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人と人を紡ぐ 紡ぐキッチン

私の母は 紡ぐキッチンのお台所で、おいしいごはんを作ってくれている。

看板お母さんです。

現在、テイクアウトのみの営業ですが、お母さんの作る玄米弁当は絶品です。

そんなお母さんのファンが多く、お母さんの人生相談劇場が始まる事もしばしばある。(血の道だなぁ…)

今のお母さんの姿からは、誰も想像がつかないと思うが、約9年前、母さんは人生の伴侶を突然失い、精神的におかしくなった。

当時、病棟の看護師長さんから心療内科の受診を勧めらえたし、私以外の親族はすべて心療内科への受診に賛成だった。

だって、薬飲ませたくなかったし、薬で解決するなんて思っていなかった。ただ、親族の反対を押し切った責任があるので、何とかしなくちゃいけない。と焦っていたし、焦りからくる苛立ちは半端じゃなかった。

その年は2011年。東日本大震災があった。

避難所の炊き出しの映像は、芸能人ばかりだったが、印象的だったのは被災されたお母さん達が、料理して、仲間たちに炊き出しを行っている映像だった。「包丁もって、野菜切ったら元気になってきた」と。。

豚汁を渡された方はみんな、笑顔だった。

料理が好きだった母が、料理をしなくなり、スーパーにも行きたくない。と言い出し、危険信号点滅中の母に、タニタ食堂のレシピ本を渡し、このカロリー通りのおかずを毎回オーダーして、孫たちに食べさせる。

私が不在の時には、祖母に来てもらい、食事を用意する。

世話する仕事を増やすのに、セラピー犬として、あずきさんも迎えた。(のちに、甘やかしすぎてセラピー犬というかお姫様犬になったけど。。。)

配膳のバイトにも行ったり、年末年始は神社の給仕の奉仕も参加してくれた。

どんどん、家族から他人へ、お母さんのつくるごはんを食べてもらう機会が増えたら、気が付いたら 父がいた時よりパワーアップしていた。

そして、母の大事な親友が亡くなった時も、リウマチが発症した時も、年金が減らされた時も、母は「人生は一度きり、命あれば何でもできる」と言うようになった。

そして今は、頭に何本も金髪メッシュを入れている。

そんなお母さんがつくるごはんだから、食べたら元気になるのだ。

弊社の指針は「人と社会の癒しと笑顔の増産」

今、こんな時代だけど、飲食店応援といってテイクアウトの紹介を無料でしてくれるサイトもある。

人と人を繋げるだけじゃなく、紡ぐ人も増えた。と思う。

固く ぐちゃぐちゃにもつれてしまったものを 丁寧に 丁寧に 

解くように 色んな事が明るみになってくる時代。

今までの生活スタイルを変えざる得ない時代。

だからこそ、思いやりと優しさをもって、皆さんにおいしい食事を楽しんでもらいたい。

私は、緊急事態宣言が解除されても、皆様の安全と、お母さんの安全を守りたいので、紡ぐキッチンは当面の間はお弁当のみの販売にしたいと思います。

でも、お母さんは元気なので、どんどんお弁当のご予約お待ちしております。

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