[自宅浪人]自宅浪人が残した”死にたがりの友達”と”他者への想像力”前編

少し日が空きましたが、浪人のお話を。
ここからは仮面浪人から自宅浪人のフェーズに入ります。
自宅浪人に関しては、後にも書きますが毎日同じことの繰り返しです。そのため書くことがそんなにない(記憶もない)ので、この前編と後に続く後編が、私の自宅浪人のほぼすべてになると思います。
自宅浪人で得た「友達」と「想像力」について。私が浪人してよかったと今思えるのは、お金では絶対に手に入れられないこのふたつを得ることができたからでもあります。(この「友達」はない方がいいのだろうけど、この友だちがいたから想像力を得ることができたので、まあしょうがないかぁと思ってます)

まずはその前編、「死にたがりの友達」について。

両親に話をしたのが7月。
それ以前も少しずつ、悩んでいる段階で「浪人するかも」と思って勉強は進めていましたが、受験勉強に本腰を入れるようになったのはこのころからでした。言うまでもなく、遅すぎるスタートです。

丁度この時期は、立命館の春学期の終わりでもありました。期末レポートや英語、第二外国語として選択していたイタリア語のテストなど、色々やらねばならないこともあり、また運転免許も佳境に差し掛かろうという時。
目の前のタスクをこなすので精一杯だった気がします。なので落ち込む日はあまりありませんでした。

とりあえず運転免許をできるだけ早く終え、レポートもやれるものから終わらせ、大学のテストも詰め込み式でこなし、無事7月の終わりにはすべて完了。8月から始まる自宅浪人の準備が整った形です。

まず最初に言っておきたいのですが、自宅浪人は、正直、きついです。きついという言葉が合っているのかどうか、表現しきれるのかどうか、分かりませんが、思いつくのがそれくらいなので、あらゆる点においてきつい、とだけ言っておく。

自宅浪人をしていた2021年8月から2022年2月の間は、この20年間の人生で最も記憶がない期間になります。本当に記憶がない。
どうやって生きていたのか、そもそも生きていたと言えるのか?分かりません。

8月に入ってから、休学中でも大学の図書館はつかえるとのことだったので、開いている日は図書館に行って堂々と大学受験用の参考書を広げて勉強しに行っていました。ただ、家から大学まで2時間かかるので、移動中勉強するとはいえやはり負担が大きく、続かず、結局9月からは家にこもることに。

毎日毎日同じことの繰り返しです。
朝起きて、勉強して、寝て。朝起きて、勉強して、寝て。その繰り返し。

そんな自宅浪人の結果、死にたがりの友達が心に住み着きました。

自宅浪人のつらいところは、本当にいろいろあると思うのですが、私にとって一番つらかったのは、「自分だけだ」という孤独感がずっと感じられたことでした。

勉強しているのも、つらいのも、孤独であることさえも、全部自分だけのように感じられて、家族に弱いところを見せられない私は、だれにもそれを言えなかった。

友だちや幼馴染の親友にさえも浪人のことは伝えていませんでした。晴れて大学生活を楽しんでいる彼らに、水を差すような気がしたというのは嘘で、ただ浪人が恥ずかしかったんだろうと思います。私の身近な友人はもれなく第一志望の大学に進んでいて、そんな人たちに同情されて応援されるのが嫌だったんだろうとも思ったり。変なプライドが当時はしっかりありました。

行き場をなくした孤独感や不安感は、リストカットという形でしかどうすることもできませんでした。あふれてきて抱えきれなくなったらカッターを握りしめて痛みで抑える、みたいな。

小学生の時に買った、古くて若干さび付いたカッターだったのが救いでした。左手の甲に押さえつけて切ろうとしていましたが、切れ味が悪すぎて少ししか傷つけられず、不幸中の幸いと言うべきなのか、今となっては痕も残らずです。

とりあえず明日が怖かった。先が見えなくて、不安で、死ぬしかないと何度も思いました。自分が死んだら家族は悲しむかなとか、他人のこと正直頭になく、とにかく不安で、孤独で、でも勉強はしなくちゃいけなくて、でもできなくて、怖くて、でもやらなくちゃいけなくて、失敗はできないし、決めたのは自分だし、勉強するしかないのに、でも始めると不安になって震えが止まらない、こんな毎日が受験が終わるまでずっと続く、ああもう死ぬしかないのかも。みたいな。

実ははじめて死にたがりの友達が私のところにやってきたのは、自宅浪人を始めてからではなく、5月の浪人するかしないか迷っている時でした。以下、当時の日記です。

大学の帰り、毎日毎日、歩きながら泣いていた。こんなところに行くために、あんなに頑張ったわけじゃないのに。そんなことばかり考えた。めっちゃ泣いた。何回も何回も同じ事ばかり考えて、悔しくて、泣いて歩いた。自分が、少しの逃げを繰り返したから落ちたんであって自分が悪いのは分かっている。でも、悔しくて、何で何で何で何で何で何で何で何で何で何でとかばかり考えていた。このまま続くのかと思うと、死にたいと思った。多分人生で初めて本当に死にたいと思った。今が嫌なんじゃなくて、このどうしようもない時が、このままずっと、この先もずっと続くことに、それに対しての気持ちが持ちそうになくて、死んだほうが楽かなって思った。

当時の日記より
吐き出す様に書いていた当時の日記。字体を見ると、書いてた頃が思い出されるので、今でも開くのは少し怖い。

迷っていたころからちょこちょこ、こんな感じで顔を出していた私の死にたがりの友達。自宅浪人を経て完全に住み着いてしまい、いまでもひょっこり顔を出してきます。

一度住み着いてしまうと、言葉通りもう出ていく様子がありません。
少し落ち込むことがあったり、孤独感や不安感を感じると登場してきて、ぐうっと暗闇の奥底へと私を連れていきます。特に夜。

うまく付き合うしかないのだろうと思っていますが、なかなか手ごわいなぁと思ったり。

ただ、その友達のおかげで、もう一つ得たものがありました。
それが「他者への想像力」です。

それはまた「自宅浪人で得た”死にたがりの友達”と”他者への想像力”後編」でお送りしたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。また。

大屋千風

追:6日前の下書きの段階では「死にたがりの悪魔」と書いていたのですが、「友達」にしました。そっちの方が、一緒に仲良くできそうな気がして。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?