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女王蜂〜女性性の愛のあり方考察〜

最近友達と愛についてアレコレ語っていた時に、私の口からこぼれた言葉が
「もうさ、女は女王蜂でいいんだよ」でした。

「自分が誰を好きなのか解らない」
一緒にいると苦しいけどどうしても好きなパートナーと、一緒にいると安心ができるけど男女としての気持ちがないパートナーの間で選択に悩んでいる友達に放ったのが「女王蜂」論でした。

女性は自分が誰を愛するかなんて決めなくて良いんじゃないか?と私は思ってるんです。女性性が求める相思相愛の相手は、自分の外側に求めても存在しないというのが私の考えで、相思相愛になれる唯一の相手は男女共に関係なくその人自身だと思っています。
人間関係は、自分で自分のことをどう扱っているかの鏡なんです。
だから、自分と相思相愛になれば他者とも相思相愛になれるやろ!と単純に思っていたりします。

1人のパートナーから愛されることに執着をすると、その1人が居なくなると感じる恐れや不安に取り憑かれてしまう。相手から嫌われないようにと自分の行動を制限したり、いつも相手の気持ちを監視してしまうような気持ちに囚われてしまう。

そんな風に他人に意識を奪われている時って、自分自身のことを道具にしてしまったり無視してしまったり、セルフネグレクトになってしまうんですよね。

そして相手は鏡です。自分を道具にしていれば道具として扱われてしまったり、存在を無いものにされてるように感じたり。実際そうでなくてもそういう扱いを受けているように感じます。

陰陽の陰、内向きのエネルギーである女性性に必要なのは、相手を愛することではなく自分自身の内側を愛すること。無条件に外側からの愛のエネルギーを享受してそれをさらに自分自身の中に取り込んで育てて自分の外の世界に新しい愛を生み出すんだと思います。

女性性に対してエネルギーを与えるのは陽である男性性。「この人」と決めた相手を幸せにするために自己成長して、それが社会にも貢献する力となるし経済力にもなって自分が守りたい女性性の力になっていることが自信になる。
男性性も女性性も自分の愛のために活動をすることで、命の循環がうまくいくんじゃないかな?と思うんですよね。

女性(性)に限らず、誰かから愛されようとするのではなく自分にとっての女性性(男性(性)にとっては自分の女性性を預けた相手)を愛することでもしかしたら世界規模の愛の循環ができるんじゃ無いのかな?なんて思いました。

※思いつきでパパッと書いたので後で所々修正するかもです

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