が確かにあります。
「宿題めんどくさいなぁ」なんて話が幸せな人間の発する言葉というのが理解できると思います。
その頃、親の暴力を受けて警察沙汰になっているということがあったりもするのです。
宿題したくてもできない、それどころではないという切実な状況がわかると思います。
このことからわかるのは、スタートラインは皆違うのに自己責任はあまりにも酷だろうということです。
毎日醤油のシミがついた同じ服、ボロボロの靴、しっとりとし過ぎた髪、給食くらいしかまともな食事ができないというそんな状況の子どもに自己責任などと言えないでしょう。
つまり、「努力ができるのは幸福である」ということです。
これが大前提です。
私個人はできるのにしなかったタイプなのでただの落伍者と言ってもいいでしょう。
前段で言ったような半端な自己責任論を言えるのはこのような環境から這い上がれた人だけでしょうが、まずいません。
問題は自己責任論の使い方、扱い方です。
人を見下し、社会に不信感を与えるような扱い方をするなら言わないほうがいいですし、無意味どころか有害ですからワクチンのようなものなので、自らの無知をひけらかすことと同じです。
私が自己責任論を使うときはひとつしかありません。
「相手や自分を鼓舞するとき」
このときだけです。
私は挫折のベテランですからこれまで何度も何度も落ち込みました。
その時、自分と向き合って最終的には自分次第だと毎回思ってやり直すわけですが、その時の自己責任論は自分を奮い立たせてくれます。
「もう一度頑張ろう」、「もう一度挑戦しよう」、「もう一度立ってみよう」となるなら、自己責任論も役に立ちます。
落ち込んだ人に対して安易に自己責任を持ち出すのは得策ではありませんが、真剣に相手を想って伝えることができれば鼓舞されることがあります。
私は昔、挫折して落ち込んで腐っていたときに兄からこんなことを言われました。
「そこがお前の限界だな」
この言葉は自己責任論の究極的な使い方のような気がします。兄は覚えてないかもしれませんが、私にとってこういった言葉は大事な言葉です。
闘い続ければ限界は更新されていきます。
話が脱線しましたが、まとめると、
「自分の救世主は自分だけ」
です。
人は自分にとって都合の良いことをしてくれる者を救世主と呼びます。
そのような軽薄な思考から生まれた救世主がすることは、この世界からのログアウト、それこそ真の救いなどと言うのでしょう。
支配階級は大衆を殺戮することを「大衆への救い」と想っているかもしれませんね。
大規模自然災害は救いですか?
コロナワクチンは救いですか?
戦争は救いですか?
こんなキチガイな発想で世界は回っています。
「人間とは、自分自身の犠牲は甘受する覚悟にはなれても、自分の子までが支配階級の無能の犠牲になるのまでは、甘受する気にはなれないからである。」
塩野七生
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