第九回塔新人賞受賞作「句読点」(近江 瞬さん)を読んで
ここ数ヶ月前から仲良くしていただいている近江さんが、このたび塔新人賞を受賞された。
受賞作を読ませていただく機会をいただいたので、私なりの感想を書くことにした。
東日本大震災を題材とした連作ではあるが、近江さんは当時は学生で東京にいらっしゃったとのこと。
現在は石巻で記者をされている。
ご本人は、「重めです」とおっしゃっていたが、私としては、これを重いとは感じなかった。
きっと、比較するものではないとは思うが、ヒロシマを継承する地に生まれ育った私にとってこのような内容のものにある種の「慣れ」があるからかもしれない。
だからといって、東日本大震災を否定するというか軽んじているという意味でも、近江さん自身の作品が重さのないものという意味ではないので、その点ご了承いただきたい。
さて、近江さん自身は被災地の直接の被害を目の当たりにはされていない。被災後に現地に入られたという立場である。
記者という立場もあり、そのことがとてもよくわかる一首を引く。
「話を聞いて」と姪を失ったおばあさんに泣きつかれ聞く 記事にはならない
きっと、こうやって記事にならなかったお話は数知れずあるのではないかと容易に想像ができる。
また、次の一首は物書きならではの視点で詠まれたものであろう。
上書き保存を繰り返してはそのたびに記事の事実が変わる気がする
この二首があることで、たくさんの方の話を聞きかれたこと、そしてそれが記事にならなかったこと、推敲を繰り返すことで伝えることが変わってしまったのではないかという苦悩を感じた。
私は、昔から文字を読むのが苦手で、本を読むという行為をするとすぐに眠気がくる。
歌集を読むのも例外ではなく、結構集中して読むぞ、とならないと読めない。
こんな私であるが、読み始めてはまったら、一気に読んでしまう。分厚い小説も1日で読みきってしまうこともある。
近江さんの連作は、後者で、あっという間に読めたし、何度も読みたいと(事実何度も読んだ)思った。
きっと、すんなり私の中に入り込んでしまったのだろうな、と思う。
拙い感想でしかないけれど、近江さんのますますのご活躍を期待してやまない。
読ませていただいて、本当にありがとうございました。
短歌のこと、息子のこと、思ったこと・・・。 読書感想文がなによりも苦手だったのに、文章を書くことがちょっとだけ好きになりました。 IgA腎症持ちです。