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虚無を肯定し、抵抗する


3月13日を迎え、政府によるマスク着用基準が緩和となりましたがほとんどのニホンジンが着用を継続しています。
予想通りですが、これほどまでにマスクを外さない民族を見ると心が折れそうになります。

私の同級生の子どもが世田谷区の喜○見小学校に通っているとのことで、息子さんが13日からマスクを外せると意気揚々と登校したところ、全校集会で「マスクを着用を継続する」と教師から言われ、外すことができなかったといった話を聞きました。

私は仕事の合間にその小学校に連絡し、主幹教諭にその事実を確認したところ否定も肯定もせず、「一応個人の判断ということになります」と言われたので、「一応ということは原則として着用を続けるということですか?例外があるということですか?」と問うてみたところ、苦虫を噛んだような言い方で「マスク着用は個人の判断です。」と言いました。

私は「個人の判断ということであれば、教師から着用しろとの指導や圧力はないということですか?」、「そのとおりです」といったことでした。

問い合わせがあれば、公立小学校である以上、個人の判断と言わざるを得ません。
しかし、本当に大人の卑怯さには怒りも呆れも通り越して、虚しさすら感じさせます。

個人の判断と言いながら、大人が、それも教師が集会でマスク着用を推奨したり、依頼したりすれば普通に考えても小学生が逆らえるはずがありません。
昔の小学生ならいざ知らず、現代の飼い慣らされつつある小学生にそんなことはできないでしょう。

相変わらず屋外でも着用を続ける自意識過剰なニホンジンはマスクを着用する利己的な理由を正当化しながら、家畜と見下されてればいいのでしょう。
この期に及んで外せない人間は主体性はおろか、自分自身すら見失っていると言えます。
集団催眠にかかっているといえばそれまでですが、その催眠を施したのはマスメディアや厚生労働省、医療従事者、大学教授、政治家などの人外達です。

これまでマスク着用を強制し、その空気を作り上げてきたクズども「マスクを外させる同調圧力がないように」などと言っています。
自分たちがマスク着用の同調圧力があったと認めているようなものです。

なぜかそれを喧嘩腰で伝えるおじまこうへい氏に意見したらブロックされましたが、流石、経歴詐称でソロスの子飼いである小池百合子の舎弟なだけあります。

13日の政府の方針変更を受け、こぞって企業がマスク着用依頼の張り紙を外しましたが、すべきことはそれではなく、「無意味なマスク着用を事実上強制していたことを謝罪する」ことです。

どいつもこいつも権威に言われたことしかできないロボットになりやがってと思いますが、今になって主体性を発揮した気になってもそんなものは主体性とは言いません。

黙食も意味ないことくらいわかっていたはずです。
それを今更「黙食は必要ない」じゃねーよって話です。
子どもたちに謝罪しろよクズ共がって話です。
それを受け入れた教師も保護者も子どもたちを虐待していた自覚も無ければ、正しいことをしていたとすら思っています。

恐らく2019年以前の光景に戻るまでには数年かかるでしょう。もしかしたらその過程で感染症をマスメディアが再度演出すれば半永久的に外さないかもしれません。

デジタルレーニン主義を前提とした超監視社会を実現させたい政府や支配層からしてみればここまでマスクを外さないことは想定外だったのかもしれません。



超監視社会の根幹は人民の「家畜化」です。
家畜ということは、必要であれば間引きするし、管理者に対し一切反抗しないということです。
その前提で社会という檻に押し込むというイメージです。

その檻の中では、ひとりひとりに番号が与えられ、着るもの食べるもの、学ぶもの、見るもの、楽しむもの、使うもの、全てを選択しているように思い込まされるのです。

マイナンバーカードもデジタル通貨もタブレット教育も遺伝子組み換え食物やゲノム編集食品も、サブスク動画もムーンショットもすべて選んでいるようで選ばされます。

今回のシリコンバレー銀行の破綻はそれを加速させるためには都合がいい出来事です。

なぜ、米国政府は救済しなかったのでしょうか?
それを考えることは非常に重要なことです。

次はクレディ・スイスだと言われているようですが仮にクレディ・スイスが破綻すれば運用資産の価額から言っても戦争の火種になっても不思議ではありません。

先日のトルコ地震は人工地震であると現地メディアが報じているようなので、戦争行為として受け取られているのであればこれら金融屋の破綻は利用されると解するべきでしょう。

