思い出トレイン
GWが近づくが、しばらくは電車に乗っての旅行なんかは行けそうにない。
こうして乗れなくなってから気が付いたのは、私はなんやかんや電車での旅が好きやったんや、ということ。
小さい頃は旅行。大きくなってからは仕事でしか乗らなくなった乗り物。思えばたくさんの思い出がある。
一番古い記憶はたぶん3歳くらい。
まだ弟も生まれていない頃に、よく母と2人で電車に乗った。私が子供特有のボリュームとか全然気にしてない声で「海!」とか「くるま!」と騒ぐのを母は「ほんとだね〜」って全部反応してくれた。
このシーンの記憶を呼び起こすたびに、母が教えてくれた出来事も思い出す。
同じく2,3歳くらいの頃。母と2人で電車に乗っていたら、近くの席にひとりの女性が座った。その女性はお化粧を始めたらしい。
するとそれを黙っていた私が突然、
「ママ、問題です。電車の中でお化粧をする人はいるでしょーか!」
と大声で言ったとのこと。
想像するだけでゾッとする。嫌味とかではなく、ただ見てて、問題にしようと思ったんやろうけど。
怖。
母はどうその場を乗り切ったのか。
…怖すぎ。ほんまごめんなさい。
小学校5年生から福井県勝山市の『かつやま子どもの村小学校』という自由学校に通っていた。
毎週月曜日の朝、母に魚津駅まで送ってもらい、当時魚津に停まったサンダーバード大阪行きに乗って福井駅まで。
小2の弟と手を繋いで、2人で毎週通っていた。
ゲームをしたりうとうと寝たりして自由に過ごす弟の隣で、寝過ごさないようにドキドキしながら一駅一駅数えながら乗っていた。
今思い出せば当時は知らない関西弁のオッチャンによう声をかけられて、長話なんかをしていた。
「あんたらおもろいな。オッチャンが柿の種あげるわ」と差し出された柿ピーを見て、
「えー、俺あんま柿の種好きちゃうねん」
とか抜かす弟を押さえつけ、笑顔で受け取ったりしていた。辛くてほとんど食べられなかった。(自由学校時代、我ら姉弟は関西弁を話してました)
今はあーゆーオッチャン、おるんやろか。
大人になってからはありがたいことに東京でのコンサート、九州ツアーなどでたくさん電車に乗らせてもらった。
富山の駅でます寿司を買って、ます寿司と緑茶を飲むのが好き。行きしなに食べようと思って買ったのに、大抵乗ってから電車が動き出すまでの間に食べ終えてしまう。
行きは大体ライブのセットリストを考えたり、譜面の整理、作詞をしているときもある。
イヤホンをしながら歌詞を確認していると、なかなかの音量で歌ってしまっている時があるから要注意。
斜め前の席のお兄さんがイヤホンをつけてiPadでアニメを観てるけど、イヤホンがしっかり刺さってなくて、かなりの音量でアニメの音を車両中に響かせてる時もある。
あれもかなり要注意。
トイレの鍵がしっかり閉まってなくて、ドアを開けられちゃった人も何回か見たことある。
電車、危険としあわせな思い出の乗り物。
またゆったりと電車に乗って、遠くへ出かけられる日を楽しみに、がんばりましょ。
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