かっこいいからいいならそれでいいんだけど

とても僕が正しいとは思えない。なにか欠落しているからこうなってしまっているんだ、という気持ちで書いている。

124分の映画を観て、覚えていることを箇条書きにするとこうだ。
・中学生が小さな船で釣り行って死ぬって、あまりに乱暴な設定だな。そりゃ母親は自分の馬鹿さに耐えきれんだろ。その通りだから仕方ないけど・・・。そういう、家庭環境がゴミでした、ってことを伝えたいのであればそれでいいんだが、それがこの話の得になるとは思えないし多分違うんだろうな。
・暴力はよくないよね。
・試合、わかりやすい展開にしてるなあ、後半入りの湘北の無策っぷりと、なぜかずっといる山王の無能そうなデブが不自然だった。点差をつけたほうがそのあと盛り上がること、山王の登場人物がみな優秀すぎるから、逆転させる糸口が集中してしまったことから来ているんだろう。まあ、それをどうしたら自然に見せるのか、っていうのがスポーツエンタメの最低限なんだと思っていたけど、そもそもこれはそこを目指していないなあ。
・山王監督、一級フラグ建築士で草。
・10FEET、終盤で2回使うのはしつこいだろ。
・メンタルでどうにかしすぎな部分と、フィジカルでどうにかしすぎな部分があるわけだが、それはどういう根拠があるんだろうな。あまりに山王が可哀想すぎるんだが・・・。

映画を観終わった後、息子2人を連れた父親らしき男が「やばい!超かっこよかったよな!最初のアリウープのところで鳥肌立ったもん!!!」と大興奮であった。そういう悦びはあるだろう。監督を本人がやっているだけある、作画や動きには相当な労力とこだわりが見えた。そういうアクションものとして観るのであれば、とても「格好のついた」映像だったと思う。

これが実際のバスケの試合だったら、めちゃくちゃ興奮したと思うし、「神試合だ!!!やばい!!!」となっていたに違いない。しかしこれは文字通りの「絵空事」であり、作成者の意向によってどっちにも転がせるわけだ。それを言ったらすべての創作物がそうだろ、ということになるので、なぜこんなにも気になってしまうのか、もっと突き詰めないといけない。

人間は行動を起こす前に、なぜそうするのか検討する時間があるはずだ。なぜ右に進むのか、なぜ前に戻るのか、人間であれば、ひとつひとつ理由を必要とするはずである。特に創作物における登場人物は僕らそのものではないため、特にそれらを説明するはずだ。その手法は媒体によってさまざまだが、例えば小説であれば、くどいくらいに説明するか、あるいは情景描写に託すことになる。こと映画においても様々な手法がある。そのまま喋らせてもいいし、声のトーンに落とし込んでもいい。天気の子が象徴的に扱ったように、場面ごとの天候に託すこともできるだろう。

しかし特にサッカーやバスケットボールなど、頭よりも先に身体を動かす必要があるスポーツを描く際には、その説明を実行する時間がない。野球やテニスであれば、いわゆるターン制バトルなので、ひとつひとつの行動が独立しており、冗長にはなってしまうが、すべての行動に説明をつけることができる。例えば満田拓也の「MAJOR」なんかは、その一球をどうしてそこに投げるのかだけで19ページを使うことすらあった。しかし本来、それだけの根拠が必要だと僕は考えている。そうしないと、ただ「それをした」「それができた」「結果的にこうなった」という、おままごとのような世界に成り下がってしまう。

原作漫画を読んでいないので、もしかするとそこには説明があるのかもしれないけれど、映画単体で観たときには、そもそもそれを必要だとも思っていないように見えた。みんなすごいので、すごいことができるんです!なんですごいかというと、努力したからです!あるいは天才だからです!ということになっており、とてもついていけなかった。
もしも違うのであれば教えてほしいくらいだ。それがどこから読み取れるのかも併せて。

今回の、一人称的な意味の主人公である宮城くんについては、これまでの生い立ちを追いながら試合が進んでいくのだが、しょっぱなの兄の死に様があまりに乱暴なこともあって、試合と何の関係があるのかが分からなかった。これも漫画で補完したいのだが、彼は同年代の友達2人と、あと誰と釣りに出たんだ?その日の波の状況はどうだったんだ?死んでも仕方ない時化の日だったのか、普通なら死ぬはずのない安全な航海のはずだったのか。これがどちらかによって、その後、生き残る登場人物の想いは全く異なってくるはずだ。その説明がないから、なんで残された家族がそれぞれの行動を起こすのかが全く分からない。よって、回想シーンも何かに寄り添うことができず、置いてけぼりになってしまった。

原作未履修なのが悪いのであれば仕方がないが、初めから描く気がないように思えたので、ではこの人たちは、なんでひとつひとつの行動をしているのかを、どこで読み取ればよかったのだろうか。
そんなことはどうでもいい!かっこいいだろ!と言われたら、僕は真顔で、「そうだね。」と答えるほか、何もないのである。


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