この点について自然地震か人工地震かの事実はさほど重要ではなく人工地震と受け取ればそれは戦争行為です。
国際社会で重要なのは解釈です。

なぜなら、文化も習慣も言語も違う世界で対等に渡り合うには徹頭徹尾、自国本位でならなければなりません。
堅気の世界ではないために性善説など通用せず、吹っ掛けて分捕れる物があればそれを引き出す、打算や謀略が常識の世界です。

グレートリセットのきっかけという認識もできるでしょうし、いずれにせよ更にキナ臭くなってきたと思われます。
食料の備蓄や災害対策もしっかりしておくことに越したことはないですね。

先日こんな記事がありました。

宗教法人はマネロンと脱税の温床であることは過去の記事に書いたとおりですが宗教屋に宗教家などいません。

真に宗教を志すのであれば、この世界から宗教法人などを無くすはずです。
なぜなら、この世界を狂わせているのが神の名を借りて金儲けをする宗教団体だからです。

宗教法人の中でもそういったこととは無縁の宗教もありますが日本における宗教法人のほとんどは宗教ビジネスであり、魂の救済とは程遠いものです。

最近、大川隆法が死んだみたいですが宗教ビジネスで大成功した人物として今後も語り継がれることでしょう。
六大学以外は専門学校という認識の学歴信仰がひどい宗教屋だっという話ですが、例のごとく「復活」するのではないでしょうか。

本当に社会という枠組みから外れて、この世界を諦観してみると人間というのはつくづく愚かだと感じてしまいます。
この世界の多くの人間は真面目で優しい人間のはずなのですが、それが世界が美しいこととはイコールにはなりません。

世界は美しいはずなのにそれを醜くするモノとはなんでしょうか。
カネでしょうか、宗教でしょうか、人間の持つ競争本能でしょうか、それとも他の何かでしょうか。

浅薄な宗教家は、「自分の視点を変えることで世界は美しくなる。人間の悪いところに目を向け過ぎだ」とでも言うのでしょう。
人間の、世界のネガティブから目を逸らし、無思考に自らの幸せ(エゴ)を追求することが「」なのでしょうか。
そんな安っぽい愛はヒットチャートのラブソングで十分です

テレビの向こうの多数の犠牲者はかわいそうでも、電車を止めた自殺者には舌打ちするような連中がこんなことを言います。

このようなニヒリズムを肯定しつつも、私は人間を諦めたくはありません。
こんなことを言わなくてはならない時代が悲しいですが、それでも、オギャーと新たに生まれてくる子どもたちがいます。

そんな子どもたちも、それぞれの喜びや期待、不安を抱えて未来を進んでいきます。
そんな「それぞれ」を無くし、心を亡くそうとする社会を肯定する心無い大人たちが目指す世界こそニヒリズムが形成する世界です。

そんなニヒリズムに抗うのも人間としての誇りです。

彼らから見下され、蹂躙される未来には「抵抗権」という自然権でもって抵抗し続けます。
すでに抵抗権を行使する段階に来ている社会です。

読者様から教えていただきましたが、私はTwitterでもGoogleでもnoteでもバンされているようです。
noteで「知識と実践と真実と」「知行合一」「那由多響慈」で検索してみたら見事に出てきませんでした。

「知識と実践と真実と」という偽アカウントも出てきました。このような妨害もポジティブに受け取り、読者様の思考と行動の手助けになれば嬉しく思います。




子供は、その時点時点で常に現代人であり、また、未来人でもある。

ー手塚治虫

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